月下双酌 ─花見帰りに月の精と運命の出会いをしてしまいました─
 カップを持って、しおれた感じの二人が駅に向かう。結局ホームまで無言のままで、私の電車の方が先に来たからそれに乗った。

「じゃあまた明日。会社でね」

 そう言って、手を軽くあげる飯島さん。ドアが閉まって、電車が動いて、見えなくなるまで彼の姿を目で追った。

 ああ、やっちゃった。

 深く、息を吐いた。
 この人と幸せになろうって思ったのに、自らそれをひっくり返してしまった。そして、選んだのは、

「暗月……」

 小さく呟いたら、胸の奥がギュッとなった。
 なんだってこう、気付くのが遅いんだろう。私が先週の時点で自分の気持ちに気が付いていれば、無駄に飯島さんを傷付けることは無かったのかな。いやでもその前に散々飲みに行ってたから、今更なのか。ああもう本当に、人生はままならない。

 もう一回、息を吐いて、手に持っていた冷めかけのコーヒーカップを思い出し、口を付けた。

 ……暗月に、会おう。

 決意した。


 ◇◇◇◇


 最寄りの駅について改札を抜けると、今夜はコンビニには寄らずに真っ直ぐ公園へと向かう。
 少しずつ早まる鼓動。今まで月に一度しか会ってなくて、それが当たり前だったのに、別れを告げた途端に辛抱効かなくなって一週間で会いたくなる。なんて我儘なんだろう。

 だけど、自覚したら止まらなくなる。それが恋ってものじゃないの?

 ほぼ開き直りというか、キレ気味な感じで心の中で呟いて、いつものベンチの前まで来た。

 ここで、一週間前に暗月と口付けを交わした。
 その時の彼の表情、唇の、舌の感触を思い出し、一気に頬が熱くなる。

 私の名を呼んでくれ。

 その言葉に、心の奥がゆっくりと満たされてゆく気持ちがした。それは暗月にしか感じたことのないもので、他の人では代替出来ない気持ちなんだ。
 周りに誰もいないことを確認して、月を見上げる。半円を描く今日の月は、弓張月(ゆみはりづき)。それを真っ直ぐに見上げ、私は小さく囁いた。

「……暗月、会いに来たよ」

 頼りなく、震える声。目標物が遠いと、声も細く、遠くなる。これじゃいけない。
 私はぐっと拳を握りしめると、胸を張って大きく息を吸い込んだ。いくら広いといっても、ここは住宅街の公園。ご近所迷惑は一回だけに抑えたい。そして出来るだけ大きな声で彼を呼ぶ。

「暗月ーっ!」

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