あなたが社長だなんて気が付かなかった〜一夜で宿したこの子は私だけのものです〜
「林田、車を出してくれ。みなみ総合病院まで頼む」

「かしこまりました」

車はスムーズに走り出すと彼は運転席と後部座席との間を声が漏れないように遮断した。

「雪、久しぶりだな」

「あ、あ、あ……あなたは誰?」

「俺は藤堂礼央。先日父が会長になり俺が社長に就任したんだが知らないか?」

そういえば社報に載っていた。
でも顔まではちゃんと見ていなかったと今更ながら気がついた。

「すみません。社長の顔は存じ上げずにいました」

ハハハ、と彼は笑い飛ばす。

「さすが雪だな。正直な答えだ。社員に顔を覚えてもらっていないようじゃ俺もまだまだってことだな」

「そんなことありません。申し訳ありませんでした」

彼は笑い飛ばすが、本来そんなこと言われたら怒られても仕方がない。
横に座りながら頭を下げた。
すると彼はその頭を撫で始めた。

「あれから頑張っているか? 気になっていたんだ。でもまさかうちの社員だったなんてな。仕事が楽しい、やりがいがあるって言ってくれてありがとう」

「辞めずに頑張っています。あなたのおかげで私はあの日吹っ切れました」

「そうか」

私を撫でる手は止まらない。

「あの日起きたら置き手紙だけ残されて雪はいなくなってた。けど君ならどこでもこれからの人生頑張っていけるだろうと思ってた。でも近くで見たいとも思った」

「あなたのおかげです」

「俺もあの日君と会えてよかったよ」

車が停まると外からノックされた。
病院に着いたようだ。
林田さんはドアを開け、私に手を貸してくれて車から降りた。
すると回り込んできた彼はまた私を抱き上げると病院の中は入っていった。

ロビーにある椅子に座らされると受付を済ませ戻ってきた。

「ここに知り合いの医者がいるんだ。さっき連絡したからちょっと待っていてくれ」

「社長、ありがとうございました。この後はもう大丈夫ですから」

私は帰ってもらって大丈夫だと伝えたかったのに彼はなぜか私の手を握ってきた。

「大丈夫、俺も一緒に付き添うから」

大丈夫って言われても私は大丈夫じゃない。
あの日も素敵な人だと思っていたが今日改めて見ても周囲の視線を集めるほどの魅力にあふれている。
ぼてっと少し太った私の隣にいるような人じゃない。

「社長はお忙しいでしょうから大丈夫です」

私はやんわりと握られた手を離そうとするがさらに強く握られてしまう。

「珍しいな、お前が振られるなんて」

そう言いながらスクラブの上に白衣を着た男性が笑いながら話しかけてきた。

「三好! 悪いな、急に」

「いや、いいよ。社員が怪我だって?」

「ああ、転んで腰をぶつけたのと足を捻ったみたいだ。妊娠中だ」

「分かった」というと車椅子を持ってきてくれ、乗せられた私は処置室に連れて行かれた。
そこで診察をしてもらい、お腹のエコーで赤ちゃんが元気なことも確認することができた。
足は捻挫でテーピングを巻かれた。そのおかげで痛みが楽になり引きずりながらではあるが歩くことができた。

私が処置室から出てくると彼はすぐに立ち上がり私のそばまでくると腰を抱き、支えてくれる。

「社長、大丈夫ですから」

私がまた断ろうとすると後ろから三好先生が笑っている。

「藤堂、また断られてるぞ」

その声の主を睨むが社長は何も言わない。

「先生ありがとうございました」

「峯岸さん、赤ちゃんは大丈夫。ただ、足を捻挫してるのでバランスを崩しやすいです。また転んでは危ないので仕事をお休みすることをお勧めします」

「わかりました」

私は頭を下げると、社長に視線を向けニヤリと笑うと後手に手を振りながら去って行った。

社長に支えられロビーに移動すると会計を済ませてくれ、電話で呼び出した林田さんに車を横付けにしてもらいまた車に乗せられた。

「雪、家まで送ろう。どこだ?」

私は林田さんに住所を説明すると車は走り始めた。
また彼は運転席との間を遮断しプライベートな話を始めた。

「雪、お腹の子供は俺の子か?」

思わぬ質問に私は絶句した。
すぐに否定できなかった私の反応に彼はイエスととったようだ。
大きく頷くと「分かった」と言った。
私は慌てて「違います!」と言い返した。

「この子は社長の子供ではありません」

「じゃ、誰の子だ?」

「私の子供です!」

「誰との子供だ?」

「わ、私だけの子供です」

私の顔を覗き込んでくるが、私は直視できず視線をを彷徨わせてしまう。

「ふうーん。わかった」

そう言うと何故か膝の上にあった私の手を握りしめてきた。
離そうとしても許されずに繋がれたままアパートの前へ到着した。
またドアをノックされ、林田さんの手を借りて車を降りると頭を下げた。

「ありがとうございました」

私は荷物を手に持ち見送ろうとするがなかなか車は出ない。
そうこうしていると社長が車から降りてきて、車は走り去ってしまった。

「さて、行くか」

手に持っていたバッグをさっと取り上げるとまた腰に手を当てて支えながら歩き始めた。

「何階?」

「3階ですけど、それより車が行っちゃいましたよ」

「今日休みになったから大丈夫だ」

エレベーターのボタンを押すと一緒に乗り込み彼は部屋の前までついてきた。

「雪、鍵開けて」

私は言われるがままに開けると彼はそのまま私を部屋の中まで連れて行ってくれた。
けれど帰る気配がない。
意を決して言う。

「社長、送ってもらって申し訳ないのですがお構いもできないのでお帰りいただけますか?」

「無理だ」

無理?
社長の話す意味がわからない。
あの日の彼は大人で洗練された印象だった。
今日も素敵であることは変わりないが少し子供ようなわがままを言う。

「でも、何もできませんのでお帰りください」

「雪が何もできないことはわかっている。だからこうして俺が来た。何か飲むか?」

私の部屋なのに何か飲むかと聞く彼に思わず吹き出してしまった。

「社長、ここ私の部屋ですよ」

仕方なく社長に何か飲むか聞くとコーヒーがいいと言う。 
つわりが治まり、やっとコーヒーが解禁になった私。ただ、妊婦はたくさん飲んではいけないので美味しいものを1日1杯と決めていた。
私は立ち上がるとキッチンへ向かう。
狭い部屋なので何歩も歩かずに済むが彼は立ち上がると私を支えようとする。
そんな姿に思わず胸の奥がぎゅっとした。

「雪は指示してくれ。俺がやるよ」

耳元でそう言われるとますます胸が高鳴り顔が火照ってくるのがわかる。

「雪?」

「あ、ありがとうございます。コーヒーの粉は左側の缶の中です。フィルターは2番目の引き出しの中です」

「わかったよ」

彼は私をソファに戻すと言われた通りコーヒーを淹れはじめた。
マグカップに注ぎ持ってきてくれるとまた私の隣に座った。
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