叔父一家に家を乗っ取られそうなので、今すぐ結婚したいんです!
プロローグ
オーレリア・バベッチは茫然としていた。
ただでさえ、両親と兄を馬車の事故で亡くして憔悴していたのと言うのに、親族から地獄の底に叩き落すようなことを言われれば当然だ。
両親と兄の葬儀も終わり、喪服をいつ脱いでいいのかもわからず、三日連続で黒いドレスを身に着けていたオーレリアのもとにやってきたのは、疎遠になっていた父の弟――叔父のエイブラム・ダンニグ一家だった。
エイブラムは祖父――すなわちオーレリアの父とエイブラムの父から縁を切られていて、存在だけは知っていたが今まで一度も会ったことのない親族だ。
子爵家の娘と結婚したと聞いていたから、一緒にいる丸顔の女性が妻だろう。すると、小柄でふくよかな体型をしている十五、六の少女は娘だろうか。
そんな叔父の一家は、父たちの葬儀の三日後、何の前触れもなくバベッチ伯爵家を訪れて、挨拶もそこそこにこう言った。
「オーレリア、兄が死んだ今、この家はわしが継ぐべきだ。そうは思わんか?」
この一言に、悲しみのあまり麻痺していたオーレリアの脳は、さらに凍り付いてしまった。
何も言えないオーレリアに代わり、執事のケネスや、メイドのドーラがエイブラムを追い返そうとしているけれど、叔父は鬱陶しそうに手を振りながらなお続けた。
「この件は、すでに領主様にも申請を出している。まだ通ってはおらんが、承認が降りるもの時間の問題だ! 早いところ荷物をまとめておくんだな」
ヴァビロア国では、家を継ぐ権利は男子のみが有する。女子が家を継ぐ場合、婿を取ってその婿が家長とならねばならない。
だから、結婚していないオーレリアは、バベッチ家を継ぐ権利を有していないのは確かだけれど、家族が全員死んで何も考えられない今、そのようなことを言いに来る必要がどこにあっただろう。
バベッチ伯爵家は、サンプソン公爵が治める領地の一区画を管理させてもらっている代官だ。領主が承認すれば、オーレリアは異を唱えることはできない。
「じゃあな、オーレリア!」
はじめて会った叔父は言いたいことだけ言うと、ニヤニヤ笑いながら、高笑いをする妻と娘を連れて出て行った。
玄関で立ち尽くしたまま動けないオーレリアの背中を支えるようにして、ドーラがダイニングまで連れていってくれる。
椅子に座ると、オーレリアは思わず両手で顔を覆った。
叔父のエイブラムは浪費家で、ギャンブルに興じては借金を作るような男だったらしいというのは、生前の祖父から聞かされていたことだった。もしもエイブラムが来ても金を渡してはならない、それが祖父の口癖だったのを覚えている。
そのエイブラムは、祖父の予想に反して、これまで一度も金の無心にやってくることはなかった。
それどころか、祖父が死んだときも、祖母が死んだときも姿を見せず、父はそれに「親が死んだと言うのに」と憤慨していた。
そんな叔父が、父が死んだ今になってやってきた。――いや、今だからこそやって来たのか。もしかしたら彼は、この家を奪う機会を、虎視眈々と狙っていたのかもしれない。
(どうしよう……何も考えられない……)
考えなくてはならない。この家を叔父に奪われなくてすむ方法を。けれども家族が死んで泣き続けていたオーレリアの思考は、まるで錆びついたゼンマイのように動いてくれなかった。
「お嬢様、何か食べましょう、ね?」
ドーラがオーレリアの背中を撫でながら言う。
どうやらオーレリアは、また泣きだしていたらしい。家族が死んでから、自覚もなく涙があふれるのだ。その涙は、オーレリアの意思では止めることもできず、ただ枯れるまで流れ続ける。
食事を勧められて、そう言えばここ数日まともに食べていなかったことを思いだした。ドーラやケネスに食べるように勧められても、少し食べただけでフォークを置いていた。食べたくないのだ。体が受け付けない。
「お嬢様のお好きなアップルケーキはどうでしょう? 少しくらい食べられませんか?」
背中をさすってくれているドーラの手が暖かい。
わかっている。食べなければ。前を向かなければ。考えなければ。この家はオーレリアの大切な家だ。家族で暮らした大切な家。それを、父たちの葬儀にも出席しなかった、血がつながっているだけの赤の他人に、みすみす奪われてはたまらない。
オーレリアは大きく深呼吸をした。涙が止まらない。涙を止めないと、涙味の食事になってしまう。
(食べなきゃ)
食べて、考える。この家を守る方法を。オーレリアが、ぐしぐしとドレスの袖で目元を拭ったとき、玄関の呼び鈴が鳴った。
その音を聞いた途端、オーレリアはビクリと肩を震わせた。
叔父たちが戻って来たのだろうか。椅子から立ち上がることもできないでいると、来客を確認しに出たケネスが、銀髪に青い瞳の一人の青年を伴ってやってきた。
その顔を見た途端。オーレリアの肩から力が抜ける。
「ラルフ……」
彼は、ラルフ・カルフォード。バベッチ家が管理を任されている隣の区画の代官で、オーレリアより一つ年上の十八歳。カルフォード伯爵家の次男で、オーレリアの幼馴染だ。
もともと背の高かったらラルフだが、士官学校に通いはじめてぐんぐんと成長し、先週卒業した彼は、今やオーレリアと頭一つ分も身長差がある。
「また泣いてたのか」
士官学校をこの春に卒業し、ラルフは先週からカルフォード家に帰って来ていた。士官学校で優秀な成績を収めた彼は、城での働き口もあったらしいが、領主であるサンプソン公爵家の騎士として働くことを選んだらしい。仕事は二週間後からだそうだ。
家族が一斉にいなくなって恐慌状態だったオーレリアが落ち着くまでつきっきりでそばにいてくれたラルフがいなければ、オーレリアは今、こうして正気でいられなかったかもしれない。
「ラルフ……」
オーレリアはよろよろと立ち上がり、ぎゅうっとラルフに抱きついた。ラルフはオーレリアにとって、もう一人の兄のような存在だ。実の兄がいなくなった今、オーレリアにとってたった一人の頼れる存在だった。
「どうした、何かあったのか?」
剣を握るからか皮膚の固くなった大きな手で、ぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。
ラルフに抱きついたまま、ぽつりぽつりと事情を説明すると、彼は見る見るうちに表情を険しくさせて舌打ちした。
「俺が来る前にそんなことがあったのか! そいつら、いったいどういう神経してるんだ!」
ラルフが本気で憤っているとわかって――オーレリアのために怒ってくれているのだとわかって、ささくれ立っていた気持ちが少しずつ落ち着いてくる。ラルフも、そしてケネスもドーラも、ずっとオーレリアに寄り添い続けてくれた。だからこそ、いつまでも悲嘆にくれて泣き暮らしている毎日ではだめだと、オーレリアはわかっている。
ラルフがオーレリアを椅子に座らせると、ドーラがポタージュスープを運んできた。それを、当然のようにオーレリアではなくラルフの前に置く。ラルフがポタージュをスプーンですくって、オーレリアの口元に近づけた。
「ほら、少し食べて、さっきの件についてはそれからだ」
気落ちして食事もろくに喉を通らないオーレリアに、ラルフはこうやって食べさそうとしてくれる。家族が死んで丸二日何も食べなかったオーレリアの口に、無理やりパンが押し込められた時は、なんてひどいことをするのだと思ったけれど、彼は、ともすれば自殺でもしそうだったオーレリアの心と命をつなぎとめようと一生懸命になってくれていたのだ。
いい加減、スープくらいなら自力で何とか飲み干せるくらいには回復しているのに、ラルフは相変わらず過保護だ。でも、こうして甘やかされるのは心地いいから、もう少しだけ甘えていたくなる。
ラルフにポタージュを食べさせてもらってお腹が満たされたころには、涙は完全に止まっていた。
「自覚がなくても腹は減ってるんだ。ちゃんと食べないと、いつまでたっても元気になれないぞ」
「うん」
オーレリアがポタージュを完食すると、心配そうにじっとこちらを見つめていたドーラがホッとしたように息を吐いて、皿を持ってダイニングから出て行った。ケネスもドーラを追うようにいなくなり、ダイニングにはオーレリアとラルフの二人だけが取り残される。おそらく、ドーラもケネスも気を使ってくれたのだろう。
「それで、さっきの話に戻るけどな」
さっきの話とはすなわち、叔父一家にこの家が乗っ取られるかもしれないと言う話だ。
お腹が満たされた少し浮上した気持ちが、またどんよりと落ち込む。
そんなオーレリアの頭をぽんぽんと叩いて、ラルフが薄く笑った。
「そう落ち込むなって。つまり、オーレリアにこの家を継ぐ資格があれば、お前の叔父が出てくる幕はないってわけだ」
「……継げないから困っているのよ」
オーレリアは女。ヴァビロア国は女は家を継げない。どうあがいたって変えられない事実だ。
「だから、継げるようになればいいんだろ?」
だから継げないと言っているのに。まさかヴァビロア国の法律が改正されるとでもいうのか。……いや、あり得ない。少なくとも現王は、女は出しゃばって来るなと、政にも女性を介入させないと聞く。男女平等を訴えている今の王太子が王になった暁には変わるかもしれないけれど、それはまだずっと先のことだ。
「未来の話をしているの?」
「そうじゃなくって……、ええっと、だからなー」
ぽりぽりとラルフが頬を掻く。その頬がちょっぴり赤いような気がするが、熱でもあるのだろうか。彼はずっとオーレリアにつきっきりだったから、そのせいで体調を崩してしまったのかもしれない。早く帰って寝ていないと――オーレリアがそう言いかけたとき、ラルフが急に「あーっ!」と叫んでがじがしと頭をかきむしった。
「だから、継げるようになればいいんだよ。お前が結婚すりゃあ全部丸く収まるだろ? だから……」
「結婚?」
オーレリアはそこでハッとした。
そうだ。オーレリアが結婚すれば、この家を継ぐ権利はオーレリアにある。叔父エイブラムも口出しできなくなるはずだし、領主のサンプソン公爵は優しい方だから、権利を有したオーレリアからそれを取り上げたりはしないだろう。
オーレリアは勢いよく椅子から立ち上がった。
家族を失って、ずっと何も考えられなかったオーレリアの思考が、霧が晴れて行くようにすっきりしていく。
ここはオーレリアの大切な家。
家族と過ごした大切な思い出のある家。
ここで働いてくれているドーラやケネスをはじめとする使用人たちも、オーレリアの大切な家族の一員。
(いつまでも泣いていちゃダメ。わたしが守らなきゃ!)
オーレリアはまだ赤い顔をしてこちらをじーっと見つめているラルフに微笑みかけた。家族を失ってからはじめて見せた笑みに、ラルフがハッと息を呑む。
「ありがとう、ラルフ!」
「ああ、じゃあ……」
「わたし、頑張って婚活するわ!」
「………………へ?」
ラルフの目が点になったが、オーレリアはそれには気づかず、拳を握りしめて宣言した。
「結婚して、絶対にこの家を守って見せるんだから‼」
ただでさえ、両親と兄を馬車の事故で亡くして憔悴していたのと言うのに、親族から地獄の底に叩き落すようなことを言われれば当然だ。
両親と兄の葬儀も終わり、喪服をいつ脱いでいいのかもわからず、三日連続で黒いドレスを身に着けていたオーレリアのもとにやってきたのは、疎遠になっていた父の弟――叔父のエイブラム・ダンニグ一家だった。
エイブラムは祖父――すなわちオーレリアの父とエイブラムの父から縁を切られていて、存在だけは知っていたが今まで一度も会ったことのない親族だ。
子爵家の娘と結婚したと聞いていたから、一緒にいる丸顔の女性が妻だろう。すると、小柄でふくよかな体型をしている十五、六の少女は娘だろうか。
そんな叔父の一家は、父たちの葬儀の三日後、何の前触れもなくバベッチ伯爵家を訪れて、挨拶もそこそこにこう言った。
「オーレリア、兄が死んだ今、この家はわしが継ぐべきだ。そうは思わんか?」
この一言に、悲しみのあまり麻痺していたオーレリアの脳は、さらに凍り付いてしまった。
何も言えないオーレリアに代わり、執事のケネスや、メイドのドーラがエイブラムを追い返そうとしているけれど、叔父は鬱陶しそうに手を振りながらなお続けた。
「この件は、すでに領主様にも申請を出している。まだ通ってはおらんが、承認が降りるもの時間の問題だ! 早いところ荷物をまとめておくんだな」
ヴァビロア国では、家を継ぐ権利は男子のみが有する。女子が家を継ぐ場合、婿を取ってその婿が家長とならねばならない。
だから、結婚していないオーレリアは、バベッチ家を継ぐ権利を有していないのは確かだけれど、家族が全員死んで何も考えられない今、そのようなことを言いに来る必要がどこにあっただろう。
バベッチ伯爵家は、サンプソン公爵が治める領地の一区画を管理させてもらっている代官だ。領主が承認すれば、オーレリアは異を唱えることはできない。
「じゃあな、オーレリア!」
はじめて会った叔父は言いたいことだけ言うと、ニヤニヤ笑いながら、高笑いをする妻と娘を連れて出て行った。
玄関で立ち尽くしたまま動けないオーレリアの背中を支えるようにして、ドーラがダイニングまで連れていってくれる。
椅子に座ると、オーレリアは思わず両手で顔を覆った。
叔父のエイブラムは浪費家で、ギャンブルに興じては借金を作るような男だったらしいというのは、生前の祖父から聞かされていたことだった。もしもエイブラムが来ても金を渡してはならない、それが祖父の口癖だったのを覚えている。
そのエイブラムは、祖父の予想に反して、これまで一度も金の無心にやってくることはなかった。
それどころか、祖父が死んだときも、祖母が死んだときも姿を見せず、父はそれに「親が死んだと言うのに」と憤慨していた。
そんな叔父が、父が死んだ今になってやってきた。――いや、今だからこそやって来たのか。もしかしたら彼は、この家を奪う機会を、虎視眈々と狙っていたのかもしれない。
(どうしよう……何も考えられない……)
考えなくてはならない。この家を叔父に奪われなくてすむ方法を。けれども家族が死んで泣き続けていたオーレリアの思考は、まるで錆びついたゼンマイのように動いてくれなかった。
「お嬢様、何か食べましょう、ね?」
ドーラがオーレリアの背中を撫でながら言う。
どうやらオーレリアは、また泣きだしていたらしい。家族が死んでから、自覚もなく涙があふれるのだ。その涙は、オーレリアの意思では止めることもできず、ただ枯れるまで流れ続ける。
食事を勧められて、そう言えばここ数日まともに食べていなかったことを思いだした。ドーラやケネスに食べるように勧められても、少し食べただけでフォークを置いていた。食べたくないのだ。体が受け付けない。
「お嬢様のお好きなアップルケーキはどうでしょう? 少しくらい食べられませんか?」
背中をさすってくれているドーラの手が暖かい。
わかっている。食べなければ。前を向かなければ。考えなければ。この家はオーレリアの大切な家だ。家族で暮らした大切な家。それを、父たちの葬儀にも出席しなかった、血がつながっているだけの赤の他人に、みすみす奪われてはたまらない。
オーレリアは大きく深呼吸をした。涙が止まらない。涙を止めないと、涙味の食事になってしまう。
(食べなきゃ)
食べて、考える。この家を守る方法を。オーレリアが、ぐしぐしとドレスの袖で目元を拭ったとき、玄関の呼び鈴が鳴った。
その音を聞いた途端、オーレリアはビクリと肩を震わせた。
叔父たちが戻って来たのだろうか。椅子から立ち上がることもできないでいると、来客を確認しに出たケネスが、銀髪に青い瞳の一人の青年を伴ってやってきた。
その顔を見た途端。オーレリアの肩から力が抜ける。
「ラルフ……」
彼は、ラルフ・カルフォード。バベッチ家が管理を任されている隣の区画の代官で、オーレリアより一つ年上の十八歳。カルフォード伯爵家の次男で、オーレリアの幼馴染だ。
もともと背の高かったらラルフだが、士官学校に通いはじめてぐんぐんと成長し、先週卒業した彼は、今やオーレリアと頭一つ分も身長差がある。
「また泣いてたのか」
士官学校をこの春に卒業し、ラルフは先週からカルフォード家に帰って来ていた。士官学校で優秀な成績を収めた彼は、城での働き口もあったらしいが、領主であるサンプソン公爵家の騎士として働くことを選んだらしい。仕事は二週間後からだそうだ。
家族が一斉にいなくなって恐慌状態だったオーレリアが落ち着くまでつきっきりでそばにいてくれたラルフがいなければ、オーレリアは今、こうして正気でいられなかったかもしれない。
「ラルフ……」
オーレリアはよろよろと立ち上がり、ぎゅうっとラルフに抱きついた。ラルフはオーレリアにとって、もう一人の兄のような存在だ。実の兄がいなくなった今、オーレリアにとってたった一人の頼れる存在だった。
「どうした、何かあったのか?」
剣を握るからか皮膚の固くなった大きな手で、ぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。
ラルフに抱きついたまま、ぽつりぽつりと事情を説明すると、彼は見る見るうちに表情を険しくさせて舌打ちした。
「俺が来る前にそんなことがあったのか! そいつら、いったいどういう神経してるんだ!」
ラルフが本気で憤っているとわかって――オーレリアのために怒ってくれているのだとわかって、ささくれ立っていた気持ちが少しずつ落ち着いてくる。ラルフも、そしてケネスもドーラも、ずっとオーレリアに寄り添い続けてくれた。だからこそ、いつまでも悲嘆にくれて泣き暮らしている毎日ではだめだと、オーレリアはわかっている。
ラルフがオーレリアを椅子に座らせると、ドーラがポタージュスープを運んできた。それを、当然のようにオーレリアではなくラルフの前に置く。ラルフがポタージュをスプーンですくって、オーレリアの口元に近づけた。
「ほら、少し食べて、さっきの件についてはそれからだ」
気落ちして食事もろくに喉を通らないオーレリアに、ラルフはこうやって食べさそうとしてくれる。家族が死んで丸二日何も食べなかったオーレリアの口に、無理やりパンが押し込められた時は、なんてひどいことをするのだと思ったけれど、彼は、ともすれば自殺でもしそうだったオーレリアの心と命をつなぎとめようと一生懸命になってくれていたのだ。
いい加減、スープくらいなら自力で何とか飲み干せるくらいには回復しているのに、ラルフは相変わらず過保護だ。でも、こうして甘やかされるのは心地いいから、もう少しだけ甘えていたくなる。
ラルフにポタージュを食べさせてもらってお腹が満たされたころには、涙は完全に止まっていた。
「自覚がなくても腹は減ってるんだ。ちゃんと食べないと、いつまでたっても元気になれないぞ」
「うん」
オーレリアがポタージュを完食すると、心配そうにじっとこちらを見つめていたドーラがホッとしたように息を吐いて、皿を持ってダイニングから出て行った。ケネスもドーラを追うようにいなくなり、ダイニングにはオーレリアとラルフの二人だけが取り残される。おそらく、ドーラもケネスも気を使ってくれたのだろう。
「それで、さっきの話に戻るけどな」
さっきの話とはすなわち、叔父一家にこの家が乗っ取られるかもしれないと言う話だ。
お腹が満たされた少し浮上した気持ちが、またどんよりと落ち込む。
そんなオーレリアの頭をぽんぽんと叩いて、ラルフが薄く笑った。
「そう落ち込むなって。つまり、オーレリアにこの家を継ぐ資格があれば、お前の叔父が出てくる幕はないってわけだ」
「……継げないから困っているのよ」
オーレリアは女。ヴァビロア国は女は家を継げない。どうあがいたって変えられない事実だ。
「だから、継げるようになればいいんだろ?」
だから継げないと言っているのに。まさかヴァビロア国の法律が改正されるとでもいうのか。……いや、あり得ない。少なくとも現王は、女は出しゃばって来るなと、政にも女性を介入させないと聞く。男女平等を訴えている今の王太子が王になった暁には変わるかもしれないけれど、それはまだずっと先のことだ。
「未来の話をしているの?」
「そうじゃなくって……、ええっと、だからなー」
ぽりぽりとラルフが頬を掻く。その頬がちょっぴり赤いような気がするが、熱でもあるのだろうか。彼はずっとオーレリアにつきっきりだったから、そのせいで体調を崩してしまったのかもしれない。早く帰って寝ていないと――オーレリアがそう言いかけたとき、ラルフが急に「あーっ!」と叫んでがじがしと頭をかきむしった。
「だから、継げるようになればいいんだよ。お前が結婚すりゃあ全部丸く収まるだろ? だから……」
「結婚?」
オーレリアはそこでハッとした。
そうだ。オーレリアが結婚すれば、この家を継ぐ権利はオーレリアにある。叔父エイブラムも口出しできなくなるはずだし、領主のサンプソン公爵は優しい方だから、権利を有したオーレリアからそれを取り上げたりはしないだろう。
オーレリアは勢いよく椅子から立ち上がった。
家族を失って、ずっと何も考えられなかったオーレリアの思考が、霧が晴れて行くようにすっきりしていく。
ここはオーレリアの大切な家。
家族と過ごした大切な思い出のある家。
ここで働いてくれているドーラやケネスをはじめとする使用人たちも、オーレリアの大切な家族の一員。
(いつまでも泣いていちゃダメ。わたしが守らなきゃ!)
オーレリアはまだ赤い顔をしてこちらをじーっと見つめているラルフに微笑みかけた。家族を失ってからはじめて見せた笑みに、ラルフがハッと息を呑む。
「ありがとう、ラルフ!」
「ああ、じゃあ……」
「わたし、頑張って婚活するわ!」
「………………へ?」
ラルフの目が点になったが、オーレリアはそれには気づかず、拳を握りしめて宣言した。
「結婚して、絶対にこの家を守って見せるんだから‼」
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