王室御用達の靴屋は彼女の足元にひざまづく
 檜山がいつもはどうかは知らないが、晴恵が見ていた限り木型に入ってからの工程において客を訪問させていなかった。計測を終えた陽菜を檜山が呼ぶはずがない。
 陽菜は自分から檜山宅へ訪れたのだ。

「檜山さんっ」

 晴恵は不安のあまり工房へ駆け込んだ。

「晴恵」

 不機嫌な中に、明らかにほっとしたような色が滲む声。
 陽菜が工房に置いてある応接セットのソファで横になって眠っていたので、晴恵は凍りついた。

「何があったの」

 絞り出した声はしわがれていて、自分の声ではないようだ。

「何もない!」

 最後まで言い終わらないうちに、檜山が鋭い声を出した。

「ン……」

 気配や音に気付いたのだろう、陽菜がもそもそ動き出して目を擦った。

「陽菜、檜山さんの工房でなにをしているの」
「だって、靴作りって面白いじゃない? 見学させてもらってたの」

 怒りで体が震える。
 陽菜を接客したフリッツの双眸に、妹への思慕を見てとった時ですら湧いてこなかった感情である。激情は晴恵を突き動かした。

「陽菜! 繊細な作業なのよ、ご迷惑でしょう!」

 滅多に怒られたことがない陽菜は口を尖らせた。
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