この度、筋肉バカ王子の教育係に任命されました
シャーロットの受難 2
例年よりも少し遅く訪れた春の気配に、ルセローナ国の城下町は、まるで雪解けを祝うかのごとくに盛り上がっている。
先日、休日に城下に下りたシャーロットの侍女のヨハナは、ケーキ屋に春の花を使った華やかなケーキが並んでいたのを見たらしい。
シャーロットは今や世継ぎの王子であるアレックスの婚約者で、ふらふらと出歩いていい立場ではなくなってしまったため、おいしそうなお菓子の話を聞いてもおいそれと出かけられないのが残念だ。
「シャーロットさん、そーっとね」
アレックスの母である第三妃の部屋に遊びに来ていたシャーロットは、第五妃の産んだ子供で、第三妃が育ての母として面倒を見ている生まれたばかりの第四王子リュディことリュディアンを慎重に抱き上げた。
リュディアンが生まれて二か月。触れるのも恐ろしいくらいに小さかった王子は、この二か月でぷくぷくと成長した。腕や足がふっくらとしていて、指先でつつくと、ぷにぷに、すべすべしていてものすごく気持ちいい。
あまりつつくと、ふにゃあと猫の子が泣くような声を出してぐずるため、シャーロットはいつも彼の機嫌が悪くならない限度を見ながら触れていたのだが、本日、はじめて抱っこさせてもらえることになったのだ。
首の後ろを支えながらそっと抱き上げると、リュディアンは青い目でじっとシャーロットを見上げてくる。乳幼児ながらに目鼻立ちのはっきりした子だ。
(ああ、かわいい……)
よく赤子を天使に例えることがあるが、リュディアンはまさしく天使のようだった。このまま部屋に連れて帰りたい。いつも無遠慮にばたばたと部屋に押しかけてくるアレックスのせいで心の休まる日のないシャーロットである。部屋にリュディアンがいたらさぞ癒されることだろう。
「うふふふ、リュディはかわいいでしょう?」
「はい!」
「リュディを抱っこしていると子供が欲しくなるわよねぇ」
「はい!」
「わたくし、いつ孫ができてもかまわなくてよ」
「はい!――え?」
リュディアンにでれでれしながら相槌を打っていたシャーロットは、びっくりして顔を上げた。
第三妃はにこにこと微笑んでいて、シャーロットはたらりと冷や汗をかく。
聞き間違いでなければ、第三妃は今「孫」と言わなかっただろうか?
(……前から思っていたけど、この方、笑顔でぶっこんでくるときがあるわよね……)
少し前まで、シャーロットは第三妃のことを、おっとり、のんびりした女性だと思っていた。それは今でも変わらないが、なんというのだろう――、うふふとおっとり微笑みながら、たまにとんでもないことを言い出す時がある。
シャーロットは「孫」云々の話は聞こえなかったことにして、リュディアンをあやしながら立ち上がった。
リュディアンはどうやら、上下に軽く揺らされるのが好きらしい。手足をバタバタさせながら喜んでくれるので、嬉しくなったシャーロットはリュディアンを抱えてゆすりながら部屋の中をぐるぐると歩き回った。
最初はきゃいきゃいはしゃいでいたリュディアンだったが、あやしているうちに眠くんってきたようだ。うとうとしはじめたので第三妃に返そうとした――、そのときだった。
「お母様! ちょっとどういうことよ!」
勢いよく部屋の扉が開かれて、その音に驚いたリュディアンがぱちっと目を覚まして火がついたように泣きはじめた。
「わ! わ! リュディ! 泣かないで……!」
シャーロットがどれだけあやそうともリュディアンは泣き止まなくて、途方に暮れていると、乳母ミランダがリュディアンを受け取ってくれる。
ミランダがリュディアンをつれていなくなると、シャーロットは改めて突然現れた人物に視線を向けた。
部屋に飛び込んできたのは、波打つ黒髪の美少女だった。第三妃をお母様と呼んだところを見ると、第二王女のヴィクトリアだろう。彼女はつい最近までクレダ公国へ留学に出ていたので、シャーロットはまだ会ったことがなかった。噂では、帰ってきたのはつい三日前らしい。年は確か、今年十五歳になるはずだ。
「あらあらヴィクトリア、お行儀が悪いわよ」
おっとりと第三妃がたしなめるが、ヴィクトリア王女は憤然と部屋を横切って、母親の前で仁王立ちした。
「お母様、わたしとテオドールの婚約ってどういうこと!?」
「あら、誰に聞いたの?」
「テオドール本人によ!」
シャーロットは母娘の会話を聞きながら、頭の中にある貴族名鑑情報から「テオドール」を引っ張り出した。テオドールはリアクール公爵の息子で、ヴィクトリアより一つ年上の十六歳。
(リアクール公爵って言えば、ご正妃様のお兄様よね)
息子である第一王子を亡くした後、心を病んで城から下がって療養中の正妃は、リアクール公爵家の出身である。リアクール公爵家は数ある公爵家の中でも、たびたび王の妃を輩出している家柄で、また、三代前の王女が嫁いだこともあり、王家とのつながりは強い。
リアクール公爵家であれば、第二王女であるヴィクトリアの嫁ぎ先としても妥当な線だとは思うのだが、どうやら本人は不満らしい。
(テオドール様って、穏やかで優しい方よね?)
シャーロットも二度しか会ったことがないが、いつも微笑をたたえているような人物である。性格には難はなさそうだが――
第三妃は、憤慨している娘をなだめるように静かに言った。
「その話が出ているのは本当だけど、まだ陛下がお考え中よ。決定ではないわ」
「そう。つまり決定権はお父様が持っているのね。わかったわ!」
ヴィクトリアはくるりと踵を返すと、来た時と同じようにあわただしく部屋から飛び出していく。
嵐が去ったあとのように静かになった部屋で、第三妃が頬に手を当てて微笑んだ。
「アレックスといいヴィクトリアと言い、わたくしの子たちはみんな元気ねぇ」
なるほど。あれを「元気」と笑っていられるから、アレックスは「ああ」なのだなと、シャーロットは自由すぎるアレックスの性格が構成された一端を見た気がした。
先日、休日に城下に下りたシャーロットの侍女のヨハナは、ケーキ屋に春の花を使った華やかなケーキが並んでいたのを見たらしい。
シャーロットは今や世継ぎの王子であるアレックスの婚約者で、ふらふらと出歩いていい立場ではなくなってしまったため、おいしそうなお菓子の話を聞いてもおいそれと出かけられないのが残念だ。
「シャーロットさん、そーっとね」
アレックスの母である第三妃の部屋に遊びに来ていたシャーロットは、第五妃の産んだ子供で、第三妃が育ての母として面倒を見ている生まれたばかりの第四王子リュディことリュディアンを慎重に抱き上げた。
リュディアンが生まれて二か月。触れるのも恐ろしいくらいに小さかった王子は、この二か月でぷくぷくと成長した。腕や足がふっくらとしていて、指先でつつくと、ぷにぷに、すべすべしていてものすごく気持ちいい。
あまりつつくと、ふにゃあと猫の子が泣くような声を出してぐずるため、シャーロットはいつも彼の機嫌が悪くならない限度を見ながら触れていたのだが、本日、はじめて抱っこさせてもらえることになったのだ。
首の後ろを支えながらそっと抱き上げると、リュディアンは青い目でじっとシャーロットを見上げてくる。乳幼児ながらに目鼻立ちのはっきりした子だ。
(ああ、かわいい……)
よく赤子を天使に例えることがあるが、リュディアンはまさしく天使のようだった。このまま部屋に連れて帰りたい。いつも無遠慮にばたばたと部屋に押しかけてくるアレックスのせいで心の休まる日のないシャーロットである。部屋にリュディアンがいたらさぞ癒されることだろう。
「うふふふ、リュディはかわいいでしょう?」
「はい!」
「リュディを抱っこしていると子供が欲しくなるわよねぇ」
「はい!」
「わたくし、いつ孫ができてもかまわなくてよ」
「はい!――え?」
リュディアンにでれでれしながら相槌を打っていたシャーロットは、びっくりして顔を上げた。
第三妃はにこにこと微笑んでいて、シャーロットはたらりと冷や汗をかく。
聞き間違いでなければ、第三妃は今「孫」と言わなかっただろうか?
(……前から思っていたけど、この方、笑顔でぶっこんでくるときがあるわよね……)
少し前まで、シャーロットは第三妃のことを、おっとり、のんびりした女性だと思っていた。それは今でも変わらないが、なんというのだろう――、うふふとおっとり微笑みながら、たまにとんでもないことを言い出す時がある。
シャーロットは「孫」云々の話は聞こえなかったことにして、リュディアンをあやしながら立ち上がった。
リュディアンはどうやら、上下に軽く揺らされるのが好きらしい。手足をバタバタさせながら喜んでくれるので、嬉しくなったシャーロットはリュディアンを抱えてゆすりながら部屋の中をぐるぐると歩き回った。
最初はきゃいきゃいはしゃいでいたリュディアンだったが、あやしているうちに眠くんってきたようだ。うとうとしはじめたので第三妃に返そうとした――、そのときだった。
「お母様! ちょっとどういうことよ!」
勢いよく部屋の扉が開かれて、その音に驚いたリュディアンがぱちっと目を覚まして火がついたように泣きはじめた。
「わ! わ! リュディ! 泣かないで……!」
シャーロットがどれだけあやそうともリュディアンは泣き止まなくて、途方に暮れていると、乳母ミランダがリュディアンを受け取ってくれる。
ミランダがリュディアンをつれていなくなると、シャーロットは改めて突然現れた人物に視線を向けた。
部屋に飛び込んできたのは、波打つ黒髪の美少女だった。第三妃をお母様と呼んだところを見ると、第二王女のヴィクトリアだろう。彼女はつい最近までクレダ公国へ留学に出ていたので、シャーロットはまだ会ったことがなかった。噂では、帰ってきたのはつい三日前らしい。年は確か、今年十五歳になるはずだ。
「あらあらヴィクトリア、お行儀が悪いわよ」
おっとりと第三妃がたしなめるが、ヴィクトリア王女は憤然と部屋を横切って、母親の前で仁王立ちした。
「お母様、わたしとテオドールの婚約ってどういうこと!?」
「あら、誰に聞いたの?」
「テオドール本人によ!」
シャーロットは母娘の会話を聞きながら、頭の中にある貴族名鑑情報から「テオドール」を引っ張り出した。テオドールはリアクール公爵の息子で、ヴィクトリアより一つ年上の十六歳。
(リアクール公爵って言えば、ご正妃様のお兄様よね)
息子である第一王子を亡くした後、心を病んで城から下がって療養中の正妃は、リアクール公爵家の出身である。リアクール公爵家は数ある公爵家の中でも、たびたび王の妃を輩出している家柄で、また、三代前の王女が嫁いだこともあり、王家とのつながりは強い。
リアクール公爵家であれば、第二王女であるヴィクトリアの嫁ぎ先としても妥当な線だとは思うのだが、どうやら本人は不満らしい。
(テオドール様って、穏やかで優しい方よね?)
シャーロットも二度しか会ったことがないが、いつも微笑をたたえているような人物である。性格には難はなさそうだが――
第三妃は、憤慨している娘をなだめるように静かに言った。
「その話が出ているのは本当だけど、まだ陛下がお考え中よ。決定ではないわ」
「そう。つまり決定権はお父様が持っているのね。わかったわ!」
ヴィクトリアはくるりと踵を返すと、来た時と同じようにあわただしく部屋から飛び出していく。
嵐が去ったあとのように静かになった部屋で、第三妃が頬に手を当てて微笑んだ。
「アレックスといいヴィクトリアと言い、わたくしの子たちはみんな元気ねぇ」
なるほど。あれを「元気」と笑っていられるから、アレックスは「ああ」なのだなと、シャーロットは自由すぎるアレックスの性格が構成された一端を見た気がした。