淋しがりやの足跡

嬉しいことも。

楽しいことも。

確かにあったのよ。



だけどそんなに幸せなことばかりでもなかったわ。

私と史郎さんの、55年の結婚生活。

ふたりで懸命に生きてきたのよ。






「夏かぁ……」



史郎さんがコップの中のお茶を見つめて呟いた。



「すいか、花火大会、夏祭り……」

「何?」



史郎さんは顔をあげて、私を見てこう言った。



「全部、もう無理なんだなって思って」



胸が押しつぶされるみたいだった。

淋しそうな表情が、余計につらい。



「何言ってるのよ、弱気にならないでよ」



なんとか明るく言ったものの、少し震えた声になった。



「私、ちょっとトイレ」



ハンドタオルを握り、逃げるように病室を出た。

どこに向かうわけでもないけれど、廊下をひたすら歩く。

両腕をさすって。



院内に漂う消毒の薬か何かの匂いが、妙に気になった。


< 3 / 43 >

この作品をシェア

pagetop