書道家が私の字に惚れました
高級旅館を思わせる平屋の和風住宅。
その庭に離れとして作られた和モダンの一室で私、小山内美耶は朱墨の筆を持っている。
「みやせんせい」
可愛らしい声に呼ばれて、筆を持つ手を止め、体ごと声のした方に向くと、入室したばかりの幼稚園児の女の子が正座して私を見上げていた。
「きょうはありがとうございました。またらいしゅう、よろしくおねがいします」
辿々しい言い方でも上級生の真似をして挨拶する生徒の姿にはいつも感心する。
「絢音ちゃん」
名前を呼ぶと頭を下げていた絢音ちゃんの顔が上がった。
「今日もよく頑張りましたね。また来週、一緒に頑張りましょう」
「はい!」
絢音ちゃんの満面の笑みに釣られて私の口角も上がる。
二ヶ月前、学生クラスの先生が産休に入るために、臨時講師として働いてほしいと言われた時は引き攣った笑顔しか出来なかったのに。
「ここは気持ちゆっくり書いた方がバランス良く書けるよ」
手が震えていた朱墨での添削もだいぶ慣れてきた。
「こんにちは」
下校時刻に合わせて、続々とやって来る小学生の顔と名前も一致する。
「こんにちは。陸都くん」
「美弥先生、こんにちはー!」
「こんにちは、愛菜ちゃん。今日も元気だね」
添削をしながらでも、なるべく一人一人に声をかけていくことを心掛けるうちに生徒の笑顔も増えてきている気がする。
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