◇水嶺のフィラメント◇
 ニッコリと微笑んだパニの笑顔に、アンはまた(いた)みを覚えた。例え彼女が純粋に風の民として生まれ育ったのだとしても、そのような過酷な過去を持つ仲間たちと、常に生活を共にしているのだ。

 まるで対岸の火事のように状況を知るだけの自分とは、遥かにかけ離れた強さを持っている気がした。アンはパニの瞳から、彼女が放つ心の輝きを感じた。

「さて、そろそろ本題に入ろう。フォルテ、下の階でパニに衣装合わせをしてくれ。君たちは此処で僕の計画を聞いてくれるかい? もちろんアンもね」

 レインはその場の空気を入れ替えるように、やや落ち着いた声で告げた。そう、先決は無事に此処からナフィルへ戻ることだ。そのためにレインもパニも尽力してくれている。その想いを無にしている場合ではない。

 フォルテはパニを連れ立って、静かに扉の向こうへ消えていった。侍従二人は元の席に戻り、アンもレインの隣に腰を落ち着かせた。

「いいね? 決行は今夜夜半だ。二手に分かれて国境を目指してもらう。第一班はアンに扮したパニとフォルテ、それから君たち二人。昨夜潜伏中の近衛兵たちに会えたと言ったのを覚えているかい? 彼らにも既に事の詳細は伝えてある。大勢で此処に戻ると目立ち過ぎるから、僕が一夜(いちや)を明かした空き家で待機してくれと、其処までの地図を渡しておいた。危険を伴う可能性は否めないが、此処を出たらまず空き家まで移動して、何とか自力で彼らと合流してほしい。これが彼らにも渡した地図だよ」

 レインの説明は一旦途切れ、胸元からひとひらの便箋が差し出された。それを受け取った侍従は目通しをし、「そう遠くはないですね」と頷いてみせた。


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