神殺しのクロノスタシスⅣ
魔導師排斥運動。

これは、ルーデュニア聖王国に限らず、全国各地で、少なからず起きてきる運動だ。

これらを行うのは、魔法を忌み嫌い、魔導師の存在を危険視する、所謂魔導師排斥論者達。

人智を超えた力を、人が手にすることをタブーとみなしている人々だ。

彼らはいつだって、大なり小なり、歴史の中に存在してきた。

俺は、他ならぬ魔導師だから、無論、魔導師排斥論者の肩を持つ訳にはいかないが。

しかしある意味では、彼らのような存在は、いて当然だと思っている。

この世界にいる全ての人間が、魔法を使える訳ではない。

魔法を扱えるのは、人並み以上の魔力と、そして生まれながらに持つ、魔導適性が必要だ。

この魔導適性というものが曲者で、これは努力や勉強によって身につくものではない。

人が生まれながらに持っている、才能のようなもの。

どんなに保有魔力量が多かろうが、どんなに強く魔導師になりたいと望もうが、魔導適性がなければ、魔導師にはなれない。

これだけは、本人の意志では変えようがない。

そして、生まれながらに魔導適性に恵まれた者だけが、人智を超えた力を扱い、行使する権利を与えられる。

故に、魔導適性を持たざる者は、魔導師達を妬み、憎み、忌み嫌うのだ。

彼らからすれば、俺達魔導師は、ただ魔導適性に恵まれて生まれたというだけで。

当たり前のように人智を超えた力を行使し、人々を高みから見物して嘲笑う、傲慢な権威主義者のように見えるのだろう。

無理もない、と思う。

誰だって、自分には出来ないことを、当たり前のように出来ている人を見れば。

そりゃ妬みもするし、逆恨みもする。

ましてや、その魔導師が、己の才能に驕ることなく、謙虚な態度でいるならまだしも。

「自分はお前ら平民とは違う、魔導師様なのだ」と、偉そうに威張っている魔導師も、一定数いるのが現状。

同じ魔導師として、情けないの極みだが。

実際、そういう魔導師達もいるのだ。

そんな魔導師を見ていれば、魔導師排斥論者が唾を飛ばして、魔導師の存在を否定するのも、頷けるというものだ。

それに、魔導師排斥論者が憂慮しているのは、魔導師の存在だけではない。

その魔導師が使う、魔法そのものにも難色を示している。

魔法とは、言うまでもなく、人の扱える力を超えた、自然の摂理に触れるもの。

先程、俺達がやったこともそうだ。

一般人なら、列車に揺られて長旅をしなければならない距離でも。

空間魔法を使えば、一瞬でひとっ飛び。

さながら瞬間移動だ。

さっきの、線路の故障だってそうだ。

本来ならシャベルで瓦礫を退かし、更に重機を入れて地面を平らにし、それから線路を敷き直して…と、数日がかりで直さなければならなかったものを。

俺の時魔法で、あっという間に、まるで何事もなかったかのように、直すことが出来る。

このような、ある意味反則紛いの力を、当たり前のように行使する。

魔導師排斥論者は、この力そのものを、危険視しているのだ。

力というものは、強大であればあるほど、使いようによっては多くの人々を傷つける。

全ての魔導師が、シルナのように馬鹿みたいに善人で、お人好しなら話は早いが。

そんなはずはない。魔導師だって、一人の人間なのだ。

この人智を超えた力で、悪事を働く者もいれば。

それこそ、人を傷つける為に魔法を使う、愚か者だっている。

そんな魔導師を見ていれば、魔導師排斥論者が生まれるのは、当たり前のことだと俺は思う。

誰もが皆、善人ではないのだ。

力があれば、良い方に使う者もいれば、悪い方に使う者もいる。

そしてその力で、傷つけられ、血を流す者もいるのだ。

だったら、魔導師なんて存在は、この世界には必要ない。

そう考え、魔導師を国の中から撲滅し、普通の人間だけの、健全な国であろう。

そんな主義を掲げているのが、魔導師排斥論者達である。

そして、今。

その魔導師排斥論者達の動きが、活発化し。

魔導師排斥運動の動きが高まっていると、エリュティアは言った。
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