叔父一家に家を乗っ取られそうなので、今すぐ結婚したいんです!
「あー……逃げられた」
オーレリアが部屋から飛び出していくと、ラルフはぽりぽりと頬を掻いた。
クリスから提示された期限は一か月。この一か月の間に、何としてもオーレリアにラルフを意識させなければと思ったのだが、さすがに距離をつめすぎたようだ。
「あと三センチだったのに……」
オーレリアの飲みかけのグラスにそっと触れる。中身はほとんど減っていなかったが、アルコールの入ったオーレリアの頬はピンク色に上気して、心なしか目がとろんとしていて、めちゃくちゃ可愛かった。
ウイスキーで濡れた唇が何ともなまめかしくて、キスしたくなったラルフは悪くない。だって考えても見てほしい。好きな女がトロンとした顔で隣に座っていたら、その唇を奪いたくなっても仕方がないだろう?
(あいつ、無防備すぎるんだよ)
一応、ラルフのことを意識して、多少なりとも警戒しているような気がするが、ラルフから言わせればまだまだ無防備だ。
ウサギのぬいぐるみを抱きしめてくれと頼めば素直に抱きしめるし、あの可愛さはどうしたらいいのだろう。
いっそ誰にも見られないように、大切に大切に閉じ込めてしまいたい。
(やっぱでかいぬいぐるみ、買おう……)
クリスから白い目を向けられようと、オーレリアにはぬいぐるみが似合う。
明るくて可愛いオーレリア。ずっとずっと好きだったオーレリア。彼女は誰にも渡したくない。
忍耐力には自信がある。けれど、我慢して人に奪われるのなら話は別だ。
少なくともオーレリアはラルフのことを意識している。ならば、この一か月で、オーレリアの頭の中をラルフでいっぱいにしたい。そうすれば求婚を受け入れてくれるはずだ。
ラルフはグラスの中のウイスキーを一気にあおって立ち上がった。
まだ髪が半乾きだが面倒くさいのでもういいやと、ベッドにもぐりこむ。
寝るには少し早いが、さっきの可愛いオーレリアの姿が瞼の裏に焼き付いている間に眠れば、幸せな夢が見られる気がした。
枕をオーレリアに見立ててぎゅっと抱きしめたラルフは、そのまま幸せな眠りの中に落ちて行ったのだった。
☆
ラルフが変だ。
いや、変わったというのかもしれない。
「オーレリア、おはよう。今日も可愛いな」
「………………」
ラルフが来て五日。
彼がここに来てからと言うもの、なぜかラルフの毎朝の挨拶に「今日も可愛いな」の余分な一言がつけ加えられるようになった。
もちろん、それだけではない。
執務の休憩中は必ず会いに来て、晴れていたら庭の散歩に誘われる。
バベッチ家の庭はサンプソン家の広大な庭に比べると豆粒みたいに小さいが、それでもゆっくり歩いて一周すると、十分ほどはかかる散歩コースになる。
その間、ラルフはオーレリアの手を自分のそれとぎゅっとつないで、決して離さない。
散歩以外にも、ティータイムは必ず一緒に過ごし、その際にはオーレリアの隣にぴったりとくっついて座る。オーレリアが幸せそうにお菓子を頬張る姿を見ては、「可愛いな」の連発。
朝食も昼食も夕食ももちろん一緒に食べるし、その際にオーレリアの好物が出たら、ラルフはそれとなくオーレリアの皿に自分の分を移してくれたりする。
夜寝る前にはオーレリアの部屋に遊びに来て、他愛ない話をし、油断していると額にお休みのキスをされる。
(絶対おかしい……)
今までのラルフは、こんなことはしなかった。
ラルフは昔から優しいけれど、何というか、ここに来てからのラルフは――そう、甘い。甘々だ。砂糖菓子みたい。
ラルフのこの変貌は、彼がオーレリアに求婚したことと関係があるのだろうが、それにしても変わりすぎだ。
(一昨日なんて、すっごく大きなウサギのぬいぐるみが届いたし)
子供の背丈ほどもある大きさだった。ふわっふわで気持ちよかったけれど、オーレリアはもう十七歳。ぬいぐるみをプレゼントされる年ではない。
ラルフはオーレリアにぬいぐるみを持たせては満足そうに頷いて、それは俺だと思ってベッドにおいてくれと宣った。
ラルフがそんな変なことを言うから、彼の希望通りにベッドに置いているものの、どうしてもそれがラルフに思えてちょっとドキドキしてしまう。
(変なラルフ。絶対、変。……なんか、新婚夫婦みたい)
そこまで考えて、オーレリアはボッと赤くなった。
顔の熱を冷まそうと手でぱたぱた仰いでいると、朝の日課のそぶりを終えたラルフが庭から戻ってくる。
護衛官らしく、彼は毎朝素振りを欠かさない。素振りの際は上半身裸になるので、汗をかいたラルフが玄関から入ってきたのを見たオーレリアは、もっと赤くなってしまった。
「ラルフっ、服着てよ!」
胸筋とか、上腕二頭筋とか、割れた腹筋とかが視界に飛び込んで、オーレリアは両手で顔を覆った。
何故上半身裸のままで家の中に入ってくるのだ。ボタンを止めなくてもいいからせめてシャツを羽織ってほしい。
(前からちょっと思ってたけど、ラルフ、筋肉凄い……)
着やせするタイプらしく、服を着ているときはそれほど筋肉質だと思わないのだが、やっぱり肩幅はあるし、二の腕も太いし、腹筋はバキバキだ。あんなの、直視できない。
「いや、どうせ今から汗流してくるし」
脱ぐんだから着る必要もないだろうなどとラルフは言うが、そう言う問題ではないのだ。
ラルフはすれ違いざまにオーレリアの頭をポンと撫でて、二歩ほど進んだところでニヤリと笑って振り返った。
「そうだ、一緒に入るか?」
「へ⁉」
「子供のころ、何度か一緒に風呂に入ったろ?」
それはせいぜい三、四歳までのことだ。記憶の片隅にそんなこともあったなくらいに朧気に覚えている程度の、昔々のことである。
「わ、わたしが、いいいいくつだと思ってるのよ!」
断固拒否すると、ラルフが肩を揺らして笑いながら、入浴して着替えるために階段を上っていく。
「残念、また今度」
(また今度ってなに⁉)
今度も何も、そんな機会は永遠に来ない。いや、来させない!
全身ゆでだこのように真っ赤に染まったオーレリアは、ラルフの背中に向かって大声で叫んだ。
「信じられない、ばかラルフ‼」
(もうもうバカバカ! 信じられないっ)
ラルフの早朝鍛錬の後、ダイニングで一緒に朝食を取りながら、オーレリアはじっとりと目の前に座る彼を睨みつけた。
汗を流して白いシャツを着たラルフは、鍛錬のあとで腹がすいているのか、目の前の食事をもりもり食べている。
ラルフはクリスの護衛官を仕事に選んだけれど、書類仕事も有能で、執務室にたまっていた書類の大半がすでに片付けられたらしい。
オーレリアは知らなかったが、近くの村から農業用のため池を作ってほしいと申請が上がっていたらしく、ラルフは明日にでもその村を視察に行くそうだ。
もともとラルフはバベッチ家の使用人たちにもウケがよかったが、最近ではオーレリアとラルフが結婚すると勘違いしたメイドの一部が、「お嬢様とラルフ様がご結婚なさったら、バベッチ家も安泰ですね!」などと言い出す始末だ。そのたびにオーレリアは赤くなって返答に困ってしまうからやめてほしいのに、メイド頭であるドーラも、彼女たちに好きに言わせていて咎める様子はない。むしろ、ドーラまで「ラルフ様はお嬢様をとても大切になさっていますから、おすすめです」と言うのだ。我が家にはラルフの味方しかいないらしい。
(別にさ、ラルフが嫌って言うんじゃないんだけど……)
家族を失って、急にいろいろなことが変わりはじめて――ラルフだけは変わらないと思っていたのに彼も変わってしまったようで、心が追いつかない。
それに、ギルバートのこともある。ラルフを選べばギルバートの求婚はお断りしなくては行けなくて、その逆も然りで、どちらを選んでも大切な人を一人失ってしまうようで怖いのだ。
ラルフがもっと早く求婚してくれればよかったのに。そうしたらオーレリアだって――
そこまで考えて、オーレリアはハッとした。
(やだ、わたし、何を考えようとしていたの?)
これではまるで、本当はラルフを選びたいのに選べないと、そう思っているようなものだ。
(違うわ、違う違う! ラルフは大切な家族だもの! 今のはなしなし!)
オーレリアは大口を開けて、もぐっとクロワッサンにかじりつく。
「いい食べっぷりだなあ」
大きな口を開けてパンにかじりつくなんて、伯爵令嬢としては不合格のはずなのに、ラルフがそう言って笑った。
「食欲が出てきたみたいでよかったな」
「……うぅ」
見られた。目の前にいるのだから当たり前だが、見られてしまった。
オーレリアだって、普段はちゃんとお上品に食べるのだ。ただ余計なことを考えてしまったせいで頭の中がぐるぐるして、ついお上品さを忘れてしまっただけで。
オーレリアの両親は些事にこだわるような性格ではなかったので、オーレリアはのびのびと育てられた。もちろん、人前でのマナーはきちんとしつけられたけれど、人前でなければかなり目こぼしをもらっていて――その癖が、ついぽろっと出てしまったのだ。ラルフにはお上品でないオーレリアなんて今更かもしれないけれど、どうしてか、今のラルフには見られたくなかった。
「オレンジ食べるか?」
「…………うん」
ラルフが自分の皿にあったオレンジを差し出してきたので、オーレリアは素直に受け取る。一番好きなのはイチゴだが、オレンジも大好きだ。というか、フルーツはどれも好き。
オレンジをもらった代わりに、ラルフには残していたソーセージをあげると、彼は「ありがとな」と言って皿ごと受け取った。
家族が死んでから、一人ぼっちで食べることが多かったので、正直、ラルフがここで生活するようになって、一緒に食事を取ってくれて、とても嬉しい。
ラルフがここで執務の代行を行ってくれるのは一か月だけだというが、もしラルフと結婚したら、こんな日々が日常になるのだろうか。
(ラルフと結婚するって決めたわけじゃないけど、……それはなんだかとても、幸せな気がするわ)
ラルフからもらったオレンジを頬張って、オーレリアはそう思った。
オーレリアが部屋から飛び出していくと、ラルフはぽりぽりと頬を掻いた。
クリスから提示された期限は一か月。この一か月の間に、何としてもオーレリアにラルフを意識させなければと思ったのだが、さすがに距離をつめすぎたようだ。
「あと三センチだったのに……」
オーレリアの飲みかけのグラスにそっと触れる。中身はほとんど減っていなかったが、アルコールの入ったオーレリアの頬はピンク色に上気して、心なしか目がとろんとしていて、めちゃくちゃ可愛かった。
ウイスキーで濡れた唇が何ともなまめかしくて、キスしたくなったラルフは悪くない。だって考えても見てほしい。好きな女がトロンとした顔で隣に座っていたら、その唇を奪いたくなっても仕方がないだろう?
(あいつ、無防備すぎるんだよ)
一応、ラルフのことを意識して、多少なりとも警戒しているような気がするが、ラルフから言わせればまだまだ無防備だ。
ウサギのぬいぐるみを抱きしめてくれと頼めば素直に抱きしめるし、あの可愛さはどうしたらいいのだろう。
いっそ誰にも見られないように、大切に大切に閉じ込めてしまいたい。
(やっぱでかいぬいぐるみ、買おう……)
クリスから白い目を向けられようと、オーレリアにはぬいぐるみが似合う。
明るくて可愛いオーレリア。ずっとずっと好きだったオーレリア。彼女は誰にも渡したくない。
忍耐力には自信がある。けれど、我慢して人に奪われるのなら話は別だ。
少なくともオーレリアはラルフのことを意識している。ならば、この一か月で、オーレリアの頭の中をラルフでいっぱいにしたい。そうすれば求婚を受け入れてくれるはずだ。
ラルフはグラスの中のウイスキーを一気にあおって立ち上がった。
まだ髪が半乾きだが面倒くさいのでもういいやと、ベッドにもぐりこむ。
寝るには少し早いが、さっきの可愛いオーレリアの姿が瞼の裏に焼き付いている間に眠れば、幸せな夢が見られる気がした。
枕をオーレリアに見立ててぎゅっと抱きしめたラルフは、そのまま幸せな眠りの中に落ちて行ったのだった。
☆
ラルフが変だ。
いや、変わったというのかもしれない。
「オーレリア、おはよう。今日も可愛いな」
「………………」
ラルフが来て五日。
彼がここに来てからと言うもの、なぜかラルフの毎朝の挨拶に「今日も可愛いな」の余分な一言がつけ加えられるようになった。
もちろん、それだけではない。
執務の休憩中は必ず会いに来て、晴れていたら庭の散歩に誘われる。
バベッチ家の庭はサンプソン家の広大な庭に比べると豆粒みたいに小さいが、それでもゆっくり歩いて一周すると、十分ほどはかかる散歩コースになる。
その間、ラルフはオーレリアの手を自分のそれとぎゅっとつないで、決して離さない。
散歩以外にも、ティータイムは必ず一緒に過ごし、その際にはオーレリアの隣にぴったりとくっついて座る。オーレリアが幸せそうにお菓子を頬張る姿を見ては、「可愛いな」の連発。
朝食も昼食も夕食ももちろん一緒に食べるし、その際にオーレリアの好物が出たら、ラルフはそれとなくオーレリアの皿に自分の分を移してくれたりする。
夜寝る前にはオーレリアの部屋に遊びに来て、他愛ない話をし、油断していると額にお休みのキスをされる。
(絶対おかしい……)
今までのラルフは、こんなことはしなかった。
ラルフは昔から優しいけれど、何というか、ここに来てからのラルフは――そう、甘い。甘々だ。砂糖菓子みたい。
ラルフのこの変貌は、彼がオーレリアに求婚したことと関係があるのだろうが、それにしても変わりすぎだ。
(一昨日なんて、すっごく大きなウサギのぬいぐるみが届いたし)
子供の背丈ほどもある大きさだった。ふわっふわで気持ちよかったけれど、オーレリアはもう十七歳。ぬいぐるみをプレゼントされる年ではない。
ラルフはオーレリアにぬいぐるみを持たせては満足そうに頷いて、それは俺だと思ってベッドにおいてくれと宣った。
ラルフがそんな変なことを言うから、彼の希望通りにベッドに置いているものの、どうしてもそれがラルフに思えてちょっとドキドキしてしまう。
(変なラルフ。絶対、変。……なんか、新婚夫婦みたい)
そこまで考えて、オーレリアはボッと赤くなった。
顔の熱を冷まそうと手でぱたぱた仰いでいると、朝の日課のそぶりを終えたラルフが庭から戻ってくる。
護衛官らしく、彼は毎朝素振りを欠かさない。素振りの際は上半身裸になるので、汗をかいたラルフが玄関から入ってきたのを見たオーレリアは、もっと赤くなってしまった。
「ラルフっ、服着てよ!」
胸筋とか、上腕二頭筋とか、割れた腹筋とかが視界に飛び込んで、オーレリアは両手で顔を覆った。
何故上半身裸のままで家の中に入ってくるのだ。ボタンを止めなくてもいいからせめてシャツを羽織ってほしい。
(前からちょっと思ってたけど、ラルフ、筋肉凄い……)
着やせするタイプらしく、服を着ているときはそれほど筋肉質だと思わないのだが、やっぱり肩幅はあるし、二の腕も太いし、腹筋はバキバキだ。あんなの、直視できない。
「いや、どうせ今から汗流してくるし」
脱ぐんだから着る必要もないだろうなどとラルフは言うが、そう言う問題ではないのだ。
ラルフはすれ違いざまにオーレリアの頭をポンと撫でて、二歩ほど進んだところでニヤリと笑って振り返った。
「そうだ、一緒に入るか?」
「へ⁉」
「子供のころ、何度か一緒に風呂に入ったろ?」
それはせいぜい三、四歳までのことだ。記憶の片隅にそんなこともあったなくらいに朧気に覚えている程度の、昔々のことである。
「わ、わたしが、いいいいくつだと思ってるのよ!」
断固拒否すると、ラルフが肩を揺らして笑いながら、入浴して着替えるために階段を上っていく。
「残念、また今度」
(また今度ってなに⁉)
今度も何も、そんな機会は永遠に来ない。いや、来させない!
全身ゆでだこのように真っ赤に染まったオーレリアは、ラルフの背中に向かって大声で叫んだ。
「信じられない、ばかラルフ‼」
(もうもうバカバカ! 信じられないっ)
ラルフの早朝鍛錬の後、ダイニングで一緒に朝食を取りながら、オーレリアはじっとりと目の前に座る彼を睨みつけた。
汗を流して白いシャツを着たラルフは、鍛錬のあとで腹がすいているのか、目の前の食事をもりもり食べている。
ラルフはクリスの護衛官を仕事に選んだけれど、書類仕事も有能で、執務室にたまっていた書類の大半がすでに片付けられたらしい。
オーレリアは知らなかったが、近くの村から農業用のため池を作ってほしいと申請が上がっていたらしく、ラルフは明日にでもその村を視察に行くそうだ。
もともとラルフはバベッチ家の使用人たちにもウケがよかったが、最近ではオーレリアとラルフが結婚すると勘違いしたメイドの一部が、「お嬢様とラルフ様がご結婚なさったら、バベッチ家も安泰ですね!」などと言い出す始末だ。そのたびにオーレリアは赤くなって返答に困ってしまうからやめてほしいのに、メイド頭であるドーラも、彼女たちに好きに言わせていて咎める様子はない。むしろ、ドーラまで「ラルフ様はお嬢様をとても大切になさっていますから、おすすめです」と言うのだ。我が家にはラルフの味方しかいないらしい。
(別にさ、ラルフが嫌って言うんじゃないんだけど……)
家族を失って、急にいろいろなことが変わりはじめて――ラルフだけは変わらないと思っていたのに彼も変わってしまったようで、心が追いつかない。
それに、ギルバートのこともある。ラルフを選べばギルバートの求婚はお断りしなくては行けなくて、その逆も然りで、どちらを選んでも大切な人を一人失ってしまうようで怖いのだ。
ラルフがもっと早く求婚してくれればよかったのに。そうしたらオーレリアだって――
そこまで考えて、オーレリアはハッとした。
(やだ、わたし、何を考えようとしていたの?)
これではまるで、本当はラルフを選びたいのに選べないと、そう思っているようなものだ。
(違うわ、違う違う! ラルフは大切な家族だもの! 今のはなしなし!)
オーレリアは大口を開けて、もぐっとクロワッサンにかじりつく。
「いい食べっぷりだなあ」
大きな口を開けてパンにかじりつくなんて、伯爵令嬢としては不合格のはずなのに、ラルフがそう言って笑った。
「食欲が出てきたみたいでよかったな」
「……うぅ」
見られた。目の前にいるのだから当たり前だが、見られてしまった。
オーレリアだって、普段はちゃんとお上品に食べるのだ。ただ余計なことを考えてしまったせいで頭の中がぐるぐるして、ついお上品さを忘れてしまっただけで。
オーレリアの両親は些事にこだわるような性格ではなかったので、オーレリアはのびのびと育てられた。もちろん、人前でのマナーはきちんとしつけられたけれど、人前でなければかなり目こぼしをもらっていて――その癖が、ついぽろっと出てしまったのだ。ラルフにはお上品でないオーレリアなんて今更かもしれないけれど、どうしてか、今のラルフには見られたくなかった。
「オレンジ食べるか?」
「…………うん」
ラルフが自分の皿にあったオレンジを差し出してきたので、オーレリアは素直に受け取る。一番好きなのはイチゴだが、オレンジも大好きだ。というか、フルーツはどれも好き。
オレンジをもらった代わりに、ラルフには残していたソーセージをあげると、彼は「ありがとな」と言って皿ごと受け取った。
家族が死んでから、一人ぼっちで食べることが多かったので、正直、ラルフがここで生活するようになって、一緒に食事を取ってくれて、とても嬉しい。
ラルフがここで執務の代行を行ってくれるのは一か月だけだというが、もしラルフと結婚したら、こんな日々が日常になるのだろうか。
(ラルフと結婚するって決めたわけじゃないけど、……それはなんだかとても、幸せな気がするわ)
ラルフからもらったオレンジを頬張って、オーレリアはそう思った。