絶対に愛さないと決めた俺様外科医の子を授かりました
「お待ちしておりました。お連れ様は先にお席にご案内しております。こちらへどうぞ」
 話は通っていたらしい。やはり避けられない事態だったようだ。すっぽかさないでよかった、と胸を撫で下ろす。
 しかし一方で、急に眩暈がするような、激しい緊張感がこみ上げてきていた。
 ヒールがほどよく柔らかな絨毯に埋まる。躓いたりしないように、美澄はなるべく優雅に歩くことを意識した。
 日々クレヨンのついたエプロンを身に着け、ぺたんこのシューズでバタバタと子どもを追い回していた自分にはまったく似つかわしくない場所だ。
 美澄はレストランの中を見渡す。その中で、男性ひとりが座っている席はひとつだけ。
 さらっとした黒髪の下に、整った双眸が見え隠れしている。端整な顔立ちであることは、一目見てわかった。
 美澄は思わず胸のあたりに手をやった。心臓のあたりからざわりと一気に昂揚するような感覚を味わう。男の人とふたりきりなんて一体いつぶりだろう。
 平常心、平常心。何度も心の中で唱える。浮ついているところを気取られてはいけない。あくまでも八重の紹介で会うことにしただけなのだから。
(よし……!)
 気分を入れ替え、よそいきの表情を作りつつ上品に挨拶をしようとしていた美澄は、彼が顔を上げた瞬間、見たことがある人物だったことに驚き、その場で固まってしまった。
(この人……!)
 美澄は激しく動揺する。
 どうして――嘘でしょう。
 人違い? 記憶違い? ただ似ている人? 
 ううん、絶対に、忘れるわけがない。
 院長の息子だなんて、この人、そんな立場の人だったんだ――。
 案内係が去ってから、彼は立ち尽くす美澄に声をかけてきた。
「どうしました」
 クールな低音が、美澄の鼓膜を刺激する。びくりと、彼女は頬を硬くした。
 警戒体勢を敷いた美澄のことなど、彼はまったく気付いていない。それがなおさら美澄を苛立たせる原因となった。
「だって、まさか、あなたがお見合い相手だったなんて……思わないじゃないですか」
 美澄が声を震わせると、彼は怪訝な表情を浮かべた。
「失礼。どこかでお会いしたことがありましたか?」
「……病院であなたに会ったことがあります。東雲総合病院の、外科医ですよね?」
「病院……ああ、なるほど。患者さんでしたか」
 彼は頷く。なんともないように。よくあることだとでも言いたげに。
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