一夜限りと思ったワンコ系男子との正しい恋愛の始め方
 本当は、今一番そばにいて欲しい人。そんな存在が実際にここに来て、寄り添ってくれている。

「迎えにきた」
「ごめんなさい。時間、過ぎちゃっていたね」

 ふっと息を吐き、美晴は肩に置かれた健斗の手に自分の手を重ねる。彼の手の温かさが心地よい。

「浅川さん、一人で来ていたんじゃなかったの?」

 その声に美晴が正面に視線を動かすと、浜守が虚をつかれた表情でこちらを見ていた。なぜか頭上からは小さく「あれ?」というつぶやきが聞こえる。

「二人で来ていたんですけど人混みがすごくて、彼にちょっと待っていてもらっていたんです」

 そう説明すると先程までとは違い、自然に笑みが浮かんだ。

「それではこれで失礼します。浜守さん、名取さん、十月からよろしくお願いいたします」

 挨拶をすると名取は肩をすくめ、興味のなさそうな顔付きで美晴を見下ろした。

「頑張ってね。元上司として、応援してるよ」
「ありがとうございます」

 熱の感じられない社交辞令にぺこりとお辞儀して、自分から健斗の手を握りしめる。

「行こう」

 そしてこの場から去っていった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇



 デパートを脱出し、駅へと向かう大通りを歩いていく。日曜夕方の繁華街は人通りも多く賑やかだ。美晴はそんな中、ただ無言で歩いていた。

「美晴さん」

 横から健斗がそっと呼びかけるが、美晴の耳には入ってこない。

「美晴さん」
「え?」

 何度目かの呼びかけに、美晴はようやくビクリとして立ち止まった。

「あ……、ごめんなさい」

 さっきまで最大の緊張感を強いられていたせいか、どうもうまく頭が回転しない。そしてようやく、直前の出来事を思い出した。

「変なとこ、見られちゃったね」

 客観的に先程の状況を説明するならば、美晴は別れた男に偶然出会い、さっさと去れば良いものを立ち話を始めてしまった。しかもにこやかに微笑みながら話をし、待ち合わせの時間を過ぎてしまい、結果、迎えに来てもらう羽目となった。健斗が不快に思っても仕方がない状況だ。

「ごめんなさい」

 視線を足元に落としたまま、美晴はもう一度謝る。

「なにが?」

 即座に訊かれて、顔を上げた。途端に健斗と目があう。

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