一夜限りと思ったワンコ系男子との正しい恋愛の始め方
 言われて美晴は思わず眉をひそめてしまう。一ヶ月ほど前、健斗と二人で入ってうっかり夫婦喧嘩に立ち会ってしまった、あの時の中華料理屋の名前だ。そこを最後のランチにするのは、どうにもためらわれる。

「あれ? 美晴さん、あそこの小籠包食べたことないんですか? 美味しくて、結構有名なのに」
「え、そうなの?」
「業務用の冷食じゃなくて、お店できっちり作っているんです。中の餡の汁が甘めなのが普通とちょっと違って美味しくて。注文してから蒸すから、お昼のピーク時に頼むと時間との勝負になっちゃうんですけど、そろそろ一時になるし、そんなに待たずに食べられるんじゃないかな。今がチャンスですよ」

 お店の回し者かと思うような理恵の口上に乗せられ、こうして最後のおひとりランチは南華飯店に決まった。



 ◇◇◇◇◇



「あれ?」
「美晴さんだ。お久し振りです」

 店に入ると、ここ最近見かけなかった人物が目に入った。

「陽平くん」

 一ヶ月ほど前には毎週水曜日にコンビニで見かけていた、健斗の同僚だ。つい彼の座るテーブル席の前で美晴が立ち止まると、すかさず店員がやって来てお冷が置かれる。前回来たときは激怒りしていた彼女だったが、夫婦の荒波を越えたのか今日は穏やかというのか、普通の態度だった。

「注文決まったら呼んでくださーい」
「え、あの、」

 怒ってはいなくてもマイペースなことは変わりない。さっさと立ち去る店員の後ろ姿を成すすべもなく美晴が見送ると、陽平のクスクスと笑う声がした。

「せっかくなんで、俺と相席してください。なににします? ここ、小籠包が美味いんですよ」

 言われて席について、やっぱり小籠包なのかと心の中でつぶやく。そして陽平の勧めるとおり、美晴は小籠包と炒飯のセットを頼んだ。

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