叔父一家に家を乗っ取られそうなので、今すぐ結婚したいんです!
クリスに仕えて三日。
ラルフは困惑していた。
と言うのも、朝、サンプソン家に到着してすぐ、上官であるハンフリーから急いでクリスの部屋へ向かうように告げられた。
今日の午前中は訓練が入っていたはずなのにどうしたのだろうかと不思議に思いつつクリスの部屋へ行くと、部屋の中にいた彼は珍しく難しい顔をして座っていた。
「どうかしたんですか?」
表情からして何かあったのは間違いなさそうだ。
ラルフが訊ねると、クリスは顔をあげて、ちょいちょいと手招きをした。
ラルフがクリスの座っているソファの対面のソファに座ると、クリスは声を落として言った。
「厄介なことに、お前に縁談が入っている」
「は?」
ラルフは面食らった。
縁談? 今、クリスは縁談と言ったか?
(ちょっと待て、仮に縁談だとして、どうして父上からではなくクリスから聞かされるんだ?)
戸惑っていると、クリスはさらに続けた。
「僕も昨日父上から聞かされたんだ。その子の父は近く伯爵家を継ぐことになり、自分は一人娘だからしかるべき相手と婚約して家を継ぐ準備をしなければならない。だからお前と婚約したいと、そう父上に申し出てきたらしい」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
敬語を使うことも忘れて、ラルフは両手を軽く上げてクリスの言葉を止めた。
「その子が家を継ぐのはわかったが、どうして白羽の矢が立ったのが俺なんだ?」
「その子たっての希望だそうだ」
「意味が解らない!」
「意味が解らないのはこっちだよラルフ。その子が言うには、この邸で迷っていたところを君にとても親切にされたと言うじゃないか。え? いったいいつ知り合いになったんだ? コリーン・ダンニグと!」
「そう言えば迷っている女の子を助けたことが――ちょっと待ってくれ、今、ダンニグと言ったか?」
「ああ。君がほしいと言っている娘は、正真正銘、エイブラム・ダンニグの一人娘だ。お前の想い人を苦しめているあの一家だよ」
ラルフは言葉を失った。
三日前に助けた幼子のような格好をしたあの娘は、オーレリアからバベッチ家を奪い取ろうとしているダンニグ家の娘らしい。
「お前は会ったことがなかったんだろうから仕方がないにしろ……面倒な相手に気に入られて、いったいどうするんだ」
「ど、どうするも何も、その縁談は断るに決まっているじゃないか」
「残念だが、そう簡単には断れないよ」
「どうして⁉」
クリスは大げさにため息を吐いた。
「わかってないね。エイブラム・ダンニグは今まさにオーレリアからバベッチ家を奪い取ろうとしている。彼のやり方は横暴に感じるかもしれないが、ヴァビロア国の法律を破っているわけではないし、むしろ国の方針としては正しいやり方だ。父上はオーレリアのことを不憫に思っているけれど、このままだったらダンニグの要望を通すしかなくなる。だが、彼をバベッチ家の次期当主と認めると、その次にバベッチ家を継ぐ人間に不安が残るんだ。エイブラム・ダンニグのこれまでの暮らしを調べたところ、あちこちに借金は作っているし、まともに定職にもついていない。妻のチェルシーの実家である子爵家の援助でここまでやってこられたみたいだが、エイブラムはともかく、娘のコリーンは、とてもではないが伯爵家を継げるような教育は受けていない。父上的には、エイブラムの父親である先代のバベッチ伯爵がしかるべき教育を施しただろうエイブラムも、能力は知らないが性格的に難があると見て、できる限り早く次の代に伯爵家が渡ってほしいと思っているようだ」
「……つまり?」
ラルフは嫌な予感を覚えつつも、わざと気が付かないふりをして結論を促した。嫌な予感が、勘違いであるようにと心から願いながら。
「コリーン・ダンニグには能力的にも性格的にも信頼できる男と結婚してもらって、早くその男に伯爵家を継いでほしいと考えていると言うことだ。つまり、お前はこれ以上ないほどに適任なんだ。迂闊すぎるだろう、この馬鹿」
嫌な予感的中。
ラルフは両手で頭を抱えた。
「絶対いやだ!」
オーレリアと結婚してバベッチ家を継ぐのはいいけれど、オーレリアから家を奪い取ろうとしているエイブラムの娘と結婚するなんて、死んでもごめんだ。そんなことをすれば、オーレリアがどれほど傷つくか。第一、ラルフはオーレリアを愛しているのだ。彼女以外と結婚したくない。
「一応、僕から、この話はしばらく保留にしてもらうように頼んではいる。父上も、できればオーレリアに早く結婚してもらって彼女とその夫に家を継いでほしいと考えているみたいだから、お前は超特急でオーレリアに結婚を承諾させるんだ!」
「そんなことを言ったって……」
ラルフはオーレリアの気持ちを大切にしたい。彼女が納得した上で選んでほしいと思っている。彼女の中に、「家のために結婚した」という負い目を残したくないのだ。
「悠長に構えていると、オーレリアが手に入らないどころかコリーン・ダンニグと結婚させられて、オーレリアから嫌われるぞ!」
オーレリアから嫌われる。
その一言に、ラルフはこの上ないほどに衝撃を受けてピシリと固まった。
クリスはぐしゃりと髪をかき上げた。
「コリーン・ダンニグには会ったことがあるが、正直、バベッチ伯爵夫人が務まるとは思えない。借金なんて作られたら目も当てられないぞ。僕の代になって領地の税収が激減したなんてことになったら、僕の能力を疑われるじゃないか。何としても、あの一家にバベッチ家が渡るのは防がなくてはならない」
優秀な父を持つと子が苦労すると言うが、サンプソン家が今まさにそれだった。サンプソン公爵はとても優秀で賢い領主で、そのあとを継がなくてはならないクリスは相当な重圧のようだ。ラルフから見ればクリスも充分すぎるほど優秀なのだが、父の背中を見て育った息子としては、父が偉大過ぎて近づける気がしないのだろう。少しでも自分の代の不安材料をなくしたいと思うその気持ちはわかる気がする。
「お前があまりにのんびりしていたら、僕もギルバートを応援せざるを得なくなるぞ。僕も友人であるお前には幸せになってほしいから、こうして助言しているんだ」
クリスはラルフの前に指を一本立てた。
「一か月。これは父上からもぎ取れた最大の猶予だ。それまでにオーレリアを落として、結婚すると約束させろ。そうしなければ、あの家はダンニグ一家の手に渡る」
どうやら、ラルフが思っている以上に時間は残っていないようだ。
一か月と言えば、週に一日しか休みのないラルフがオーレリアと一緒にいられる時間は四日しかない。四日で、どうやって距離をつめろと言うのだろう。
途方に暮れていると、クリスがニヤリと笑った。
「そこでお前にいい仕事をやる。今日から一か月、お前にはバベッチ家の当主代行を命じる。伯爵が他界してから政務も滞り気味のようだからな、いい機会だ、近い将来の勉強だと思って、頑張ってくるといい」
クリスはそう言って、クルクルと丸めた委任状をラルフに向かってポーンと放った。
ラルフは困惑していた。
と言うのも、朝、サンプソン家に到着してすぐ、上官であるハンフリーから急いでクリスの部屋へ向かうように告げられた。
今日の午前中は訓練が入っていたはずなのにどうしたのだろうかと不思議に思いつつクリスの部屋へ行くと、部屋の中にいた彼は珍しく難しい顔をして座っていた。
「どうかしたんですか?」
表情からして何かあったのは間違いなさそうだ。
ラルフが訊ねると、クリスは顔をあげて、ちょいちょいと手招きをした。
ラルフがクリスの座っているソファの対面のソファに座ると、クリスは声を落として言った。
「厄介なことに、お前に縁談が入っている」
「は?」
ラルフは面食らった。
縁談? 今、クリスは縁談と言ったか?
(ちょっと待て、仮に縁談だとして、どうして父上からではなくクリスから聞かされるんだ?)
戸惑っていると、クリスはさらに続けた。
「僕も昨日父上から聞かされたんだ。その子の父は近く伯爵家を継ぐことになり、自分は一人娘だからしかるべき相手と婚約して家を継ぐ準備をしなければならない。だからお前と婚約したいと、そう父上に申し出てきたらしい」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
敬語を使うことも忘れて、ラルフは両手を軽く上げてクリスの言葉を止めた。
「その子が家を継ぐのはわかったが、どうして白羽の矢が立ったのが俺なんだ?」
「その子たっての希望だそうだ」
「意味が解らない!」
「意味が解らないのはこっちだよラルフ。その子が言うには、この邸で迷っていたところを君にとても親切にされたと言うじゃないか。え? いったいいつ知り合いになったんだ? コリーン・ダンニグと!」
「そう言えば迷っている女の子を助けたことが――ちょっと待ってくれ、今、ダンニグと言ったか?」
「ああ。君がほしいと言っている娘は、正真正銘、エイブラム・ダンニグの一人娘だ。お前の想い人を苦しめているあの一家だよ」
ラルフは言葉を失った。
三日前に助けた幼子のような格好をしたあの娘は、オーレリアからバベッチ家を奪い取ろうとしているダンニグ家の娘らしい。
「お前は会ったことがなかったんだろうから仕方がないにしろ……面倒な相手に気に入られて、いったいどうするんだ」
「ど、どうするも何も、その縁談は断るに決まっているじゃないか」
「残念だが、そう簡単には断れないよ」
「どうして⁉」
クリスは大げさにため息を吐いた。
「わかってないね。エイブラム・ダンニグは今まさにオーレリアからバベッチ家を奪い取ろうとしている。彼のやり方は横暴に感じるかもしれないが、ヴァビロア国の法律を破っているわけではないし、むしろ国の方針としては正しいやり方だ。父上はオーレリアのことを不憫に思っているけれど、このままだったらダンニグの要望を通すしかなくなる。だが、彼をバベッチ家の次期当主と認めると、その次にバベッチ家を継ぐ人間に不安が残るんだ。エイブラム・ダンニグのこれまでの暮らしを調べたところ、あちこちに借金は作っているし、まともに定職にもついていない。妻のチェルシーの実家である子爵家の援助でここまでやってこられたみたいだが、エイブラムはともかく、娘のコリーンは、とてもではないが伯爵家を継げるような教育は受けていない。父上的には、エイブラムの父親である先代のバベッチ伯爵がしかるべき教育を施しただろうエイブラムも、能力は知らないが性格的に難があると見て、できる限り早く次の代に伯爵家が渡ってほしいと思っているようだ」
「……つまり?」
ラルフは嫌な予感を覚えつつも、わざと気が付かないふりをして結論を促した。嫌な予感が、勘違いであるようにと心から願いながら。
「コリーン・ダンニグには能力的にも性格的にも信頼できる男と結婚してもらって、早くその男に伯爵家を継いでほしいと考えていると言うことだ。つまり、お前はこれ以上ないほどに適任なんだ。迂闊すぎるだろう、この馬鹿」
嫌な予感的中。
ラルフは両手で頭を抱えた。
「絶対いやだ!」
オーレリアと結婚してバベッチ家を継ぐのはいいけれど、オーレリアから家を奪い取ろうとしているエイブラムの娘と結婚するなんて、死んでもごめんだ。そんなことをすれば、オーレリアがどれほど傷つくか。第一、ラルフはオーレリアを愛しているのだ。彼女以外と結婚したくない。
「一応、僕から、この話はしばらく保留にしてもらうように頼んではいる。父上も、できればオーレリアに早く結婚してもらって彼女とその夫に家を継いでほしいと考えているみたいだから、お前は超特急でオーレリアに結婚を承諾させるんだ!」
「そんなことを言ったって……」
ラルフはオーレリアの気持ちを大切にしたい。彼女が納得した上で選んでほしいと思っている。彼女の中に、「家のために結婚した」という負い目を残したくないのだ。
「悠長に構えていると、オーレリアが手に入らないどころかコリーン・ダンニグと結婚させられて、オーレリアから嫌われるぞ!」
オーレリアから嫌われる。
その一言に、ラルフはこの上ないほどに衝撃を受けてピシリと固まった。
クリスはぐしゃりと髪をかき上げた。
「コリーン・ダンニグには会ったことがあるが、正直、バベッチ伯爵夫人が務まるとは思えない。借金なんて作られたら目も当てられないぞ。僕の代になって領地の税収が激減したなんてことになったら、僕の能力を疑われるじゃないか。何としても、あの一家にバベッチ家が渡るのは防がなくてはならない」
優秀な父を持つと子が苦労すると言うが、サンプソン家が今まさにそれだった。サンプソン公爵はとても優秀で賢い領主で、そのあとを継がなくてはならないクリスは相当な重圧のようだ。ラルフから見ればクリスも充分すぎるほど優秀なのだが、父の背中を見て育った息子としては、父が偉大過ぎて近づける気がしないのだろう。少しでも自分の代の不安材料をなくしたいと思うその気持ちはわかる気がする。
「お前があまりにのんびりしていたら、僕もギルバートを応援せざるを得なくなるぞ。僕も友人であるお前には幸せになってほしいから、こうして助言しているんだ」
クリスはラルフの前に指を一本立てた。
「一か月。これは父上からもぎ取れた最大の猶予だ。それまでにオーレリアを落として、結婚すると約束させろ。そうしなければ、あの家はダンニグ一家の手に渡る」
どうやら、ラルフが思っている以上に時間は残っていないようだ。
一か月と言えば、週に一日しか休みのないラルフがオーレリアと一緒にいられる時間は四日しかない。四日で、どうやって距離をつめろと言うのだろう。
途方に暮れていると、クリスがニヤリと笑った。
「そこでお前にいい仕事をやる。今日から一か月、お前にはバベッチ家の当主代行を命じる。伯爵が他界してから政務も滞り気味のようだからな、いい機会だ、近い将来の勉強だと思って、頑張ってくるといい」
クリスはそう言って、クルクルと丸めた委任状をラルフに向かってポーンと放った。