天敵御曹司はひたむき秘書を一途な愛で離さない
衝撃の目覚め
眩しい日の光を感じて、二ノ宮穂乃果(にのみやほのか)の意識は浮上する。
幸せな夢を見ていた。
絶対に叶わないと思っていたことが思いがけず叶った夢だ。
『穂乃果、愛してる』
まだ耳に残っている。
普段は穂乃果を容赦なく叱る低い声。
夢の中ではとろけるように甘かった。
『ほら穂乃果。目を開けて俺を見ろ。誰に抱かれているかよく覚えておくんだ』
いつもは厳しいその視線も甘美な色に満ちていた。
手が届かないと諦めていた大好きな人の腕に抱かれて、穂乃果は生まれてはじめての幸福感に包まれたのだ。
ああ、目が覚めるのがもったいない。
このままもう少し夢の世界に浸っていたかった。
だって目を覚ましてしまったら、彼は穂乃果の手が届かないところへ行ってしまう。
だからもう少しだけ……。
けれど無情にも穂乃果の意識はどんどん覚醒してしまう。
うっすらと瞼を開くと、まだぼんやりとする穂乃果の目に見慣れない光景が飛び込んできた。
「……⁉︎」
ぱっちりと目を開き、ぐるりと周囲を見回して、ガバッと身体を起こす。
やっぱり。
どう考えても穂乃果が寝ているこの場所は、自分の家ではない。
ベッドは、大人ふたりくらいは悠々と寝られる大きだし、窓の外にはそびえ立つビル群、落ち着いたグリーンでまとめられたファブリック、サイドテーブルに置かれた小物から、この部屋の主が男性だということは明らかだった。
ベッド脇の床には、昨夜穂乃果が着ていたはずのベージュのスーツが脱ぎ捨てられている。それに絡まっている男性物のシャツを穂乃果は直視することができなかった。
もしかして、いやもしかしなくてもこの状況。
昨夜の夢は……。
「夢じゃなかったの……?」
唖然としながら呟くと、昨日の出来事が穂乃果の脳裏に蘇った。
昨日は、穂乃果が所属する獅子王不動産株式会社マンション事業部の送別会だった。
部を取りまとめていた高杉拓巳(たかすぎたくみ)部長が取締役に昇進し、来週から部を離れることになったからだ。
三十五才にして取締役への抜擢は異例中の異例だが、社内の誰もが納得の人事だった。
なにせ彼は、営業社員として入社して数カ月で営業成績トップを叩き出し、課長に昇進するまでずっとそれを維持し続けたという社内では知らない人がいない伝説の営業マンだった人物だ。
その輝かしい記録は数年経った今も、誰にも破られていないという。
中間管理職となってからも彼の活躍は変わらなかった。
類稀なるリーダーシップを発揮して、率いるチームをいつもいい成績へと導いた。厳しくも思いやりのある指導は、獅子王不動産に何千人といる営業社員の憧れ的だという。
穂乃果自身は三年前に新卒入社をした身だから、マンション事業部に配属になってからの彼しか知らないが、この手の話は彼に憧れる先輩社員たちから、耳にタコができるほど聞かされた。
しかも彼が飛び抜けているのは、仕事に対する能力だけではない。
百八十センチはゆうに越える長身に、細いけれどがっちりとした体型。
切れ長の印象的な瞳と高い鼻梁、そこにいるだけで目を引く存在感。
営業部員だけでなく、女性社員からの人気も社内一だった。
入社早々、そんな彼の部署に配属されたというだけで、穂乃果は同期に随分と羨ましがられたものだ。
定期的に開催される同期会ではできることなら代わってほしいと何度言われたことか。
とはいえ、社内でも花形部署であるマンション事業部、しかも毎年目標の数字の倍を叩き出す部署なのだから業務自体は大変だ。
この三年間、穂乃果は夢中で彼の背中を追った。
そしてその充実した日々の中で、大それたこととは知りながら、彼を好きになってしまったのである。
もちろん、だからといってどうにかしようなどとは思っていなかった。
異例の若さで取締役に抜擢され、息子のいない獅子王社長の後継者になるのでは、とまで目されている彼と、ただの一般社員でしかない自分が釣り合うはずはない。
彼の恋愛事情など知るすべもないが、少なくとも十歳も年下で恋愛経験のほとんどない自分は、始めから対象外に違いないのだから。
それならばせめて仕事では認められたいと、穂乃果は無我夢中で業務に打ち込んだ。
彼からの厳しい指導に応えるべく人一倍努力をした。
全社員が憧れる彼のもとで仕事をおしえてもらえる喜びをしっかりと噛み締めて。
そして三年が経った今、穂乃果は部内で、彼の"秘書"と言われるようになっていた。
もちろん部長という役職に秘書はつかない。
でも人の倍の業務をこなす彼に、スケジュールの管理や上がって来た決済書類の整理をする誰かがいる方がいいのはあきらかで、いつのまにかそれを穂乃果が担うようになったのだ。
穂乃果自身は事務職の採用で、秘書業務の知識はなかったが、彼のそばで彼の業務のサポートをするうちに自然とそれが身についたようだ。
『高杉部長案件は、二ノ宮さんを通すとスムーズだ』
そう言われることがなにより嬉しかった。
でもそれも、昨日で終わりだった。
取締役となれば、雲の上の存在だ。
勤務場所も最上階の役員室に変わるから、今までのように言葉を交わすことはおろか、顔を見ることすらできなくなるだろう。
おそらくはこれが彼と自分との別れ道。
その人事を聞いた時に、穂乃果は決心した。
勇気を出して最後にこの想いを伝えよう。ダメで元々、あたって砕けろの精神で。もう会うこともほとんどないとのであれば砕けてもダメージは最小限で済む。
だからこそ、言うのは最後の最後の日。もうこれきり会わないという時に告白すると決めたのだ。
それが昨夜の送別会終わりだった。
金曜日の夜の街は、午後九時を回ってもまだ賑わっていた。
たくさんの社員に別れを告げて、花束を抱え初雪の街を歩く背中をありったけの勇気を振り絞って、穂乃果は呼び止めた。
『高杉部長。あの……話があるんです……!』
駅までの道筋にある小さな公園で彼は話を聞いてくれた。手袋を忘れてかじかむ穂乃果の手に、目についた自販機で買った温かいミルクティーを握らせて。
その温もりに、穂乃果の胸も温かくなる。
彼はいつもこうやって部下を思いやる。
厳しい現場と過酷なスケジュール、とても乗り越えられそうにない案件も、こうやって部下を気遣う彼にならついて行きたいと誰もが思う。
手の中の温もりをお守りみたいに握りしめて、穂乃果はその言葉を口にした。
『部長、あの……私、部長が好きなんです』
生まれてはじめての告白を終えて穂乃果は目を閉じてうつむいた。
そしてそのまま、彼からの断りの言葉を待つ。
すでに覚悟はできていた。
でも、ちらちらと舞う初雪とともに降ってきた彼の答えは、予想とは百八十度違うものだったのだ。
『ありがとう。俺も君が好きだった。付き合おうか』
そこからは、正直言って、あまりよく覚えていない。
かろうじて今思いだせるのは、
『もう少し一緒にいたい』
という彼の言葉。
そしてそれに、頷いたこと。
それからそのあとの……。
でもそこまで考えて、穂乃果はぶんぶんと首を振る。思い出すだけで身体が熱くなってしまう。
自分を落ち着かせるようにため息をひとつして、穂乃果はもう一度部屋を見回した。
この部屋にはうっすらと見覚えがある。
昨夜はじめて足を踏み入れた、拓巳がひとりで暮らすマンションの寝室だ。
でも彼の姿はなかった。
昨夜は確かに同じベッドにいたはずなのに。
穂乃果は窓の外へ目をやる。
もう随分と日が高い。
どうやら穂乃果は昨夜の酔いとはじめての経験に寝坊をしてしまったようだ。
彼がここにいないのは先に目を覚ましたからだろう。
穂乃果は急に不安になる。
もしかしたら彼は、恋人になったばかりだというのに、しょっぱなから寝坊した穂乃果に呆れて出ていってしまったのだろうか。
あるいは、彼はお酒には弱くないけれど、さすがに少しは酔ってはいただろうから、その場の空気に流されて穂乃果と一夜を過ごしてしまったことを後悔しているのかも。
戻って来た彼に、
"昨夜の出来事は、なかったことにしてほしい"
と言われてしまったらどうしよう……。
穂乃果が急に不安になった、その時。
落ち着いた色の木目調の扉がガチャリと音を立てて開き、その人が現れた。
昨夜、穂乃果が熱い夜を過ごした相手、高杉拓巳だ。
幸せな夢を見ていた。
絶対に叶わないと思っていたことが思いがけず叶った夢だ。
『穂乃果、愛してる』
まだ耳に残っている。
普段は穂乃果を容赦なく叱る低い声。
夢の中ではとろけるように甘かった。
『ほら穂乃果。目を開けて俺を見ろ。誰に抱かれているかよく覚えておくんだ』
いつもは厳しいその視線も甘美な色に満ちていた。
手が届かないと諦めていた大好きな人の腕に抱かれて、穂乃果は生まれてはじめての幸福感に包まれたのだ。
ああ、目が覚めるのがもったいない。
このままもう少し夢の世界に浸っていたかった。
だって目を覚ましてしまったら、彼は穂乃果の手が届かないところへ行ってしまう。
だからもう少しだけ……。
けれど無情にも穂乃果の意識はどんどん覚醒してしまう。
うっすらと瞼を開くと、まだぼんやりとする穂乃果の目に見慣れない光景が飛び込んできた。
「……⁉︎」
ぱっちりと目を開き、ぐるりと周囲を見回して、ガバッと身体を起こす。
やっぱり。
どう考えても穂乃果が寝ているこの場所は、自分の家ではない。
ベッドは、大人ふたりくらいは悠々と寝られる大きだし、窓の外にはそびえ立つビル群、落ち着いたグリーンでまとめられたファブリック、サイドテーブルに置かれた小物から、この部屋の主が男性だということは明らかだった。
ベッド脇の床には、昨夜穂乃果が着ていたはずのベージュのスーツが脱ぎ捨てられている。それに絡まっている男性物のシャツを穂乃果は直視することができなかった。
もしかして、いやもしかしなくてもこの状況。
昨夜の夢は……。
「夢じゃなかったの……?」
唖然としながら呟くと、昨日の出来事が穂乃果の脳裏に蘇った。
昨日は、穂乃果が所属する獅子王不動産株式会社マンション事業部の送別会だった。
部を取りまとめていた高杉拓巳(たかすぎたくみ)部長が取締役に昇進し、来週から部を離れることになったからだ。
三十五才にして取締役への抜擢は異例中の異例だが、社内の誰もが納得の人事だった。
なにせ彼は、営業社員として入社して数カ月で営業成績トップを叩き出し、課長に昇進するまでずっとそれを維持し続けたという社内では知らない人がいない伝説の営業マンだった人物だ。
その輝かしい記録は数年経った今も、誰にも破られていないという。
中間管理職となってからも彼の活躍は変わらなかった。
類稀なるリーダーシップを発揮して、率いるチームをいつもいい成績へと導いた。厳しくも思いやりのある指導は、獅子王不動産に何千人といる営業社員の憧れ的だという。
穂乃果自身は三年前に新卒入社をした身だから、マンション事業部に配属になってからの彼しか知らないが、この手の話は彼に憧れる先輩社員たちから、耳にタコができるほど聞かされた。
しかも彼が飛び抜けているのは、仕事に対する能力だけではない。
百八十センチはゆうに越える長身に、細いけれどがっちりとした体型。
切れ長の印象的な瞳と高い鼻梁、そこにいるだけで目を引く存在感。
営業部員だけでなく、女性社員からの人気も社内一だった。
入社早々、そんな彼の部署に配属されたというだけで、穂乃果は同期に随分と羨ましがられたものだ。
定期的に開催される同期会ではできることなら代わってほしいと何度言われたことか。
とはいえ、社内でも花形部署であるマンション事業部、しかも毎年目標の数字の倍を叩き出す部署なのだから業務自体は大変だ。
この三年間、穂乃果は夢中で彼の背中を追った。
そしてその充実した日々の中で、大それたこととは知りながら、彼を好きになってしまったのである。
もちろん、だからといってどうにかしようなどとは思っていなかった。
異例の若さで取締役に抜擢され、息子のいない獅子王社長の後継者になるのでは、とまで目されている彼と、ただの一般社員でしかない自分が釣り合うはずはない。
彼の恋愛事情など知るすべもないが、少なくとも十歳も年下で恋愛経験のほとんどない自分は、始めから対象外に違いないのだから。
それならばせめて仕事では認められたいと、穂乃果は無我夢中で業務に打ち込んだ。
彼からの厳しい指導に応えるべく人一倍努力をした。
全社員が憧れる彼のもとで仕事をおしえてもらえる喜びをしっかりと噛み締めて。
そして三年が経った今、穂乃果は部内で、彼の"秘書"と言われるようになっていた。
もちろん部長という役職に秘書はつかない。
でも人の倍の業務をこなす彼に、スケジュールの管理や上がって来た決済書類の整理をする誰かがいる方がいいのはあきらかで、いつのまにかそれを穂乃果が担うようになったのだ。
穂乃果自身は事務職の採用で、秘書業務の知識はなかったが、彼のそばで彼の業務のサポートをするうちに自然とそれが身についたようだ。
『高杉部長案件は、二ノ宮さんを通すとスムーズだ』
そう言われることがなにより嬉しかった。
でもそれも、昨日で終わりだった。
取締役となれば、雲の上の存在だ。
勤務場所も最上階の役員室に変わるから、今までのように言葉を交わすことはおろか、顔を見ることすらできなくなるだろう。
おそらくはこれが彼と自分との別れ道。
その人事を聞いた時に、穂乃果は決心した。
勇気を出して最後にこの想いを伝えよう。ダメで元々、あたって砕けろの精神で。もう会うこともほとんどないとのであれば砕けてもダメージは最小限で済む。
だからこそ、言うのは最後の最後の日。もうこれきり会わないという時に告白すると決めたのだ。
それが昨夜の送別会終わりだった。
金曜日の夜の街は、午後九時を回ってもまだ賑わっていた。
たくさんの社員に別れを告げて、花束を抱え初雪の街を歩く背中をありったけの勇気を振り絞って、穂乃果は呼び止めた。
『高杉部長。あの……話があるんです……!』
駅までの道筋にある小さな公園で彼は話を聞いてくれた。手袋を忘れてかじかむ穂乃果の手に、目についた自販機で買った温かいミルクティーを握らせて。
その温もりに、穂乃果の胸も温かくなる。
彼はいつもこうやって部下を思いやる。
厳しい現場と過酷なスケジュール、とても乗り越えられそうにない案件も、こうやって部下を気遣う彼にならついて行きたいと誰もが思う。
手の中の温もりをお守りみたいに握りしめて、穂乃果はその言葉を口にした。
『部長、あの……私、部長が好きなんです』
生まれてはじめての告白を終えて穂乃果は目を閉じてうつむいた。
そしてそのまま、彼からの断りの言葉を待つ。
すでに覚悟はできていた。
でも、ちらちらと舞う初雪とともに降ってきた彼の答えは、予想とは百八十度違うものだったのだ。
『ありがとう。俺も君が好きだった。付き合おうか』
そこからは、正直言って、あまりよく覚えていない。
かろうじて今思いだせるのは、
『もう少し一緒にいたい』
という彼の言葉。
そしてそれに、頷いたこと。
それからそのあとの……。
でもそこまで考えて、穂乃果はぶんぶんと首を振る。思い出すだけで身体が熱くなってしまう。
自分を落ち着かせるようにため息をひとつして、穂乃果はもう一度部屋を見回した。
この部屋にはうっすらと見覚えがある。
昨夜はじめて足を踏み入れた、拓巳がひとりで暮らすマンションの寝室だ。
でも彼の姿はなかった。
昨夜は確かに同じベッドにいたはずなのに。
穂乃果は窓の外へ目をやる。
もう随分と日が高い。
どうやら穂乃果は昨夜の酔いとはじめての経験に寝坊をしてしまったようだ。
彼がここにいないのは先に目を覚ましたからだろう。
穂乃果は急に不安になる。
もしかしたら彼は、恋人になったばかりだというのに、しょっぱなから寝坊した穂乃果に呆れて出ていってしまったのだろうか。
あるいは、彼はお酒には弱くないけれど、さすがに少しは酔ってはいただろうから、その場の空気に流されて穂乃果と一夜を過ごしてしまったことを後悔しているのかも。
戻って来た彼に、
"昨夜の出来事は、なかったことにしてほしい"
と言われてしまったらどうしよう……。
穂乃果が急に不安になった、その時。
落ち着いた色の木目調の扉がガチャリと音を立てて開き、その人が現れた。
昨夜、穂乃果が熱い夜を過ごした相手、高杉拓巳だ。
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