叔父一家に家を乗っ取られそうなので、今すぐ結婚したいんです!
オーレリアの様子がおかしい。
夕方になって、視察から帰ったラルフは、すぐに大切な幼馴染の異変に気が付いた。
ラルフに「おかえりなさい」と笑顔を向けてくれるけれど、どこか浮かない顔をしている。
それは夕食の時になっても変わらず、気になったラルフは、夜にオーレリアの部屋を訪ねることにした。
扉をノックすると、少し間があって、小さく扉が開く。隙間から顔をのぞかせたオーレリアの目が赤くなっていることに気が付いたラルフは、オーレリアが何かを言う前に扉の隙間に手を差し込むと、強引に押し開けた。
「泣いてたのか?」
オーレリアはパッと顔をそむけた。
家族を失ってずっと泣いていたオーレリアだが、最近になってようやく落ち着いたと思ってきた。それなのに、ラルフの知らないところで泣いていたなんて――心中穏やかではいられない。
頬を両手で挟んで、無理やり顔をあげさせる。
オーレリアは抵抗しなかった。
「目が赤い。やっぱり泣いてたんだな。どうした? 悲しくなったのか?」
オーレリアはまるで悪戯に気が付かれた子供の用にぷっと頬を膨らませた。
「泣いてないもん」
「嘘をつくな」
「……欠伸したら涙が出ただけだもん」
「んなわけねーだろ」
珍しく意固地になるオーレリアに、やっぱりこれは何かあったなと確信する。
オーレリアをソファに座らせて隣に腰を下ろすと、柔らかくてすべすべしている彼女のほっぺをふにっと軽く引っ張った。
「何があった?」
「何もない」
「だから嘘をつくな。お前は全部顔に出るんだから、誤魔化そうったって無理だぞ」
白状しろと言えば、なぜかじろりと睨まれる。
(なんでそんな目を向けてくるんだ?)
まるでラルフが何か悪いことをしたみたいだ。解せない。
オーレリアはまたぷうっと頬を膨らませると、上目づかいにラルフを睨んだまま、拗ねたような口ぶりで言った。
「ラルフ、コリーンとの結婚話が出てるんだって?」
「は⁉ ちょっと待て、どこでそれを聞いた!」
「やっぱりほんとなんだ……」
むうっとオーレリアの眉間にしわが寄る。
ラルフは慌てた。
「だから待ってくれ! それは勝手にあっちが言い出したことで、俺は結婚するつもりはないし、第一お前に求婚したことを忘れたのかよ」
オーレリアに結婚を断られた場合、断れない可能性が残ることを伏せつつ、ラルフが言えば、オーレリアは拗ねた顔のままちょっぴり赤くなった。……どうしよう、めちゃくちゃ可愛い。
「それは……覚えてるけど……でも……」
「でも、何だよ。俺が信じられないの?」
「そうじゃないけど……だって……」
「というか、いつどこで聞いたんだよそれ」
「………………今日。コリーンがここに来て、ラルフと結婚するんだって言ってた」
「はあ⁉」
ラルフは唖然とした。エイブラム・ダンニグがサンプソン公爵にコリーンとラルフの縁談話をしたことは本当だが、あれはクリスの英断で保留扱いになっているはずだ。承諾した覚えはこれっぽっちもない。
(ふざけんなよ!)
しかもさもラルフが縁談を受け入れたかのようにオーレリアに告げに来るなど、正気の沙汰とは思えない。ましてやそれでオーレリアが泣いていたとあれば余計だ。
(……と言うか、俺が他の女と結婚すると思って泣いてたのか)
オーレリアがコリーンの嘘で泣かされたことは腹立たしいけれど、その涙はラルフを思って流されたものだと思うとどうしてか、ちょっぴり気分がよかった。言えばオーレリアが怒るだろうから言わないけれど、もしかしなくてもこれは、嫉妬ではなかろうか。
(ああ、もう、この可愛い生き物はなんなんだよ)
今すぐぎゅうぎゅうに抱きしめて頬ずりして顔中にキスしたい。たまらなく可愛い。そのふくれっ面とか最高だ。
「なあ…………抱きしめていい?」
「は⁉」
オーレリアがギョッと目を見開いた。
思わず腰を浮かせかけたオーレリアを、強引に腕の中に引き寄せる。
ほのかに香る、香水ではない花の香り。香油かシャボンの香りだろう。ぞくぞくする。
オーレリアが腕の中で身じろぎするも、抵抗にもならないくらいの僅かな力なので無視することにした。
「なあ、オーレリア、俺が他の女と結婚すると思って、嫌な気持ちになったんだろ?」
「……何言ってるの?」
「だって泣いてたじゃないか。そう言うことだろう?」
オーレリアは是とも否とも言わなかったが、白い耳が赤くなっていた。たまらなくなって赤い耳にちゅっと口づけると、その肩がビクッと震える。
「オーレリア……結婚しよう?」
オーレリアは長い沈黙を落としたけれど、やがておずおずと腕の中で顔をあげると、潤んだ目でラルフを見上げて、消え入りそうな小さな声で言った。
「……返事は……一日待って」
まさかオーレリアがそんなことを言うとは思わなかったから、ラルフは小さく息を呑んで、そして力いっぱいオーレリアを抱きしめる。
「いい返事を期待してるから」
腕の中でオーレリアが「苦しい」と文句を言ったけれど、もうしばらくの間、ラルフは彼女を解放してやることはできそうもなかった。
☆
――なあ、オーレリア、俺が他の女と結婚すると思って、嫌な気持ちになったんだろ?
ラルフにそう言われたとき、オーレリアの中に、何かがすとんと落ちてきた。
確かに嫌だった。ラルフがコリーンと結婚するのを見たくないと思った。
帰ってきたラルフの顔を見たら、その嫌な未来を想像したら、どうしようもなく泣きたくなって、一人になった瞬間に涙があふれてきたのだ。
泣きながら、どうして自分が泣いているのか、よくわからなかった。
ラルフはオーレリアを裏切らない。コリーンと結婚なんてしない。そんなこと、オーレリアが一番よくわかっている。
それなのにどうして泣いているのだろうかと、オーレリアは自分の感情を持て余した。
そんな時ラルフが部屋に訪ねてきて、急いで涙を拭ったけれど気づかれて、よくわからないけど抱きしめられて、そしてそんなことを言われた瞬間、ああそうだったのかと、馬鹿馬鹿しいほどあっさり、オーレリアの中に答えが降って来たのだ。
相手がコリーンだから嫌なのじゃない。
ラルフを誰にもとられたくないのだ。
取られないとわかっていても、そんな未来を示唆されることすら嫌で。
ラルフは大切な家族で兄のような存在だと、よく言ったものだと思った。
違うのだ。オーレリアは、ラルフをほかの女性に取られたくない。ずっとそばにいてほしい。この感情は、兄に対するものとは明らかに違う。
もともとギルバートに求婚するつもりだった。だったら彼から求婚された時にこれ幸いと受ければよかったのに、それができなかったのはラルフが求婚してきたから。
その瞬間に、たぶん、オーレリアは自分が知らないところで、心の底に眠っていたラルフへの気持ちに気が付いたのだと思う。
それなのにいつまでもラルフは家族だ、兄だと自分に言い聞かせていた。ほかの女性に取られたくなんてないくせに、そんなことにも気づかずに。
(ラルフがいい)
この先ずっと一緒に生きていく人は、ラルフがいい。隣にいる人は、彼以外想像できないから。
一日待ってほしい、とラルフに頼んだ。
答えは出ていたけれど、その前にギルバートに話をしなくては。
たぶん、ギルバートはオーレリアの気持ちに気づいていたのだと思う。彼が本気でオーレリアに求婚するならば、父であるサンプソン公爵に通してしまえばそれで終わっただけの話なのだ。領主命令なら、オーレリアに拒否権はないから。
オーレリアの心を最大限に尊重してくれたギルバートには誠実に向き合わなくては。
ラルフに答えを返す前に、彼にきちんと自分の気持ちを伝えなくてはならない。
しばらくの間オーレリアを抱きしめたままだったラルフが部屋から去ると、オーレリアは隣の寝室へ向かった。
ぽすりとベッドに横になると、大きなウサギのぬいぐるみが隣にいる。
俺だと思ってほしいと言ってラルフから贈られたウサギのぬいぐるみ。
オーレリアはぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、目を閉じた。
夕方になって、視察から帰ったラルフは、すぐに大切な幼馴染の異変に気が付いた。
ラルフに「おかえりなさい」と笑顔を向けてくれるけれど、どこか浮かない顔をしている。
それは夕食の時になっても変わらず、気になったラルフは、夜にオーレリアの部屋を訪ねることにした。
扉をノックすると、少し間があって、小さく扉が開く。隙間から顔をのぞかせたオーレリアの目が赤くなっていることに気が付いたラルフは、オーレリアが何かを言う前に扉の隙間に手を差し込むと、強引に押し開けた。
「泣いてたのか?」
オーレリアはパッと顔をそむけた。
家族を失ってずっと泣いていたオーレリアだが、最近になってようやく落ち着いたと思ってきた。それなのに、ラルフの知らないところで泣いていたなんて――心中穏やかではいられない。
頬を両手で挟んで、無理やり顔をあげさせる。
オーレリアは抵抗しなかった。
「目が赤い。やっぱり泣いてたんだな。どうした? 悲しくなったのか?」
オーレリアはまるで悪戯に気が付かれた子供の用にぷっと頬を膨らませた。
「泣いてないもん」
「嘘をつくな」
「……欠伸したら涙が出ただけだもん」
「んなわけねーだろ」
珍しく意固地になるオーレリアに、やっぱりこれは何かあったなと確信する。
オーレリアをソファに座らせて隣に腰を下ろすと、柔らかくてすべすべしている彼女のほっぺをふにっと軽く引っ張った。
「何があった?」
「何もない」
「だから嘘をつくな。お前は全部顔に出るんだから、誤魔化そうったって無理だぞ」
白状しろと言えば、なぜかじろりと睨まれる。
(なんでそんな目を向けてくるんだ?)
まるでラルフが何か悪いことをしたみたいだ。解せない。
オーレリアはまたぷうっと頬を膨らませると、上目づかいにラルフを睨んだまま、拗ねたような口ぶりで言った。
「ラルフ、コリーンとの結婚話が出てるんだって?」
「は⁉ ちょっと待て、どこでそれを聞いた!」
「やっぱりほんとなんだ……」
むうっとオーレリアの眉間にしわが寄る。
ラルフは慌てた。
「だから待ってくれ! それは勝手にあっちが言い出したことで、俺は結婚するつもりはないし、第一お前に求婚したことを忘れたのかよ」
オーレリアに結婚を断られた場合、断れない可能性が残ることを伏せつつ、ラルフが言えば、オーレリアは拗ねた顔のままちょっぴり赤くなった。……どうしよう、めちゃくちゃ可愛い。
「それは……覚えてるけど……でも……」
「でも、何だよ。俺が信じられないの?」
「そうじゃないけど……だって……」
「というか、いつどこで聞いたんだよそれ」
「………………今日。コリーンがここに来て、ラルフと結婚するんだって言ってた」
「はあ⁉」
ラルフは唖然とした。エイブラム・ダンニグがサンプソン公爵にコリーンとラルフの縁談話をしたことは本当だが、あれはクリスの英断で保留扱いになっているはずだ。承諾した覚えはこれっぽっちもない。
(ふざけんなよ!)
しかもさもラルフが縁談を受け入れたかのようにオーレリアに告げに来るなど、正気の沙汰とは思えない。ましてやそれでオーレリアが泣いていたとあれば余計だ。
(……と言うか、俺が他の女と結婚すると思って泣いてたのか)
オーレリアがコリーンの嘘で泣かされたことは腹立たしいけれど、その涙はラルフを思って流されたものだと思うとどうしてか、ちょっぴり気分がよかった。言えばオーレリアが怒るだろうから言わないけれど、もしかしなくてもこれは、嫉妬ではなかろうか。
(ああ、もう、この可愛い生き物はなんなんだよ)
今すぐぎゅうぎゅうに抱きしめて頬ずりして顔中にキスしたい。たまらなく可愛い。そのふくれっ面とか最高だ。
「なあ…………抱きしめていい?」
「は⁉」
オーレリアがギョッと目を見開いた。
思わず腰を浮かせかけたオーレリアを、強引に腕の中に引き寄せる。
ほのかに香る、香水ではない花の香り。香油かシャボンの香りだろう。ぞくぞくする。
オーレリアが腕の中で身じろぎするも、抵抗にもならないくらいの僅かな力なので無視することにした。
「なあ、オーレリア、俺が他の女と結婚すると思って、嫌な気持ちになったんだろ?」
「……何言ってるの?」
「だって泣いてたじゃないか。そう言うことだろう?」
オーレリアは是とも否とも言わなかったが、白い耳が赤くなっていた。たまらなくなって赤い耳にちゅっと口づけると、その肩がビクッと震える。
「オーレリア……結婚しよう?」
オーレリアは長い沈黙を落としたけれど、やがておずおずと腕の中で顔をあげると、潤んだ目でラルフを見上げて、消え入りそうな小さな声で言った。
「……返事は……一日待って」
まさかオーレリアがそんなことを言うとは思わなかったから、ラルフは小さく息を呑んで、そして力いっぱいオーレリアを抱きしめる。
「いい返事を期待してるから」
腕の中でオーレリアが「苦しい」と文句を言ったけれど、もうしばらくの間、ラルフは彼女を解放してやることはできそうもなかった。
☆
――なあ、オーレリア、俺が他の女と結婚すると思って、嫌な気持ちになったんだろ?
ラルフにそう言われたとき、オーレリアの中に、何かがすとんと落ちてきた。
確かに嫌だった。ラルフがコリーンと結婚するのを見たくないと思った。
帰ってきたラルフの顔を見たら、その嫌な未来を想像したら、どうしようもなく泣きたくなって、一人になった瞬間に涙があふれてきたのだ。
泣きながら、どうして自分が泣いているのか、よくわからなかった。
ラルフはオーレリアを裏切らない。コリーンと結婚なんてしない。そんなこと、オーレリアが一番よくわかっている。
それなのにどうして泣いているのだろうかと、オーレリアは自分の感情を持て余した。
そんな時ラルフが部屋に訪ねてきて、急いで涙を拭ったけれど気づかれて、よくわからないけど抱きしめられて、そしてそんなことを言われた瞬間、ああそうだったのかと、馬鹿馬鹿しいほどあっさり、オーレリアの中に答えが降って来たのだ。
相手がコリーンだから嫌なのじゃない。
ラルフを誰にもとられたくないのだ。
取られないとわかっていても、そんな未来を示唆されることすら嫌で。
ラルフは大切な家族で兄のような存在だと、よく言ったものだと思った。
違うのだ。オーレリアは、ラルフをほかの女性に取られたくない。ずっとそばにいてほしい。この感情は、兄に対するものとは明らかに違う。
もともとギルバートに求婚するつもりだった。だったら彼から求婚された時にこれ幸いと受ければよかったのに、それができなかったのはラルフが求婚してきたから。
その瞬間に、たぶん、オーレリアは自分が知らないところで、心の底に眠っていたラルフへの気持ちに気が付いたのだと思う。
それなのにいつまでもラルフは家族だ、兄だと自分に言い聞かせていた。ほかの女性に取られたくなんてないくせに、そんなことにも気づかずに。
(ラルフがいい)
この先ずっと一緒に生きていく人は、ラルフがいい。隣にいる人は、彼以外想像できないから。
一日待ってほしい、とラルフに頼んだ。
答えは出ていたけれど、その前にギルバートに話をしなくては。
たぶん、ギルバートはオーレリアの気持ちに気づいていたのだと思う。彼が本気でオーレリアに求婚するならば、父であるサンプソン公爵に通してしまえばそれで終わっただけの話なのだ。領主命令なら、オーレリアに拒否権はないから。
オーレリアの心を最大限に尊重してくれたギルバートには誠実に向き合わなくては。
ラルフに答えを返す前に、彼にきちんと自分の気持ちを伝えなくてはならない。
しばらくの間オーレリアを抱きしめたままだったラルフが部屋から去ると、オーレリアは隣の寝室へ向かった。
ぽすりとベッドに横になると、大きなウサギのぬいぐるみが隣にいる。
俺だと思ってほしいと言ってラルフから贈られたウサギのぬいぐるみ。
オーレリアはぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、目を閉じた。