天敵御曹司はひたむき秘書を一途な愛で離さない
衝撃の事実
北海道出張最終日の夜、穂乃果は拓巳とふたりリゾートホテルのレストランにいた。
しっとりとした音楽が流れる落ち着いた雰囲気の中、窓際の席で彼と向かい合わせに座っている。
当初の予定では今日の午後のフライトで東京へ戻るはずだった。でも明日はふたりとも休日なのだから滞在を一日延ばして、一泊してから帰ろうと拓巳に提案されたのだ。
穂乃果はそれに素直に頷いた。
ちょうどいいと思ったからだ。この北海道出張が終わったら、拓巳に本当のことを告げようと決めていた。
自分はライバル会社の社長の娘で、あなたとお付き合いするには相応しくない相手かも知れません。
でもあなたを愛しています、その気持ちに嘘偽りはありません。
不安な気持ちもあるけれど、全面ガラス張りの大きな窓の向こうに広がっている北海道らしい雄大な景色が心を少し落ち着かせてくれた。
北海道出張が当初想定していたよりも、いい結果を生みそうだということも穂乃果に勇気をくれていた。もちろんそれは拓巳の成果であって、穂乃果はただ彼をサポートをしたに過ぎない。
それでも、例えば万が一、"ライバル会社の関係者は役員秘書に相応しくない"と今の役目を外されたとしても悔いはない、そんな気持ちだった。
「……とにかく、四日間よくやってくれた。おつかれさま」
四日間の出張内容を総括しながらの食事があらかた済んだ頃、向かい合わせの席で、拓巳がリラックスして微笑んだ。
「ありがとうございます。副社長もおつかれさまでした。とても有意義な出張になりましたね」
心からそう言うと拓巳はフッと笑う。
「そうだな」
そして穏やかな表情で穂乃果を見つめた。
「だが、ここで仕事の話はお終いだ」
その言葉に穂乃果の胸がどきりとした。
おそらく彼の方も、このホテル滞在で穂乃果が秘密にしていたことを打ち明けようとしていることに気が付いているのだろう。もしかしたら一日滞在を延ばしてくれたのはこのためだったのかもしれない。
ついに言うべき時が来たと穂乃果は思う。でもすぐには言えなくて、唇を噛んでうつむくと。
「穂乃果、手を貸して」
拓巳がそう言って穂乃果の方に左手を延ばした。
「……?」
穂乃果がそこへ恐る恐る右手を乗せると大きな手に優しく包まれる。テーブルの上でふたりしっかりと手を繋ぎ見つめ合った。
そして先に口を開いたのは拓巳だった。
「穂乃果、伝えておきたいことがある」
てっきり穂乃果の秘密を教えてほしいと言われるものと思っていた穂乃果は、意外な気持ちで瞬きをする。
拓巳が穏やかな眼差しで口を開いた。
「穂乃果、結婚しよう」
その内容に穂乃果は目を見開いたまま、相槌も打てないでいる。
彼がそのつもりだというのは、はじめて迎えたあの朝にも聞いていた。でもあれからいろいろ事情が変わったのに、しかも今このタイミングで……?
これから穂乃果がふたりにとって障害となるなにかを話すことに、彼は気が付いているはずなのに。そしてその内容次第では、もしかしたら……ということも考えられなくはないのに。
穂乃果のその疑問に、拓巳が答えを出す。
「穂乃果、君を愛している。それはなにがあっても変わらない。俺は君と結婚したい。ずっと一緒にいたいんだ。それを先に伝えておくよ」
穂乃果は泣きそうになってしまう。
彼の優しさと大きな愛が、穂乃果の胸に染み渡る。
これから穂乃果が口にする秘密がどんなものであっても愛は変わらないと彼は言ってくれている。
大きな愛に心が包み込まれて、励まされているようだった。
大きく深呼吸をひとつして、穂乃果は自分の気持ちを口にする。
「私もです、拓巳さん。ずっと一緒にいたいです。だから、私の話を聞いてください」
決意を込めてそう言うと、繋いだ手がギュッと強く握られる。
拓巳が大きく頷いた。
「ああ、話してくれ」
大丈夫。
彼とならどんな困難も乗り越えられる。なにがあっても離れない。
心の中でそう唱えながら、穂乃果はついに口を開いた。
「拓巳さんは、二ノ宮不動産を知っていますよね」
震える声で確認をする。念のためだ。二ノ宮不動産は獅子王ほどではないにしてもそれなりに名が通っている。彼が知らないはずはない。
拓巳が無言のまま頷いた。
穂乃果はこくりと喉を鳴らした。
「私、本当は……、に、二ノ宮不動産のしゃ、社長の娘なんです……!」
穂乃果はギュッと目を閉じて、ついにその言葉を口にした。
そしてそのまま、一気に抱えていたものを吐き出していく。
「二ノ宮不動産は獅子王とは比べものにならないくらいの規模かもしれませんが、それでも同業他社には変わりありません。だから私、拓巳さんの恋人としては相応しくありません。それから……それだけじゃなくて、秘書としても問題があるんです……。隠していたわけではないですが、と、途中から言いづらくなってしまったんです。本当にすみません」
言い終えて穂乃果は恐る恐る目を開く。
拓巳は眉を寄せて少し怪訝な表情で穂乃果を見つめていた。
胸の鼓動が嫌なリズムでスピードを上げていく。やはり彼にとっては受け入れ難い事実なのだ。
穂乃果は慌てて言葉を付け足す。
「も、もちろん、仕事で知ったことを家族に話したりしたことは一切ありません。それは絶対に大丈夫です。とはいえ、拓巳さんが不安に思われるのは当然です。ですが……」
「いや」
そこで、穂乃果の言葉を拓巳が遮った。
「それ自体は俺はなにも心配していない。君を信じているよ」
「あ、ありがとうございます」
力強い彼の言葉に穂乃果は一応安堵する。
でも拓巳はまだ不審部分があるようだ。首を傾げて穂乃果に向かって問いかける。
「ただわからないのは、君が二ノ宮不動産の娘だということと俺たちのことに、いったいなんの関係が……」
と、その時。
「穂乃果? 穂乃果じゃないか」
突然声をかけられて、拓巳はそこで言葉を切る。見回すと、少し離れたところにふたり組の男性が立っている。そのうちのひとり、穂乃果に声をかけたと思しき人物に、穂乃果は目を剥いた。
「お、お父さん⁉︎」
そう穂乃果の父親だ。
「なにしてるの⁉︎ こんなところで」
「それはこっちのセリフだ。お前こそなにをしてるんだ? なぜ北海道(ここ)にいる? 俺は休暇でゴルフ旅行だ。お前も休みなのか?」
そういえば、母が父は休暇を使ってのゴルフ旅行に行っていると言っていた。同じ家に住んでいても皆成人で仕事があれば、互いのスケジュールはあまり把握していない。行き先となれば尚更だ。
「私は休みじゃないわ。仕事よ……」
そう答えながら、穂乃果は父の隣の人物に見覚えがあるような気がして口を閉じる。
その人物が拓巳に向かって口を開いた。
「拓巳、お前もこっちに来てたのか。仕事か? いや、そういうわけではなさそうだが」
そう言ってテーブルの上で繋いだままになっている拓巳と穂乃果の手をジッと見ている。
その視線に、拓巳が咳払いをしてそっと手を離した。
「仕事ですよ、社長。例の北海道視察の最終日です。明日はふたりとも休みですから一泊延ばしてここに泊まることにしたんです」
ふたりがここにいるわけを淀みなく説明しているが、少々バツが悪そうだった。
「一泊延ばした、か。ふぅん、なるほど」
社長と呼ばれた男性は、一応は頷きながら、からかうような視線を拓巳に送っている。
そのふたりのやり取りを穂乃果は唖然として見つめていた。
今拓巳が言った通り、父の隣にいるのは拓巳の父親でもある獅子王不動産の社長だ。穂乃果自身、社報やモニター画面を通してしか顔を見たことはなかったが、拓巳がそう言ったのだから間違いない。
社長が穂乃果の父親に向かって笑みを浮かべた。
「二ノ宮君、紹介させてくれ。息子の拓巳だよ。今副社長をしてるんだ」
その言葉に、穂乃果はまた目を剥いた。
社長が父を"二ノ宮君"と呼んだからだ。
二ノ宮君、すごく気楽な呼び方だ。まるで友人同士のような……。
拓巳と父が互いに自己紹介し合うのを見つめる穂乃果の頭を、そんな疑問がぐるぐる回る。
今度は父が穂乃果を紹介した。
「獅子王君、これがうちの娘、穂乃果だよ。御社で世話になってる」
「ああ」
社長が穂乃果に向かってにっこりとした。
「噂で聞いてるよ。がんばってくれてるみたいじゃないか」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
そう応えながら、穂乃果の頭はパニックだ。父が社長を"獅子王君"と呼んだからだ。
まるで友人同士のように……。
しかも社長の方は穂乃果が獅子王の社員だと聞いても特に驚いた様子はない。もしかしてはじめから知っていた……?
「副社長就任直後の拓巳をしっかりサポートしてくれているようだ。そうだろう? 拓巳」
「そうですね。よくやってくれています」
極め付けは拓巳のこの態度だった。穂乃果が二ノ宮不動産の社長令嬢だということを自然と受け入れているように思える。
父親たちが現れる直前に穂乃果の口から聞いたからだろうか?
いやそれにしても……。
「拓巳さん、私が二ノ宮の関係者だって聞いてもあまり驚かないんですね」
思わず出た呟きに、穂乃果以外の三人が注目する。
拓巳がまた怪訝な表情になった。
「驚かないもなにも……俺ははじめから知っていたんだが」
その意外すぎる彼の言葉に、穂乃果は思わず声をあげる。
「え……ええ⁉︎」
拓巳が事情を説明する。
「君が入社する時に、社長から聞いたんだよ。二ノ宮不動産の娘が入社するからよろしくと。友人の娘だから優しくしてやってくれって言われて」
「優しくしてやってくれ……」
あまりのことに呆気に取られて、穂乃果がオウム返しに呟くと、拓巳が語気を強めた。
「言っておくが、だからといって俺は君を特別扱いしたことはない。他の部下とまったく同じように接していた」
それは言われなくてもはっきりわかる。彼の穂乃果に対する対応は他の社員とまったく同じだった。それが穂乃果にはありがたかったのだ。
穂乃果が二ノ宮不動産に就職しなかったのはそのためでもあったのだから。特別扱いされることなく、しっかり仕事を覚えたい。だから親の会社を避けたのに……。
眉を寄せて父を見ると、父があたふたと言い訳をした。
「いや、だって、心配じゃないか。穂乃果、てっきりうちの会社に就職するものと思っていたのに、勝手に就職を決めてしまうし……。この仕事の厳しさは父さんはよくわかっているから……」
「ははは! 息子と違って娘は可愛いからな!」
社長が父の肩を叩いてからから笑う。そしてにやにやして拓巳と穂乃果を見た。
「だけどふたりがそんな関係になっとったとは驚きだ。いやいや瓢箪から駒とはこういうことをいうんだな。拓巳がいつまでも結婚せんから少し心配になっていたところなんだよ。獅子王の後継者と認められたくば馬車馬のように働けと言い過ぎたのかと思ってな。それにしても相手が二ノ宮君の娘さんなら万々歳だ!」
拓巳がため息をついた。
「いやまだそこまでは……」
「なにを言っとる。お洒落なホテルのレストラン、窓際の席、手を握り合う男女ときたらプロポーズに決まってるじゃないか」
さすがは大企業を率いるリーダーだと変な角度から感心してしまいたくなるようなズバリの指摘に、拓巳は嫌そうに舌打ちをする。
「プロポーズ……」
父が複雑そうな眼差しを穂乃果に向けた。
一方で穂乃果は、プロポーズなどという言葉を三人が平然と口にしていること自体が意味不明だった。
ライバル会社同士のふたりの結婚なのだ。少なくとも父親たちは、反対するはずなのに。
「よかったよかった。なあ、二ノ宮君?」
にこにことして父親の肩を社長がバシバシ叩いている。
「うっ……まぁ、獅子王君のところなら安心か……」
父親ががっくりとしながらもそう答える。
その姿に穂乃果は目を丸くした。
「お、お父さん! 反対じゃないの⁉︎ いつもはダメだって言うじゃない! ……あ……」
思わず飛び出た少し遠慮のない穂乃果の言葉に、四人の間に少し気まずい空気が流れる。
その沈黙を破ったのは、父だった。
「あー、そうだな穂乃果。だが、それを言っているの和馬だけだ」
「え? ……でも」
とそこで、静かなレストラン内で注目を浴びすぎていることに気が付いて、四人はロビーに移動する。
ソファに穂乃果と拓巳が横並びに、向かいに父親二人が腰掛けてから、父が気まずそうに拓巳と社長に説明をした。
兄の和馬が獅子王不動産を異常にライバル視していて、いつも追いつけ追い越せと、社員にも家族にも言っていること。さらには八歳年下の穂乃果を溺愛していて、獅子王不動産の関係者、特に男とは親しくなるなと常日頃から厳命していること。
「実は獅子王君とお父さんは数年前から友人でな。業界団体の会合で知り合って、意気投合したんだ。それ以来良くしていただいている。もちろん和馬には内緒だが……」
最後に父は穂乃果にそう説明した。
父としては、これからの二ノ宮不動産を任せる兄には、具体的な目標となる企業があること自体は悪くないと思って、放っておいたのだという。
「おふたりには不快な思いをさせてしまった。申し訳ない……」
拓巳と社長に父が頭を下げている。
社長がはははと声をあげた。
「なるほどな。いや気にせんでくれ。後継問題に頭を悩ませる企業が多い中、なかなかいい息子さんじゃないか。そのくらい勢いのある息子さんなら二ノ宮君とこは安泰だな。おい拓巳、うかうかしてたらすぐに抜かれてしまうぞ」
拓巳に向かって檄を飛ばしている。
「はい」
拓巳が素直に頷いた。
なんだかすべてが、丸く収まったように思えて、穂乃果は父に向かって問いかけた。
「お父さん。だったら私、拓巳さんと付き合ってもいいの……?」
父が少し残念そうに頷いた。
「ああ、まぁ、そうだ。会社と結婚はまた別だろう。和馬にはお父さんたちからちゃんと言っておくよ。もちろん母さんは賛成だろうし。とにかく和馬がうるさすぎてお前が嫁に行けないんじゃないかと心配しとったからな。……お父さんは、穂乃果にら結婚は早いんじゃないかと思わなくもないこともなくはないが……」
最後はごにょごにょと言う父を社長が笑う。
「やっぱり娘だと、複雑だなぁ~」
そして拓巳に問いかけた。
「で? どうなんだ? やっぱりプロポーズだったんだろう?」
「まぁ……そうでしたが」
拓巳が観念したようにため息をつき、優しい眼差しを穂乃果に向けた。
さっきの穂乃果の話と父親からの説明で、すっかり事情を察したようだ。
「ただまだ正式な返事をもらっていないんです。だからそろそろふたりきりにしてもらえますか」
そう言って立ち上がり、穂乃果の方へ手を伸ばした。
「行こうか」
穂乃果はまだどこか信じられない気持ちで父と、社長、それから拓巳を見回した。そして少し寂しそうながらも微笑む父、二ノ宮不動産の関係者である穂乃果が役員秘書だということを受け入れてくれている拓巳と社長に、本当に拓巳との間の障害はなくなった……いや、はじめからなかったのだと実感する。
父が見ていることに少々気恥ずかしく思いながらも、差し出された手をおずおずと掴んだ。
拓巳が父に向かって頭を下げた。
「また、正式にご挨拶に伺います」
「あー、うー……そうだな。待ってるよ」
がっくりと肩を落とす父。
「ははは! 今夜はやけ酒だな! よし、俺がとことん付き合おう」
意気揚々として言う社長。
ふたりを残して、穂乃果と拓巳は手を繋ぎロビーを後にした。
しっとりとした音楽が流れる落ち着いた雰囲気の中、窓際の席で彼と向かい合わせに座っている。
当初の予定では今日の午後のフライトで東京へ戻るはずだった。でも明日はふたりとも休日なのだから滞在を一日延ばして、一泊してから帰ろうと拓巳に提案されたのだ。
穂乃果はそれに素直に頷いた。
ちょうどいいと思ったからだ。この北海道出張が終わったら、拓巳に本当のことを告げようと決めていた。
自分はライバル会社の社長の娘で、あなたとお付き合いするには相応しくない相手かも知れません。
でもあなたを愛しています、その気持ちに嘘偽りはありません。
不安な気持ちもあるけれど、全面ガラス張りの大きな窓の向こうに広がっている北海道らしい雄大な景色が心を少し落ち着かせてくれた。
北海道出張が当初想定していたよりも、いい結果を生みそうだということも穂乃果に勇気をくれていた。もちろんそれは拓巳の成果であって、穂乃果はただ彼をサポートをしたに過ぎない。
それでも、例えば万が一、"ライバル会社の関係者は役員秘書に相応しくない"と今の役目を外されたとしても悔いはない、そんな気持ちだった。
「……とにかく、四日間よくやってくれた。おつかれさま」
四日間の出張内容を総括しながらの食事があらかた済んだ頃、向かい合わせの席で、拓巳がリラックスして微笑んだ。
「ありがとうございます。副社長もおつかれさまでした。とても有意義な出張になりましたね」
心からそう言うと拓巳はフッと笑う。
「そうだな」
そして穏やかな表情で穂乃果を見つめた。
「だが、ここで仕事の話はお終いだ」
その言葉に穂乃果の胸がどきりとした。
おそらく彼の方も、このホテル滞在で穂乃果が秘密にしていたことを打ち明けようとしていることに気が付いているのだろう。もしかしたら一日滞在を延ばしてくれたのはこのためだったのかもしれない。
ついに言うべき時が来たと穂乃果は思う。でもすぐには言えなくて、唇を噛んでうつむくと。
「穂乃果、手を貸して」
拓巳がそう言って穂乃果の方に左手を延ばした。
「……?」
穂乃果がそこへ恐る恐る右手を乗せると大きな手に優しく包まれる。テーブルの上でふたりしっかりと手を繋ぎ見つめ合った。
そして先に口を開いたのは拓巳だった。
「穂乃果、伝えておきたいことがある」
てっきり穂乃果の秘密を教えてほしいと言われるものと思っていた穂乃果は、意外な気持ちで瞬きをする。
拓巳が穏やかな眼差しで口を開いた。
「穂乃果、結婚しよう」
その内容に穂乃果は目を見開いたまま、相槌も打てないでいる。
彼がそのつもりだというのは、はじめて迎えたあの朝にも聞いていた。でもあれからいろいろ事情が変わったのに、しかも今このタイミングで……?
これから穂乃果がふたりにとって障害となるなにかを話すことに、彼は気が付いているはずなのに。そしてその内容次第では、もしかしたら……ということも考えられなくはないのに。
穂乃果のその疑問に、拓巳が答えを出す。
「穂乃果、君を愛している。それはなにがあっても変わらない。俺は君と結婚したい。ずっと一緒にいたいんだ。それを先に伝えておくよ」
穂乃果は泣きそうになってしまう。
彼の優しさと大きな愛が、穂乃果の胸に染み渡る。
これから穂乃果が口にする秘密がどんなものであっても愛は変わらないと彼は言ってくれている。
大きな愛に心が包み込まれて、励まされているようだった。
大きく深呼吸をひとつして、穂乃果は自分の気持ちを口にする。
「私もです、拓巳さん。ずっと一緒にいたいです。だから、私の話を聞いてください」
決意を込めてそう言うと、繋いだ手がギュッと強く握られる。
拓巳が大きく頷いた。
「ああ、話してくれ」
大丈夫。
彼とならどんな困難も乗り越えられる。なにがあっても離れない。
心の中でそう唱えながら、穂乃果はついに口を開いた。
「拓巳さんは、二ノ宮不動産を知っていますよね」
震える声で確認をする。念のためだ。二ノ宮不動産は獅子王ほどではないにしてもそれなりに名が通っている。彼が知らないはずはない。
拓巳が無言のまま頷いた。
穂乃果はこくりと喉を鳴らした。
「私、本当は……、に、二ノ宮不動産のしゃ、社長の娘なんです……!」
穂乃果はギュッと目を閉じて、ついにその言葉を口にした。
そしてそのまま、一気に抱えていたものを吐き出していく。
「二ノ宮不動産は獅子王とは比べものにならないくらいの規模かもしれませんが、それでも同業他社には変わりありません。だから私、拓巳さんの恋人としては相応しくありません。それから……それだけじゃなくて、秘書としても問題があるんです……。隠していたわけではないですが、と、途中から言いづらくなってしまったんです。本当にすみません」
言い終えて穂乃果は恐る恐る目を開く。
拓巳は眉を寄せて少し怪訝な表情で穂乃果を見つめていた。
胸の鼓動が嫌なリズムでスピードを上げていく。やはり彼にとっては受け入れ難い事実なのだ。
穂乃果は慌てて言葉を付け足す。
「も、もちろん、仕事で知ったことを家族に話したりしたことは一切ありません。それは絶対に大丈夫です。とはいえ、拓巳さんが不安に思われるのは当然です。ですが……」
「いや」
そこで、穂乃果の言葉を拓巳が遮った。
「それ自体は俺はなにも心配していない。君を信じているよ」
「あ、ありがとうございます」
力強い彼の言葉に穂乃果は一応安堵する。
でも拓巳はまだ不審部分があるようだ。首を傾げて穂乃果に向かって問いかける。
「ただわからないのは、君が二ノ宮不動産の娘だということと俺たちのことに、いったいなんの関係が……」
と、その時。
「穂乃果? 穂乃果じゃないか」
突然声をかけられて、拓巳はそこで言葉を切る。見回すと、少し離れたところにふたり組の男性が立っている。そのうちのひとり、穂乃果に声をかけたと思しき人物に、穂乃果は目を剥いた。
「お、お父さん⁉︎」
そう穂乃果の父親だ。
「なにしてるの⁉︎ こんなところで」
「それはこっちのセリフだ。お前こそなにをしてるんだ? なぜ北海道(ここ)にいる? 俺は休暇でゴルフ旅行だ。お前も休みなのか?」
そういえば、母が父は休暇を使ってのゴルフ旅行に行っていると言っていた。同じ家に住んでいても皆成人で仕事があれば、互いのスケジュールはあまり把握していない。行き先となれば尚更だ。
「私は休みじゃないわ。仕事よ……」
そう答えながら、穂乃果は父の隣の人物に見覚えがあるような気がして口を閉じる。
その人物が拓巳に向かって口を開いた。
「拓巳、お前もこっちに来てたのか。仕事か? いや、そういうわけではなさそうだが」
そう言ってテーブルの上で繋いだままになっている拓巳と穂乃果の手をジッと見ている。
その視線に、拓巳が咳払いをしてそっと手を離した。
「仕事ですよ、社長。例の北海道視察の最終日です。明日はふたりとも休みですから一泊延ばしてここに泊まることにしたんです」
ふたりがここにいるわけを淀みなく説明しているが、少々バツが悪そうだった。
「一泊延ばした、か。ふぅん、なるほど」
社長と呼ばれた男性は、一応は頷きながら、からかうような視線を拓巳に送っている。
そのふたりのやり取りを穂乃果は唖然として見つめていた。
今拓巳が言った通り、父の隣にいるのは拓巳の父親でもある獅子王不動産の社長だ。穂乃果自身、社報やモニター画面を通してしか顔を見たことはなかったが、拓巳がそう言ったのだから間違いない。
社長が穂乃果の父親に向かって笑みを浮かべた。
「二ノ宮君、紹介させてくれ。息子の拓巳だよ。今副社長をしてるんだ」
その言葉に、穂乃果はまた目を剥いた。
社長が父を"二ノ宮君"と呼んだからだ。
二ノ宮君、すごく気楽な呼び方だ。まるで友人同士のような……。
拓巳と父が互いに自己紹介し合うのを見つめる穂乃果の頭を、そんな疑問がぐるぐる回る。
今度は父が穂乃果を紹介した。
「獅子王君、これがうちの娘、穂乃果だよ。御社で世話になってる」
「ああ」
社長が穂乃果に向かってにっこりとした。
「噂で聞いてるよ。がんばってくれてるみたいじゃないか」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
そう応えながら、穂乃果の頭はパニックだ。父が社長を"獅子王君"と呼んだからだ。
まるで友人同士のように……。
しかも社長の方は穂乃果が獅子王の社員だと聞いても特に驚いた様子はない。もしかしてはじめから知っていた……?
「副社長就任直後の拓巳をしっかりサポートしてくれているようだ。そうだろう? 拓巳」
「そうですね。よくやってくれています」
極め付けは拓巳のこの態度だった。穂乃果が二ノ宮不動産の社長令嬢だということを自然と受け入れているように思える。
父親たちが現れる直前に穂乃果の口から聞いたからだろうか?
いやそれにしても……。
「拓巳さん、私が二ノ宮の関係者だって聞いてもあまり驚かないんですね」
思わず出た呟きに、穂乃果以外の三人が注目する。
拓巳がまた怪訝な表情になった。
「驚かないもなにも……俺ははじめから知っていたんだが」
その意外すぎる彼の言葉に、穂乃果は思わず声をあげる。
「え……ええ⁉︎」
拓巳が事情を説明する。
「君が入社する時に、社長から聞いたんだよ。二ノ宮不動産の娘が入社するからよろしくと。友人の娘だから優しくしてやってくれって言われて」
「優しくしてやってくれ……」
あまりのことに呆気に取られて、穂乃果がオウム返しに呟くと、拓巳が語気を強めた。
「言っておくが、だからといって俺は君を特別扱いしたことはない。他の部下とまったく同じように接していた」
それは言われなくてもはっきりわかる。彼の穂乃果に対する対応は他の社員とまったく同じだった。それが穂乃果にはありがたかったのだ。
穂乃果が二ノ宮不動産に就職しなかったのはそのためでもあったのだから。特別扱いされることなく、しっかり仕事を覚えたい。だから親の会社を避けたのに……。
眉を寄せて父を見ると、父があたふたと言い訳をした。
「いや、だって、心配じゃないか。穂乃果、てっきりうちの会社に就職するものと思っていたのに、勝手に就職を決めてしまうし……。この仕事の厳しさは父さんはよくわかっているから……」
「ははは! 息子と違って娘は可愛いからな!」
社長が父の肩を叩いてからから笑う。そしてにやにやして拓巳と穂乃果を見た。
「だけどふたりがそんな関係になっとったとは驚きだ。いやいや瓢箪から駒とはこういうことをいうんだな。拓巳がいつまでも結婚せんから少し心配になっていたところなんだよ。獅子王の後継者と認められたくば馬車馬のように働けと言い過ぎたのかと思ってな。それにしても相手が二ノ宮君の娘さんなら万々歳だ!」
拓巳がため息をついた。
「いやまだそこまでは……」
「なにを言っとる。お洒落なホテルのレストラン、窓際の席、手を握り合う男女ときたらプロポーズに決まってるじゃないか」
さすがは大企業を率いるリーダーだと変な角度から感心してしまいたくなるようなズバリの指摘に、拓巳は嫌そうに舌打ちをする。
「プロポーズ……」
父が複雑そうな眼差しを穂乃果に向けた。
一方で穂乃果は、プロポーズなどという言葉を三人が平然と口にしていること自体が意味不明だった。
ライバル会社同士のふたりの結婚なのだ。少なくとも父親たちは、反対するはずなのに。
「よかったよかった。なあ、二ノ宮君?」
にこにことして父親の肩を社長がバシバシ叩いている。
「うっ……まぁ、獅子王君のところなら安心か……」
父親ががっくりとしながらもそう答える。
その姿に穂乃果は目を丸くした。
「お、お父さん! 反対じゃないの⁉︎ いつもはダメだって言うじゃない! ……あ……」
思わず飛び出た少し遠慮のない穂乃果の言葉に、四人の間に少し気まずい空気が流れる。
その沈黙を破ったのは、父だった。
「あー、そうだな穂乃果。だが、それを言っているの和馬だけだ」
「え? ……でも」
とそこで、静かなレストラン内で注目を浴びすぎていることに気が付いて、四人はロビーに移動する。
ソファに穂乃果と拓巳が横並びに、向かいに父親二人が腰掛けてから、父が気まずそうに拓巳と社長に説明をした。
兄の和馬が獅子王不動産を異常にライバル視していて、いつも追いつけ追い越せと、社員にも家族にも言っていること。さらには八歳年下の穂乃果を溺愛していて、獅子王不動産の関係者、特に男とは親しくなるなと常日頃から厳命していること。
「実は獅子王君とお父さんは数年前から友人でな。業界団体の会合で知り合って、意気投合したんだ。それ以来良くしていただいている。もちろん和馬には内緒だが……」
最後に父は穂乃果にそう説明した。
父としては、これからの二ノ宮不動産を任せる兄には、具体的な目標となる企業があること自体は悪くないと思って、放っておいたのだという。
「おふたりには不快な思いをさせてしまった。申し訳ない……」
拓巳と社長に父が頭を下げている。
社長がはははと声をあげた。
「なるほどな。いや気にせんでくれ。後継問題に頭を悩ませる企業が多い中、なかなかいい息子さんじゃないか。そのくらい勢いのある息子さんなら二ノ宮君とこは安泰だな。おい拓巳、うかうかしてたらすぐに抜かれてしまうぞ」
拓巳に向かって檄を飛ばしている。
「はい」
拓巳が素直に頷いた。
なんだかすべてが、丸く収まったように思えて、穂乃果は父に向かって問いかけた。
「お父さん。だったら私、拓巳さんと付き合ってもいいの……?」
父が少し残念そうに頷いた。
「ああ、まぁ、そうだ。会社と結婚はまた別だろう。和馬にはお父さんたちからちゃんと言っておくよ。もちろん母さんは賛成だろうし。とにかく和馬がうるさすぎてお前が嫁に行けないんじゃないかと心配しとったからな。……お父さんは、穂乃果にら結婚は早いんじゃないかと思わなくもないこともなくはないが……」
最後はごにょごにょと言う父を社長が笑う。
「やっぱり娘だと、複雑だなぁ~」
そして拓巳に問いかけた。
「で? どうなんだ? やっぱりプロポーズだったんだろう?」
「まぁ……そうでしたが」
拓巳が観念したようにため息をつき、優しい眼差しを穂乃果に向けた。
さっきの穂乃果の話と父親からの説明で、すっかり事情を察したようだ。
「ただまだ正式な返事をもらっていないんです。だからそろそろふたりきりにしてもらえますか」
そう言って立ち上がり、穂乃果の方へ手を伸ばした。
「行こうか」
穂乃果はまだどこか信じられない気持ちで父と、社長、それから拓巳を見回した。そして少し寂しそうながらも微笑む父、二ノ宮不動産の関係者である穂乃果が役員秘書だということを受け入れてくれている拓巳と社長に、本当に拓巳との間の障害はなくなった……いや、はじめからなかったのだと実感する。
父が見ていることに少々気恥ずかしく思いながらも、差し出された手をおずおずと掴んだ。
拓巳が父に向かって頭を下げた。
「また、正式にご挨拶に伺います」
「あー、うー……そうだな。待ってるよ」
がっくりと肩を落とす父。
「ははは! 今夜はやけ酒だな! よし、俺がとことん付き合おう」
意気揚々として言う社長。
ふたりを残して、穂乃果と拓巳は手を繋ぎロビーを後にした。