月下双酌 ─花見帰りに月の精と運命の出会いをしてしまいました─
 ちょうどコーヒーも飲み終えたので、大きく伸びをするとそのまま両手を夜空に広げる。今日は月が出ない、ついたち。私は自分の右手の人差し指に向かって、愛しい夫の名を呼びかける。

「暗月、迎えに来て」

 言い終わるか終わらないかのタイミングで、ふわりと暗月が現れる。今夜の格好は、ダウンジャケットにセーターとジーンズ、そして相変わらずの伊達眼鏡。相変わらずのファストファッションだけれど、彼の格好良さが映えるよう、繊細なバランスでコーディネートされている。この服装選びも女官さんたちの趣味の一環なのだと、それは先月の逢瀬で聞いたんだった。

「待たせたか?」

 外にいたせいで凍えた私のほっぺに手を当てると、ぎゅっと抱きしめてくる。甘々なだんなさんだ。

「大丈夫だよ。……もう行く?」
「いや、朔さえ良ければちょっと飲んでいこう」

 そう言って手を振ると、いつの間に月琴を持っていた。まるで手品みたいだ。私も負けじとレジ袋からビールを取り出して、見せ付ける。

 ベンチに座って乾杯して、暗月の奏でる月琴をBGMに、炙り干しホタルイカについて語ってみて、そうして二人のささやかな酒宴を楽しんだ。

「月に行っちゃうと、もう公園飲み出来なくなっちゃうよね」

 缶ビールを飲み干し、ホタルイカも食べ切った。この世界とのお別れに名残惜しくなって、つい本音が漏れてしまう。

「別に、こっちに降りて来れば良いだろう?」

 あっさりと返されて、つい間抜けな顔になってしまった。

「来て良いの?」
「現に私はここにいるぞ。月に一度の暗月ならば、下界に降りても構わんよ。どうせ定休日だ」
「……そう言えば、そうでした」

 なんか自分の勝手な思い込みで、月の世界に行ったらもう二度とこっちには戻って来られないって思ってた。そっか。いいんだ。
 なんだか嬉しくなって、ワクワクして、上機嫌で提案してみる。

「そうしたら、また、月に一回飲みに来よう」

 暗月がそんな私を見て、ふっと笑う。そうして顔が近付いて、チュッと唇と唇が合わさった。

「ああ。これからも星の下、酌を交わそう」

 一生ね。




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本編これにておしまいです。
このあとは、オマケ話をお楽しみ下さい。


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