月下双酌 ─花見帰りに月の精と運命の出会いをしてしまいました─
 今まで長女だから付けられた名前だと思ってた。朔弥(さくや)とかの方が音的には女の子っぽくて可愛いのに、なぜに男子のイメージが強い「はじめ」なのかと。

「やはりお前は、私に属するものだ」

 ほらなと満足げに呟くと、そのまま無心に月琴を奏でてゆく。澄んだ音色は天上へと高く上り、星々に吸い込まれていくようだった。

 しばらく続く、無言の時間。
 呼ばれたのだという割には、こちらを急かして何かをしようという気が感じられない。そして私は彼のことを月の精として扱うことに、いつの間にやら抵抗を無くしていた。

「私が、暗月を呼んだの?」
「そうだな」
「……そっか」

 なんで? と聞こうとして、意味ないことだと思い直し、ビールを一口すする。コンビニ袋がガサリと音を立て、つまみの存在を思い出した。

「チーカマ、いる?」
「なんだ、それは?」
「えーっと、スティック状のカマボコに、チーズの欠片が入ってるやつ」

 そもそも精霊とか人間じゃない存在ってチーカマとか食べるの? いや、勧めておいてなんだけどさ。

「いただこうか」

 なんのこだわりも無さそうにそう言うので、私も素直にはいと渡した。

「この赤いテープのところが切り込みになってるから、テープ取って、そこで折るように剥いていって、」
「ふむ。難しいな」
「いやいや、そんなこと無いって」

 セロファンの剥がし方教えて二人でチーカマ食べて、ビール飲んで、星空見上げて。
 そうしてなんだか、気が抜けた。

「暗月」
「なんだ?」
「私は助けを求めていた?」

 そっと囁くように聞いてみる。
 その声が月まで届いて、こうして暗月は会いに来てくれたの?

「そうだな」
「……でも、より辛い状況にいる人間は、幾らでもいるよ」

 例えば私が恋人に浮気されて捨てられたとか、ずっと飼っていて家族同然だった猫が死んでしまったとか、親友だと思っていた人間に裏切られたとか、そんなのが一度に訪れても、それよりももっと酷い目に遭って地獄を見る人は、この世の中に沢山いる。

「だがここにいるのは、お前と私だけだ」

 暗月が、軽くいなして小さく笑う。つられて一緒に笑って、それから笑みが途切れてしまった。

「みんな、……優しいんだ。私がどうにかなっちゃわないように集まっては飲み会を開いてくれるし、なにかと話しかけてくれる」
「そうだな」
「だから元気でいようって。空元気でもいいから楽しくしてようって」
「ここではしなくていい」
「……そうだね」

 声に出して肯定した途端、思いもかけず涙がこぼれた。そしてそのまま、今まで耐えていた痛みを訴えるかのように、とめどなく溢れてくる。知らずに嗚咽も漏れていた。
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