凄腕ドクターの子を妊娠したら、溢れるほどの愛で甘やかされています
「お疲れ様」

 背後から、聞き覚えのある低い声が耳に届く。
 私と橋野店長がほぼ同時にスローモーションで振り向いた。

「え……」

 私は目を疑う。

 そこにいた人物は険しい表情で、私と橋野店長を交互に見た。

「しゅ、柊矢先生⁉」

 真っ先に反応したのは橋野店長だった。ガバッと腰が折れ曲がるくらい深くお辞儀をする。

「お疲れ様です!」

 さっきまで噂話していた張本人、それも院長先生の息子が突然目の前に現れたのだ。
 大声で挨拶をして数秒後に頭を上げた橋野店長は、肝が冷えたのか青白い顔をしていた。

「ちょっと松本さんに話があって」

 柊矢さんはその穏やかな声色とは対照的な、どこか冷ややかな目線を橋野店長に送る。

「よろしいですか? 橋野店長」

 言いながら、柊矢さんは橋野店長をギロリと睨んだ。
 鋭い目線は次に、さっきから私の腕を掴んでいる橋野店長の手に向く。

「は、はい! もちろんです!」

 蛇に睨まれた蛙さながら、橋野店長はビシッと直立して答えた。
 さっきの強引な態度はすっかり鳴りを潜め、気まずそうに目が泳いでいる。

「では、僕はここで失礼します。また明日ね、松本さん」

 愛想笑いを浮かべ、橋野店長は逃げるように小走りで立ち去った。
 その後ろ姿を眺め、柊矢さんは短くため息を吐く。

 私は横顔をちらりと盗み見た。柊矢さんは全身モノトーンのラフな私服姿だ。

 絶妙なタイミングで現れるんだもの、驚いた。

 私を助けてくれた……?

「柊矢さん、いつから後ろにいらっしゃったんですか?」
「俺が来てなかったら家に連れ込まれてたかもな。もっと警戒したほうがいいよ」

 私の質問を無視し、柊矢さんは呆れた口調で続ける。

「まあ、紗衣さんが行きたかったのなら別だけど」
「そんな! 行きたかったわけじゃないです!」

 軽い女だと思われたのなら心外だ。という思いで食い気味に否定した私を見て、柊矢さんは吹き出した。

「そんなにムキにならなくても。送って行くよ」

 ニッと口角をつり上げ、駐車場のほうを目で指す。

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