ご近所の平和を守るため、夫のアレが欲しいんです!
 それ以外の思念もまるで映像のように浮かんで、私はこの悪霊を構成するものを把握した。そしてそれを踏まえた上で、先ほどコンビニで買ったご祝儀袋を取り出す。片手に形代、もう片手にご祝儀袋。よく見えるように悪霊に掲げてみせて、そしてもう一度、言葉に力を込めて話しかけた。

「この形代にお入りいただきますよう、重ねてお願い申し上げます。この家は決して貴方様の安らぎの場所にはなりません。この形代にお入りいただければ、この袋に大切に包み、貴方様を安らぎの場所へご案内させていただきます」

 たかがご祝儀袋と侮るなかれ。そもそもご祝儀袋とは、神様へのお供物を束ねたものから始まったんだ。熨斗に水引きに紅白の色。形代がちょうど入る大きさで、神様に最大の礼を尽くして考えられたこの入れ物。家主が亡くなった後も遺産相続で揉めて、宙ぶらりんになってただ朽ち果てていくだけの、悔しい思い出しか無い家で拗らせていくよりも、絶対こっちの方が居心地が良い。

 心の底からそう思い、その気持ちを言葉にした。これで悪霊がここから動かなければ、それは私の力不足ということだろう。

 無言のままの緊迫の時間。
 そして、先程と違い、悪霊がゆらゆらと揺れ始めた。

 それは心の葛藤を表しているようで、私はただ黙って見つめるしか出来ない。クロもいつでも飛び掛かれる姿勢のまま、前方を見据えている。ここが一番の正念場だ。

 ゆらり。

 不意に悪霊が大きく揺れる。

 ゆらり。ゆらり

 そして煙となり、ゆっくりとこちらに近づいた。

『是』

 声とはまた違う、思念のようなものが流れ込む。そしてその一言だけが響いたかと思うと、煙は形代へと吸い込まれていった。

「ありがとうございます……!」

 形代に向かい、自然とお礼の言葉が出る。急に力が抜けてへたり込みそうになったが、なんとか踏ん張った。

 調伏だの退魔だの、そんな格好良いことが出来ない私は、社会人生活で培った交渉とプレゼン力で、人ならざる存在も説得していかなければいけないんだ。

 形代をそっと、ご祝儀袋に滑り込ませる。

「クロ、行こう」

 そして小走りで神社に向かった。



 ◇◇◇◇



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