大学教授と学生の恋の行方は‥
■第7話 順子と母親
宮本主任教授と順子が別れて3か月が過ぎたが、順子の心の中にはまだ宮本主任教授がいた。医学部1年生の頃からずっと好きで、ようやく付き合うことができて、宮本主任教授の家で過ごした時間は、順子にとって何よりも幸せな時間だったからだ。

あれ以上の幸せを、順子はこれまでの人生で1度も感じたことがない。だが、あのパーティで順子は嫉妬心を前に出してしまい、宮本主任教授に迷惑をかけてしまった。だから、全ては自分が悪い。

人生というのは、たった1度の過ちで、何もかもダメになることもあるのだ。
それほど、宮本主任教授と順子の関係は危ういものだったともいえる。もし、2人の年齢が10歳も離れていなかったら、おそらくはここまで危うい関係ではなかっただろう。還暦を過ぎた主任教授と学生というのは、どう考えても世間体が悪い。

「だから一定の距離をとっていたのに……」

宮本主任教授に未練のある順子だが、これ以上、宮本主任教授に迷惑をかけたくないので、大学では他の生徒と同じように振る舞った。

そんなある日、家に帰ると珍しく母親が夕飯を作っていた。

「あら、おかえり」
「お母さん! どうしたの?」
「ちょっとね、久しぶりに休みがもらえたから夕飯を作ってみたのよ。今日はビーフシチューよ」
「もー、そういうことは先に言ってよ。私が帰ってこなかったらどうするつもりだったの?」
「あー、そうよね。うっかりしていたわ。でも、帰ってきてよかった」

母親はそう言って笑う。
順子の母親は、市立病院で消化器内科医をしており、いつも朝早く夜は遅い。そのため、順子と面と向かって話をするのも1か月ぶりぐらいだ。

「そうそう、噂で聞いたんだけど、あんた老人と付き合ってるんだって?」

順子は「老人」という言葉に、一瞬首をかしげる。

「宮本教授のことよ」
「!」

母親の言い方にカチンときたが、宮本主任教授は還暦を過ぎている。世間一般で言えば、老人と言われても仕方のない年だ。だが、当然のことながら、順子は宮本主任教授を「老人」だとは一度も思ったことはない。

「……もう別れた」
「あら、そうなの。というか、あんた本当に付き合ってたのね」
「悪い?」
「悪くはないけど……でもあの人定年間近でしょ? 私よりも1回りも上だし」

確かに順子の母親は今年50歳になる。そして医学部4年生の順子は23歳だ。親の立場からすれば、自分より年上の人とは娘には付き合ってほしくはないだろう。

それはわかっていたことだが、直接言われると辛いものがある。順子は早くこの話題を終わらせたいと思った。

「もういいでしょ。別れた相手なんだから」
「まぁ、それもそうね。順子にはもっといい相手が見つかるわよ。じゃあ、早く着替えてきなさい。夕飯にするわよ」
「わかった」

順子は胸の辺りをギュッと抑えながら、自分の部屋へと向かったのだった。

「ねぇ、もしかして、順子って例の人と別れたの?」

大学で出来た友だちに、唐突にそう聞かれる。彼女は、順子にあの時の噂を教えてあげた子でもある。

「え……あ、うん」
「そうなんだ! 最近、あんまり2人が一緒にいるところを見ないなーって思って」

友だちは、順子がパーティーでしでかしたことを知らないようだ。あれは、世間体にも悪いことだったので、口封じがされているのか、周りの大人が自然と口をつぐんでいるのかのどちらかだろう。

「でも良かった~。順子もせっかく若いんだし、同世代の子かせめて30代ぐらいの人と付き合った方がいいと思ってたから。合コンする時は、順子も誘うね!」
「……ありがとう」

友だちの反応を見て、順子は内心ため息をつく。やはり誰も、宮本主任教授と順子の関係を応援してくれていた人はいなかったということだ。
1度しかない20代という若さ。だからこそ、若い人と付き合えというのはわかるが、順子は年齢ではなく、純粋に宮本主任教授という1人の人間に恋をしていたのだ。宮本主任教授が還暦を過ぎていても、同年代だったとしても、年下だったとしても、きっと恋に落ちた。

それほど、順子にとっての宮本主任教授の存在は大きい。

だが。

宮本主任教授は順子のようには引きずってはいなかった。順子と別れてからというもの、毎日を淡々と過ごしている。定年まで、本当に時間がないというのもあるのかもしれない。

宮本主任教授が探していた後継者は、長年医局を共に率いてきた小坂准教授に決まりそうだというのも、嬉しい話だ。あとは、引継ぎをしっかりやれば、定年を待つだけで終えることができる。

「……」

宮本主任教授は、日誌を下記ながら主任教授室の窓の外を見る。
真っ暗な夜空には、三日月が浮かんでいた。今夜は雨ではなく晴れているようだ。

時刻は間もなく21時。
日誌を書き終えたら、今日は帰ろうと宮本主任教授は思ったのだった。
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