◇水嶺のフィラメント◇
「あ……」

 噛みつきそうな迫力で声を張ったメティアの瞳は、(くじ)けそうなアンの弱々しい瞳を睨みつけていた。

 まるでアンの時までも止められてしまったように、刹那呼吸が出来なくなる。

 (まなこ)を覆い尽くしていた淀んだ(もや)は、鋭く貫かれて一瞬にして晴れた。

 今は心配に溺れている場合ではない。先の展開を怖れている場合ではない。

 もしも彼の「今」が悪化を辿っているのなら、其処から彼を救い出さねばならない。

「ごめんなさい、メティア」

 頬を覆う温かいメティアの手の甲を、冷たいアンの掌が包み込む。

「ココは「ごめん」じゃなくて「ありがとう」だろ? アン」

 そのまま両手で王女の頬をムニッとつねり、メティアはニヤッと笑ってみせた。

 どうやらこの王女を元気づけられるのは、優しい慰めや同調などではなく、力強くかまされた挑発や一発(・・)のようだ。

「はりはとぅ~メフィ、ア……い、いひゃいっ!」

 ──ありがとう、メティア。

 どんなに恐怖しようとも、二人の時間は流れゆく。

 見えない足枷(あしかせ)に囚われていたアンの身体が一歩を踏み出した。

 メティアのぬくもりで熱を帯びた掌をそっと、ざらつく煉瓦の壁に当てる。

 もはやその手は震えることなどなかった。

 低音の唸りを(とどろ)かせ、ゆっくりと「境界」は開かれた。


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