優しい嘘
優しい嘘
お風呂から上がった咲久はすぐに自室に行ってしまった。俺は少しリビングにいたけれど、学校から出ている課題を進めようと思って自分の部屋に戻ることにした。写真の学校と言えど、筆記の課題もたくさんある。
でもやはり、咲久のことが気になってしまった。咲久の話を聞くことを、確かに怖いと思った。それは事実だ。だけど、何かを言いかけた咲久の揺れた目が、脳裏に強く焼き付いて離れない。
咲久の部屋の扉をノックする。何も応答はない。声もしないから寝ているのかもしれないと思い、ゆっくりと扉を開ける。
「ん、はぁ…っ」
扉を開けた俺が目にしたのは、自分自身の、女の身体に触れる、咲久の姿だった。
その胸には確かに膨らみがあって。
見なかったことにしようと思ったのに、俺の足音に気付いたのか、咲久がこっちを見た。
「見んな、よ…」
「ごめん」
「なんで、いま、来るの…っ」
俺に見られても手の動きは止められないようだった。
「こうきの、ばか…」
声もいつもの低い声じゃない。
可愛い声で喘ぎ、そして、ぴくん、と身体を跳ねさせた。
静寂。
「ごめん」
「それは何に対するごめん?勝手に部屋に入ってきたごめん?それとも女のオナニーを最後まで見ちゃったごめん?」
「両方」
咲久は今、確かに女、という言葉を口にした。それは咲久が女性であることを俺に伝えるものだった。
「両方、って…」
「だって両方でしょ?」
「そうだけど」
シーツで自分の身体を隠す様はエロティックだ。
今は兄妹だけれど、二年前までは他人だったわけで、単純に興奮しないわけがない。
でも、今優先すべきことは俺の感情ではなくて。
「何から話せばいいんだろう」
「別に話さなくてもいいよ」
「え?」
「俺が何も見てないことにすればいい」
「でも」
「ずるい言い方かもしれないけど、咲久がどうしたいかに任せる」
話したければ聞くし、忘れてほしければ今後一切話題にはしない。
だって、咲久が性別を偽って生きているのには理由があるだろうから。
「俺…、ううん、私は光輝にきちんと聞いてほしい」
「わかった」
咲久の目には涙が浮かんでいる。
俺は咲久のベッドに腰掛ける。
「見ての通り、私は女です」
「うん」
「女であることは、お母さんに気付かれてないと思う」
「え?」
生まれたときからから咲久と一緒にいる母親が気付いていないとは、いったいどういうことなのだろう。その情報を上手に処理できない。
「お母さんは、私を弟だと信じて生きているから」
「弟?」
「うん。私には元々、開栄という双子の弟がいたの。でも、十五歳のときに交通事故で死んじゃって」
咲久の涙が、つーっと頬を伝う。
「お母さん、壊れちゃった。開栄、すごくいい子で、勉強もできて、優しくて、私なんて全然比べ物にならないくらい、本当にすごくいい子で。だから、お母さんは頭の中で私を殺した」
その日から、咲久は男として生きることにした、と言った。
生きることにした、と言えば自分の意思のように聞こえるけれど、それは本当に咲久の意思だったのかな、と疑問に思う。でも、優しい咲久が、母親をこれ以上苦しませないために、選んだ道。
でもそうすると、周りの人間は知っていたわけで。
「咲久が女だってこと、父さんは…」
「もちろん知ってる」
「どうして俺には教えてくれなかったの?」
「お父さんが、光輝に嘘を背負わせたくないって」
「でも」
「それに、光輝は優しいから、嘘が吐けないでしょう?」
「明日からどうする?」
「どうしよう、かな」
俺が知ってしまったことによって、咲久の中で予定されていた明日はもう一生訪れない。
「俺も一緒に嘘を吐くよ」
「え?」
「気付かなかったことにしよう」
「光輝」
「きっとそれがいちばんいい」
「光輝…っ」
シーツごと抱き締めれば、咲久は震えていた。
ねえ、咲久。君はこんなに小さな身体で大きなものを抱え続けていたんだね。きっと、何度も押し潰されそうになったと思う。でもその度に自分を奮い立たせて頑張ってくれた。これからは、その大きなものを俺も一緒に抱えていくよ。だって俺は君のお兄ちゃんだから。
「ありがとう」
ありがとう。
そう何度も繰り返して、咲久は泣いた。
でもやはり、咲久のことが気になってしまった。咲久の話を聞くことを、確かに怖いと思った。それは事実だ。だけど、何かを言いかけた咲久の揺れた目が、脳裏に強く焼き付いて離れない。
咲久の部屋の扉をノックする。何も応答はない。声もしないから寝ているのかもしれないと思い、ゆっくりと扉を開ける。
「ん、はぁ…っ」
扉を開けた俺が目にしたのは、自分自身の、女の身体に触れる、咲久の姿だった。
その胸には確かに膨らみがあって。
見なかったことにしようと思ったのに、俺の足音に気付いたのか、咲久がこっちを見た。
「見んな、よ…」
「ごめん」
「なんで、いま、来るの…っ」
俺に見られても手の動きは止められないようだった。
「こうきの、ばか…」
声もいつもの低い声じゃない。
可愛い声で喘ぎ、そして、ぴくん、と身体を跳ねさせた。
静寂。
「ごめん」
「それは何に対するごめん?勝手に部屋に入ってきたごめん?それとも女のオナニーを最後まで見ちゃったごめん?」
「両方」
咲久は今、確かに女、という言葉を口にした。それは咲久が女性であることを俺に伝えるものだった。
「両方、って…」
「だって両方でしょ?」
「そうだけど」
シーツで自分の身体を隠す様はエロティックだ。
今は兄妹だけれど、二年前までは他人だったわけで、単純に興奮しないわけがない。
でも、今優先すべきことは俺の感情ではなくて。
「何から話せばいいんだろう」
「別に話さなくてもいいよ」
「え?」
「俺が何も見てないことにすればいい」
「でも」
「ずるい言い方かもしれないけど、咲久がどうしたいかに任せる」
話したければ聞くし、忘れてほしければ今後一切話題にはしない。
だって、咲久が性別を偽って生きているのには理由があるだろうから。
「俺…、ううん、私は光輝にきちんと聞いてほしい」
「わかった」
咲久の目には涙が浮かんでいる。
俺は咲久のベッドに腰掛ける。
「見ての通り、私は女です」
「うん」
「女であることは、お母さんに気付かれてないと思う」
「え?」
生まれたときからから咲久と一緒にいる母親が気付いていないとは、いったいどういうことなのだろう。その情報を上手に処理できない。
「お母さんは、私を弟だと信じて生きているから」
「弟?」
「うん。私には元々、開栄という双子の弟がいたの。でも、十五歳のときに交通事故で死んじゃって」
咲久の涙が、つーっと頬を伝う。
「お母さん、壊れちゃった。開栄、すごくいい子で、勉強もできて、優しくて、私なんて全然比べ物にならないくらい、本当にすごくいい子で。だから、お母さんは頭の中で私を殺した」
その日から、咲久は男として生きることにした、と言った。
生きることにした、と言えば自分の意思のように聞こえるけれど、それは本当に咲久の意思だったのかな、と疑問に思う。でも、優しい咲久が、母親をこれ以上苦しませないために、選んだ道。
でもそうすると、周りの人間は知っていたわけで。
「咲久が女だってこと、父さんは…」
「もちろん知ってる」
「どうして俺には教えてくれなかったの?」
「お父さんが、光輝に嘘を背負わせたくないって」
「でも」
「それに、光輝は優しいから、嘘が吐けないでしょう?」
「明日からどうする?」
「どうしよう、かな」
俺が知ってしまったことによって、咲久の中で予定されていた明日はもう一生訪れない。
「俺も一緒に嘘を吐くよ」
「え?」
「気付かなかったことにしよう」
「光輝」
「きっとそれがいちばんいい」
「光輝…っ」
シーツごと抱き締めれば、咲久は震えていた。
ねえ、咲久。君はこんなに小さな身体で大きなものを抱え続けていたんだね。きっと、何度も押し潰されそうになったと思う。でもその度に自分を奮い立たせて頑張ってくれた。これからは、その大きなものを俺も一緒に抱えていくよ。だって俺は君のお兄ちゃんだから。
「ありがとう」
ありがとう。
そう何度も繰り返して、咲久は泣いた。