淋しがりやの足跡
嬉しいことも。
楽しいことも。
確かにあったのよ。
だけどそんなに幸せなことばかりでもなかったわ。
私と史郎さんの、55年の結婚生活。
ふたりで懸命に生きてきたのよ。
「夏かぁ……」
史郎さんがコップの中のお茶を見つめて呟いた。
「すいか、花火大会、夏祭り……」
「何?」
史郎さんは顔をあげて、私を見てこう言った。
「全部、もう無理なんだなって思って」
胸が押しつぶされるみたいだった。
淋しそうな表情が、余計につらい。
「何言ってるのよ、弱気にならないでよ」
なんとか明るく言ったものの、少し震えた声になった。
「私、ちょっとトイレ」
ハンドタオルを握り、逃げるように病室を出た。
どこに向かうわけでもないけれど、廊下をひたすら歩く。
両腕をさすって。
院内に漂う消毒の薬か何かの匂いが、妙に気になった。