月下双酌 ─花見帰りに月の精と運命の出会いをしてしまいました─
 そろそろ三十代が見えてきたいい年をした女が、公園のベンチでビールを飲みながら泣いている。みっともないなと思ったけれど、止む気配の無い涙に、それでも良いとじきに開き直った。
 具体的になにがどうなって今の私がこんなに弱っているのか、なんてことは語らない。語る気がしない。
 暗月はなにも聞こうとしなかった。だから、私はただ涙を流す。

 暗月は無言のまま、ただ月琴を奏でていた。
 高く澄んだ音が、柔らかな旋律へと変化をし、そして夜空にとけていった。

「さて、そろそろ帰る時間だ」

 さすがに泣くことにも疲れ、どう顔を上げようかとぼんやりと思っていると、暗月が立ち上がる気配がした。慌てて一緒に立ち上がり、手の甲で涙を拭う。

「今夜は、ありがとう」
「私も久しぶりに人と酌を交わして、楽しかった」
「楽しかった?」

 酒によって心のガードが弱くなった女の泣き言に付き合って、楽しかったというのは理解できない。思わず聞き返すと、暗月はにこりと微笑んだ。

「人の感情は、面白い」

 やはりよく分からない。けれど、それで満足をしているというのなら、付き合ってもらったこちらとしては何も言うことは無い。

「また会える? 今度はもっと明るい気分で、暗月と飲んでみたい」

 感謝の気持ちと、名残を惜しむ気持ち。両方を込めて、聞いてみる。

「月に一度で良ければ付き合おう」

 あっさりとうなずいてそう言うので、つい笑ってしまった。暗月はそんな私を見つめると、不意に私を抱き寄せる。

「それでは来月の暗月に」

 私の泣き腫らしたまぶたに、目尻に、彼の唇が柔らかく落とされた。

「あ、暗月!」

 今までそんな気配もなかったのに、突然に匂い立つ色気。
 思い切り動揺する私をみて、暗月が声を上げて笑う。そして軽く地面を蹴って、宙を舞った。

「また」

 その言葉と共に、姿が消える。
 呆然と見送りながら、ここでようやく、暗月が月の精なのだと実感した。
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