この度、筋肉バカ王子の教育係に任命されました
この度、筋肉バカ王子の教育係に任命されました
シャーロットは足元に投げ返された本を見下ろして言葉を失っていた。
本は背表紙を上にして開いたまま下を向き、床と接触する部分の紙は無残にも折れてしまっている。
この本は、シャーロットが城の書庫の中から時間をかけて選んできた歴史書だった。賢君と名高い第五代国王が行った治世について、子供でもわかりやすいよう、挿絵を入れて小説風に描かれているものだ。
シャーロットが、目の前の脳筋バカでもわかるようにと、選びに選び抜いてきた一冊だったのに、目の前のソファでふんぞり返っている男は、それに目を通すこともなくシャーロットの足元に投げ返したのである。
「何度来ても無駄だ。女の指図なんて受けるか。俺は今から筋トレをするんだ。わかったらさっさと出ていけ、このおさげ頭のもさ女」
何よりも筋肉を愛するバカ男は、ジャケットを脱ぎながらシャーロットのことを鼻で笑う。
シャーロットは本を見下ろしたまま、ふるふると握ったこぶしを震わせた。
おさげ頭のもさ女ーー
確かにシャーロットは赤みがかった栗色の髪を左右でそれぞれみつあみに結っているおさげ頭である。
流行に疎い彼女は、ただ本を読むのに邪魔にならないという理由で髪を結い、おしゃれに興味がないから襟の詰まった「もさい」えんじ色のドレスを着ていた。
だから、別に「おさげ頭のもさ女」と言われたところで、たいして心は痛まない。
けれどもーー
シャーロットはそっと足もとの本を拾い上げて、折れたページを丁寧に伸ばすと本を閉じ、表紙の埃を払う。
母親譲りのエメラルド色の瞳をすっとすがめて、彼女はくるりと踵を返す。
男はシャーロットがあきらめて部屋から出ていくのだと勘違いして、こよなく愛する筋トレの準備をはじめたのだが、シャーロットは部屋の入り口近くに立てかけてある長い木の棒を持って戻ってきた。
それは、なぜかシャーロットが、この男の部屋に来るときにいつも持ち歩いている木の棒である。
いったい何に使うのかと思わないでもなかったが、男はシャーロットが何をしようと興味を持たなかったので、視界の端に入り込むその棒にも興味を示さなかった。
シャーロットは大切そうにその木の棒を握りしめて、再び男のもとに戻ってきた。片手には本、片手には木の棒を持っていったい何をしようというのか。
筋トレのために袖のないシャツ一枚になった男は、不思議に思って顔を上げたーー次の瞬間。
「わたしの大切な本に何してくれてんのよ、この筋肉バカのあほ王子ーー!」
いつも物静かに本を薦めてくるシャーロットの口から聞いたことのない大声と罵声が飛び出してーー、彼女が手に持っている木の棒が容赦なく振り下ろされた。
すっかり油断していた男ーールセローナ国の第三王子アレックスは、まさかシャーロットがこんな暴挙に出るとは思っていなかったため反応が遅れ、見事に脳天を木の棒で殴りつけられてしまった。
あまりの痛みに頭を抱えた筋肉バカは、涙目になって怒鳴った。
「何をするんだ! この俺がいったい誰だとーー」
「この国の第三王子様でわたしの『生徒』よ!」
「誰が生徒だ! たかだか伯爵令嬢の分際で王子に暴力をふるってただで済むと思ってるのか!」
「思ってるわよおあいにく様! 陛下から『何してもいいよ』って言われてるもの! 殴ろうが蹴ろうが煮ようが焼こうが、全部わたしの自由なのよ!」
シャーロットが小さな胸をそらしてふんぞり返ると、アレックスは頭を抱えたまま瞠目した。
「なんだと……?」
「知らなかったの? 陛下からこういわれているのよ」
シャーロットはほくそ笑むと、アレックスの目の前に本を差し出して言った。
「うちのバカ息子をよろしく頼む。次期王にふさわしくなるよう性根を叩き直してくれ。そのためには何をしてもかまわない。何なら二、三発殴って目を覚まさせてやってほしい」
国王に言われた言葉をそっくりそのまま伝えると、驚愕の表情を浮かべていたアレックスの顔が、みるみるうちに赤く染まった。
「ふざけるなバカおやじーー!」
確かにあの国王はバカかもしれないけれど、あんたはそのバカにバカと呼ばれる大バカよーー、怒り狂ってクッションを引き裂いた筋肉バカ王子を見つめて、シャーロットはこっそりため息をついた。
本は背表紙を上にして開いたまま下を向き、床と接触する部分の紙は無残にも折れてしまっている。
この本は、シャーロットが城の書庫の中から時間をかけて選んできた歴史書だった。賢君と名高い第五代国王が行った治世について、子供でもわかりやすいよう、挿絵を入れて小説風に描かれているものだ。
シャーロットが、目の前の脳筋バカでもわかるようにと、選びに選び抜いてきた一冊だったのに、目の前のソファでふんぞり返っている男は、それに目を通すこともなくシャーロットの足元に投げ返したのである。
「何度来ても無駄だ。女の指図なんて受けるか。俺は今から筋トレをするんだ。わかったらさっさと出ていけ、このおさげ頭のもさ女」
何よりも筋肉を愛するバカ男は、ジャケットを脱ぎながらシャーロットのことを鼻で笑う。
シャーロットは本を見下ろしたまま、ふるふると握ったこぶしを震わせた。
おさげ頭のもさ女ーー
確かにシャーロットは赤みがかった栗色の髪を左右でそれぞれみつあみに結っているおさげ頭である。
流行に疎い彼女は、ただ本を読むのに邪魔にならないという理由で髪を結い、おしゃれに興味がないから襟の詰まった「もさい」えんじ色のドレスを着ていた。
だから、別に「おさげ頭のもさ女」と言われたところで、たいして心は痛まない。
けれどもーー
シャーロットはそっと足もとの本を拾い上げて、折れたページを丁寧に伸ばすと本を閉じ、表紙の埃を払う。
母親譲りのエメラルド色の瞳をすっとすがめて、彼女はくるりと踵を返す。
男はシャーロットがあきらめて部屋から出ていくのだと勘違いして、こよなく愛する筋トレの準備をはじめたのだが、シャーロットは部屋の入り口近くに立てかけてある長い木の棒を持って戻ってきた。
それは、なぜかシャーロットが、この男の部屋に来るときにいつも持ち歩いている木の棒である。
いったい何に使うのかと思わないでもなかったが、男はシャーロットが何をしようと興味を持たなかったので、視界の端に入り込むその棒にも興味を示さなかった。
シャーロットは大切そうにその木の棒を握りしめて、再び男のもとに戻ってきた。片手には本、片手には木の棒を持っていったい何をしようというのか。
筋トレのために袖のないシャツ一枚になった男は、不思議に思って顔を上げたーー次の瞬間。
「わたしの大切な本に何してくれてんのよ、この筋肉バカのあほ王子ーー!」
いつも物静かに本を薦めてくるシャーロットの口から聞いたことのない大声と罵声が飛び出してーー、彼女が手に持っている木の棒が容赦なく振り下ろされた。
すっかり油断していた男ーールセローナ国の第三王子アレックスは、まさかシャーロットがこんな暴挙に出るとは思っていなかったため反応が遅れ、見事に脳天を木の棒で殴りつけられてしまった。
あまりの痛みに頭を抱えた筋肉バカは、涙目になって怒鳴った。
「何をするんだ! この俺がいったい誰だとーー」
「この国の第三王子様でわたしの『生徒』よ!」
「誰が生徒だ! たかだか伯爵令嬢の分際で王子に暴力をふるってただで済むと思ってるのか!」
「思ってるわよおあいにく様! 陛下から『何してもいいよ』って言われてるもの! 殴ろうが蹴ろうが煮ようが焼こうが、全部わたしの自由なのよ!」
シャーロットが小さな胸をそらしてふんぞり返ると、アレックスは頭を抱えたまま瞠目した。
「なんだと……?」
「知らなかったの? 陛下からこういわれているのよ」
シャーロットはほくそ笑むと、アレックスの目の前に本を差し出して言った。
「うちのバカ息子をよろしく頼む。次期王にふさわしくなるよう性根を叩き直してくれ。そのためには何をしてもかまわない。何なら二、三発殴って目を覚まさせてやってほしい」
国王に言われた言葉をそっくりそのまま伝えると、驚愕の表情を浮かべていたアレックスの顔が、みるみるうちに赤く染まった。
「ふざけるなバカおやじーー!」
確かにあの国王はバカかもしれないけれど、あんたはそのバカにバカと呼ばれる大バカよーー、怒り狂ってクッションを引き裂いた筋肉バカ王子を見つめて、シャーロットはこっそりため息をついた。
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