◇水嶺のフィラメント◇
「あの……アン王女さま、メティア……ご無事であられますか?」

 沈黙してしまった数秒、突如戸外から声を掛けられて、二人は同時に飛び跳ねてしまった。

 声の主はパン屋の店主だ。見れば曇り硝子(ガラス)の向こうはすっかり黒い闇と化している。

 きっと残りの侍従を送り届けて戻ってきたところだろう。

「はい、大丈夫です。何から何までお世話を掛けますね」

 アンは僅かに引き戸を開いて、すぐ傍に見つけた店主の(おもて)に応答した。

「いえいえ。全員ご無事に移動完了となりましたので、夕食をお持ち致しました。宮廷料理とは雲泥の差ではありますが、宜しければお召し上がりください」

「ありがたく戴きます。貴方の作るパンは本当に美味しかったわ。あの、近衛兵たちももう集まっていたかしら?」

 扉から差し込まれた食事を受け取って、アンは店主に質問した。

「はい、わたくしが到着する小一時間前には、兵隊さんたちもお着きになられていたそうです。ですがどうもおかしなお話なんですよ……兵隊さんたち六名さまは、一昨日の夜リムナトの近衛兵たちに見つかって、ずっと王宮の地下牢に閉じ込められていたというのです。昨朝市場でしっかりお会いした筈なのですけどねぇ……」

「どういうこと……?」

 困惑気味の店主の説明に、アンとメティアは思わず顔を見合わせた。

 では店主が密会した筈の兵たちとは、一体何者であろうというのか?


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