寵愛のいる旦那との結婚がようやく終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい
五十七
 このとき皇太子が『可愛い』と言った言葉は厨房に戻った、わたしには聞こえていなかった。

 厨房に戻り洗い物の続きを始めると、カランコロンと出入り口のドアベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」

「リーヤ、来たぞ!」
「気まぐれニつ」

 閉店間際にワカさんとセヤ君が来てくれた。ワカは店の雰囲気を察したのか、いつもは広いテーブル席に座るのだけど。奥の席を見てセヤ君の背中を押し、今日はカウンターに座った。

 いまのミリア亭は皇太子殿下一行を残して、騎士二人は会計を終え外で待機しているのだろう、窓越しに二人の姿が見える。

「ワカさん、セヤ君、気まぐれ二つお待ちいたしました」

「おお、今日はステーキ丼か美味そうだな。この前のビーフシチューも美味かった、最近のリーヤは料理の腕が上がったんじゃないか?」

「うわぁ美味しい。お父さん、お肉柔らかいよ」

「ありがとうございます。ごゆっくり、ワカさん、セヤ君」

 わたしの料理の腕が上がったかはわからないけど、ダンス練習あと家で朝食を作るとき、横に立ってナサが色々とアドバイスしてくれるからかも。『この味付けはいい』とか『こっちは少し薄いかな?』って、ナサと作る朝食作りは楽しい。

 ナサとの楽しい朝食を思い出して、顔が緩んでいたのか。

「なぁ、ミリア。リーヤの料理が上手くなるって、アレだよな」 

 ワカは厨房で調理するミリアに声をかけた。
 それにミリアは料理中の手を止めて、

「ん? ワカも気付いたのかい」

 ニッコリ微笑んだ。

「へえ、リーヤにもようやく春が来たんだな、シッシシ」

(……!)

 意味ありげにナサの真似をする。

「早くリーヤも隣に座れよ、飯が冷めるぞ」

(……!)

 ミ、ミリアさんまで⁉︎

「シッシシ、シッシシ!」

 セヤ君まで!

「み、みんなで、わたしをからかうのは、やめてください」

 普段から、からかわれることに慣れていない、わたしは頬と耳が熱い。

「よかった……ナサはいい奴だし、優しいから、いっぱい甘えるといいぞ」

「はい、いつも、甘やかされています……って、あっ、彼には黙っていてくださいね」

「ハハハッ、ナサ脈ありだぞ。お幸せにな」

 もしかするとわたしって、と、心に芽生えた気持ちをいまは大切にしたい。







「美味かった、ごちそうさま」
「リーヤ、ごちそうさまでした」

「ありがとうございました。また、来てください」

 ワカさん親子が帰り、いつもなら閉店を迎えるミリア亭なのだけど、奥の席の人たちは腰をあげない。

「リーヤ、店を閉めるから表の看板を閉まって、札をcloseにしてきて」

「はーい」

 表に出ようとしたとき厨房からミリアは出てきて、奥のテーブル席の人に声をかけた。

「閉店だよ、あんた達は中央区に帰らないのかい? 騎士団総隊長さんと第一騎士隊長さん、アンタらは暇じゃないんだろ? 皇太子にいい様に使われちゃって、お守りも大変だね」

(え、ミリアさん!)

「……クッ、言いたい放題言いやがって」
「店主は痛いところを突いてくるな」

 あ、なんだか揉めそう? それを皇太子が止めに入る。

「待て、今日のところは帰るが……帰る前に彼女の手を見たい」


(わたしの手を見たい?)


 訳のわからない事を言うなっと、店の外に看板と札を裏返しに出ると、さっきの騎士達の他に鎧を身につけた騎士が数人、ミリア亭の前に立っていた。

(たぶん皇太子殿下の護衛騎士と騎士団だわ……もうすぐ、舞踏会と国王祭だもの、他所の国から来ている人も北区でちらほら見かけるようになったから……何かあったら大変だものね)

 騎士達は店から出てきたわたしを見ると、彼らは一斉に頭を下げた。

「失礼しております」
「いいえ、ご苦労さまです」

 いそいそと看板をしまい、札をcloseに変えて店の中に戻った。

「ミリアさん、看板と札、終わりました」

「ありがとう、リーヤこっちに来てこの人に手のひらを見せてやって……見たら、とっとと帰るんだよ!」

 ……皇太子はどうしてか、わたしの手を見たいらしい。

 わたしはテーブルに近付き手のひらを見せると、ローブの男性は、いきなりわたしの手を掴む。

「……っ!!」

(いきなり掴んできた……離して欲しいけど、この人はこの国の皇太子だから振り払えない)

 彼はじっくりわたしの手を見て、

「ふむ、あの失礼なリルガルド国の騎士団長カートラの妹で、君がワーウルフ二体と戦った子なんだよな」

「ええ、野性のゴリラですわ。それと、ワーウルフと戦ったのはわたし一人ではありません。騎士団の方と亜人隊の皆さんとです」

 ニッコリ微笑むと。
 クッと目を逸らされて、

「君にゴリラは言い過ぎた、すまない。……しかし、剣だこが薄い、最近は剣を振っていないのか?」
 
 剣?

 どうして皇太子はこんなことを気にするの? 

 ナサが基本は体からだと言うから、最近は筋トレ中心に変えているのだけど……皇太子はいつまで手を触るのだろう、そろそろ離してほしい。

(……触り方が苦手)

 手のひらを親指でプニプニしたり、指先でサワサワ触るからくすぐったい。眉をひそめて笑わないように我慢していたのを、彼は嫌だと勘違いしたのかムッとした表情に変わった。

「君はぼくが触るのがそんなに嫌なのか? 先程、話していた……ナサという男がいいのだな」

「え、ナサ? …………ナサは関係ありません。あの、失礼を承知して申します、あなた様の触り方がくすぐったいのです。……フフッ、あっ、…………」

 ローブの中の表情が驚き、そして和らいだよう感じた。

「そうか、くすぐったいのか。ワーウルフと戦ったと聞いたから、どんな手の持ち主かと思ったが……ぼくと比べると小さな手だな」

「あ、当たり前です…………女性です」

「だが、この手で剣を握るのだろう、君はどんな剣を使うんだ?」

 どんな剣って……

「あの 、わたしのは剣ではなく……木刀です」


 そう答えると、ギュッと手を握られた。


「ぼ、木刀で、君はワーウルフに立ち向かったのか!」

「なんと」
「木刀で⁉︎」

 周りの騎士二人も驚き、わたしの顔を覗き込んでくる。

「お、襲われそうな人がいたから……あのときは緊急だったんです」

 そう伝えた。

「そうか、君は強国リルガルドの出身だったね」

「……強国? は、はい」

「すまないが。強制召喚について詳しく教えてほしいのだが」

「……はぁ」

「君の兄、カートラが強い訳を知りたい」
「今度、君とウチのものとで手合わせしてもらいたいのだが」

「ぼくも木刀を振れば強くなるのか?」

「いいえ、それは……」

(ひ、ひぃ、グイグイ来ないで、もっと、ゆっくり聞いてほしい)

 この人達に押されていた。


「「おい!」」


 低い声と、大きな手が背後から伸び、わたしの体をグイッと引き寄せて、

「リーヤが怖がっているぞ、女性一人に男が大勢で襲いかかるのは、いかがなものかな?」

 皇太子一行を牽制した。
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