叔父一家に家を乗っ取られそうなので、今すぐ結婚したいんです!
ぬいぐるみを贈ることと、好きな女に家族認定されることに何か因果関係でもあるのだろうか。
解せないなと思いながら、クリスに頼まれた資料を探しに、サンプソン家の書庫へ向かう。
クリスが言うには、ラルフに任せたい護衛以外の雑用は当面、資料集めと資料整理だそうだ。ラルフが書類仕事も得意であることをクリスは知っているが、さすがに雇用したばかりの新人――それも護衛官に、クリスの補佐をしている人間を差し置いて書類仕事を任せるようなことはしない。ラルフも雑用を振られた方が気分で気にも楽なので、この采配には大いに納得していた。
(しっかし無駄に広いよな、この邸)
書庫に向かうにも、回廊でつながっている奥の建物へ向かわなくてはならない。サンプソン家は、二階建ての建物が、中庭を挟んで二つ並んでいて、資料庫などはすべて奥の建物にあるのだ。ラルフの見立てだが、サンプソン家は独立して公国を名乗るくらいの財力や兵力を有していると思う。さすがヴァビロア国の筆頭公爵家。
奥の建物の書庫へ向かって、頼まれた三冊の本を持って来た道を戻る。
回廊を渡り終えて、クリスの部屋に向かおうとしたとき、廊下をうろうろしている一人の女性に気が付いた。
小柄で、ぬいぐるみみたいに丸い女だった。
(すっげー髪型……)
女はきつめの縦ロールの茶色い髪をしていた。大きな真っ赤なリボンをカチューシャのように巻き付けている。レースやリボンをふんだんに使ったドレスは、幼い子供に着せるようなデザインだと思った。
(そういやあ、オーレリアが五、六歳のころ、あんなドレスを着てたよな)
オーレリアは動きにくいと不満そうだったけれど、オーレリアの母親が可愛いもの好きなので、よく着飾られていたのを思い出す。
(可愛かったよなぁ、オーレリア。俺とオーレリアの間に娘が生まれたら、俺も……)
うっかりオーレリアとの将来を想像しかけたラルフは、慌ててそのピンク色の妄想を消し去った。気が早い。まだオーレリアから結婚の承諾ももらっていないのだ。口説いている最中なのである。
目の前の女はどう見ても十五、六ほどの年齢だったが、オーレリアの幼少期に来ていたドレスを思い出していたラルフは、ちょっぴり親近感が芽生えて、困っている彼女に話しかけることにした。どのみちラルフが話しかけなくても、邸の使用人が見つけたら声をかけるだろうし。
「迷ったんですか?」
サンプソン家は広い。ここに慣れていない人間が迷うのは珍しくなく、この女もそんなところだろうと思ったのだ。
女はハッと髪と同じ茶色い目を見開いて、それから急にもじもじしはじめた。
「え、ええっと……その……、ギルバート様に御用があったんですけど、部屋がわからなくなってしまって」
「ああ、ギルバート様のご友人の方ですか」
その割には見ない顔だと思ったけれど、ラルフだってギルバートの交友関係をすべて把握しているわけではない。
どうせクリスの部屋に向かう途中にギルバートの部屋があるのだ。
ラルフは女をギルバートの部屋まで案内してやることにした。
「あの、ここで働いている方ですか?」
女の歩調に合わせてゆっくり歩いていると、彼女がちらちらとこちらを見上げながら訊ねてきた。
「ええ。今日から」
「お名前をお伺いしても?」
「ラルフ・カルフォードです」
「まあ! カルフォード伯爵家の方ですか?」
「そうですが、うちをご存知なんですか?」
サンプソン公爵領で生活している人間の大半はカルフォード伯爵家の名前を知っているだろうし、父はそれなりに交友関係が広いので、領地を出てもその名を知るものは多いだろうが、隣の女が知っているのが少し不思議だった。失礼かもしれないが、来ている服がずいぶんと奇抜であるから、どこかの成金か、貴族だとしても末端のあたりの令嬢かと思っていたのだ。その当主ならいざ知らず、そこの娘が知っているほど、カルフォード伯爵家の名前は有名ではないと思うのだが。
「もちろん知っていますわ!」
女がにこにこと笑うので、ラルフも愛想笑いを返すと、気をよくした彼女はさらに続けた。
「その、ラルフ様はおいくつ何ですか?」
「俺ですか? 十八ですけど」
「ご結婚はなさっていまして?」
「いいえ、独身です」
「まあ、奇遇ですわ! わたくしも独身なんです」
ラルフと同じ独身であることの何が奇遇なのだろうか? 彼女くらいの年齢の女性なら、半数以上が独身者だろう。
十年ほど前までは十六、七歳が女性の結婚適齢期と言われていたが、年々その年齢は上がっていて、今では十九前後が適齢期と言われている。
その背景には、若くして子供を産んだ女性の産後の肥立ちの問題だそうだ。男のラルフにはよくわからないが、早すぎる妊娠と出産は女性の体にかかる負担が大きいらしい。まあ、ラルフだって、十六のときに父親になれと言われたらさすがに戸惑っただろうから、結婚適齢期の上昇はいい傾向ではないかと思う。
変な女だなとラルフは思ったけれど、ここで不用意な発言をして初対面の女性の機嫌を損ねることはしたくない。ギルバートの友人ならばなおさらだ。あとあと面倒くさそうだからである。
「ええ、奇遇ですね」
渾身の愛想笑いで返せば、女が照れたように頬を染めた。やっぱりおかしな女だ。
「あ、つきましたよ。ここがギルバート様の部屋です」
それほど長い時間ではなかったが、なんだかどっと疲れたラルフは、ようやくこれでこの女から解放されるとホッと息をついた。
ラルフが立ち去ろうとすると、ギルバートの部屋の前に立ち尽くした彼女が、彼の背中に向かった声をかけた。
「あの、ラルフ様。……また、お会いできますか?」
正直あまりかかわりたくはなかったが、ギルバートの友人なら否が応でも顔を合わせる機会がるだろう。ラルフは今日から仕事で週に六日もここへ通うのだ。
「ええ」
ラルフは笑みを貼り付けて頷くと、先ほどよりも速足でクリスの部屋へ向かった。これ以上話しかけられたくなかったからだ。
(はあ、ギルバート様の交友関係に口出しする権利はないけど……誰にでも優しいのは考え物じゃないかな)
少なくとも、さっきの女はあまり関わりたくない部類だった。なんかこう、面倒くさそうな気配がぷんぷんする。
クリスの部屋に入る前にちらりとギルバートの部屋の当たりを振り返ったけれど、女はまだそこに立っていた。
ラルフは背筋にゾッとしたものを感じてしまって、慌ててクリスの部屋に駆け込んだのだった。
解せないなと思いながら、クリスに頼まれた資料を探しに、サンプソン家の書庫へ向かう。
クリスが言うには、ラルフに任せたい護衛以外の雑用は当面、資料集めと資料整理だそうだ。ラルフが書類仕事も得意であることをクリスは知っているが、さすがに雇用したばかりの新人――それも護衛官に、クリスの補佐をしている人間を差し置いて書類仕事を任せるようなことはしない。ラルフも雑用を振られた方が気分で気にも楽なので、この采配には大いに納得していた。
(しっかし無駄に広いよな、この邸)
書庫に向かうにも、回廊でつながっている奥の建物へ向かわなくてはならない。サンプソン家は、二階建ての建物が、中庭を挟んで二つ並んでいて、資料庫などはすべて奥の建物にあるのだ。ラルフの見立てだが、サンプソン家は独立して公国を名乗るくらいの財力や兵力を有していると思う。さすがヴァビロア国の筆頭公爵家。
奥の建物の書庫へ向かって、頼まれた三冊の本を持って来た道を戻る。
回廊を渡り終えて、クリスの部屋に向かおうとしたとき、廊下をうろうろしている一人の女性に気が付いた。
小柄で、ぬいぐるみみたいに丸い女だった。
(すっげー髪型……)
女はきつめの縦ロールの茶色い髪をしていた。大きな真っ赤なリボンをカチューシャのように巻き付けている。レースやリボンをふんだんに使ったドレスは、幼い子供に着せるようなデザインだと思った。
(そういやあ、オーレリアが五、六歳のころ、あんなドレスを着てたよな)
オーレリアは動きにくいと不満そうだったけれど、オーレリアの母親が可愛いもの好きなので、よく着飾られていたのを思い出す。
(可愛かったよなぁ、オーレリア。俺とオーレリアの間に娘が生まれたら、俺も……)
うっかりオーレリアとの将来を想像しかけたラルフは、慌ててそのピンク色の妄想を消し去った。気が早い。まだオーレリアから結婚の承諾ももらっていないのだ。口説いている最中なのである。
目の前の女はどう見ても十五、六ほどの年齢だったが、オーレリアの幼少期に来ていたドレスを思い出していたラルフは、ちょっぴり親近感が芽生えて、困っている彼女に話しかけることにした。どのみちラルフが話しかけなくても、邸の使用人が見つけたら声をかけるだろうし。
「迷ったんですか?」
サンプソン家は広い。ここに慣れていない人間が迷うのは珍しくなく、この女もそんなところだろうと思ったのだ。
女はハッと髪と同じ茶色い目を見開いて、それから急にもじもじしはじめた。
「え、ええっと……その……、ギルバート様に御用があったんですけど、部屋がわからなくなってしまって」
「ああ、ギルバート様のご友人の方ですか」
その割には見ない顔だと思ったけれど、ラルフだってギルバートの交友関係をすべて把握しているわけではない。
どうせクリスの部屋に向かう途中にギルバートの部屋があるのだ。
ラルフは女をギルバートの部屋まで案内してやることにした。
「あの、ここで働いている方ですか?」
女の歩調に合わせてゆっくり歩いていると、彼女がちらちらとこちらを見上げながら訊ねてきた。
「ええ。今日から」
「お名前をお伺いしても?」
「ラルフ・カルフォードです」
「まあ! カルフォード伯爵家の方ですか?」
「そうですが、うちをご存知なんですか?」
サンプソン公爵領で生活している人間の大半はカルフォード伯爵家の名前を知っているだろうし、父はそれなりに交友関係が広いので、領地を出てもその名を知るものは多いだろうが、隣の女が知っているのが少し不思議だった。失礼かもしれないが、来ている服がずいぶんと奇抜であるから、どこかの成金か、貴族だとしても末端のあたりの令嬢かと思っていたのだ。その当主ならいざ知らず、そこの娘が知っているほど、カルフォード伯爵家の名前は有名ではないと思うのだが。
「もちろん知っていますわ!」
女がにこにこと笑うので、ラルフも愛想笑いを返すと、気をよくした彼女はさらに続けた。
「その、ラルフ様はおいくつ何ですか?」
「俺ですか? 十八ですけど」
「ご結婚はなさっていまして?」
「いいえ、独身です」
「まあ、奇遇ですわ! わたくしも独身なんです」
ラルフと同じ独身であることの何が奇遇なのだろうか? 彼女くらいの年齢の女性なら、半数以上が独身者だろう。
十年ほど前までは十六、七歳が女性の結婚適齢期と言われていたが、年々その年齢は上がっていて、今では十九前後が適齢期と言われている。
その背景には、若くして子供を産んだ女性の産後の肥立ちの問題だそうだ。男のラルフにはよくわからないが、早すぎる妊娠と出産は女性の体にかかる負担が大きいらしい。まあ、ラルフだって、十六のときに父親になれと言われたらさすがに戸惑っただろうから、結婚適齢期の上昇はいい傾向ではないかと思う。
変な女だなとラルフは思ったけれど、ここで不用意な発言をして初対面の女性の機嫌を損ねることはしたくない。ギルバートの友人ならばなおさらだ。あとあと面倒くさそうだからである。
「ええ、奇遇ですね」
渾身の愛想笑いで返せば、女が照れたように頬を染めた。やっぱりおかしな女だ。
「あ、つきましたよ。ここがギルバート様の部屋です」
それほど長い時間ではなかったが、なんだかどっと疲れたラルフは、ようやくこれでこの女から解放されるとホッと息をついた。
ラルフが立ち去ろうとすると、ギルバートの部屋の前に立ち尽くした彼女が、彼の背中に向かった声をかけた。
「あの、ラルフ様。……また、お会いできますか?」
正直あまりかかわりたくはなかったが、ギルバートの友人なら否が応でも顔を合わせる機会がるだろう。ラルフは今日から仕事で週に六日もここへ通うのだ。
「ええ」
ラルフは笑みを貼り付けて頷くと、先ほどよりも速足でクリスの部屋へ向かった。これ以上話しかけられたくなかったからだ。
(はあ、ギルバート様の交友関係に口出しする権利はないけど……誰にでも優しいのは考え物じゃないかな)
少なくとも、さっきの女はあまり関わりたくない部類だった。なんかこう、面倒くさそうな気配がぷんぷんする。
クリスの部屋に入る前にちらりとギルバートの部屋の当たりを振り返ったけれど、女はまだそこに立っていた。
ラルフは背筋にゾッとしたものを感じてしまって、慌ててクリスの部屋に駆け込んだのだった。