雨上がりの景色を夢見て
『…っ…子ども…欲しかったな』

しばらく静寂の続いていた病室に、夏奈のか細い声が響いて、その言葉に俺の胸が強く握りつぶされるような苦しさを感じた。

普通に恋をして、愛を育み、幸せな家庭を築きたい。昔から言っていた夏奈の言葉を思い出した。

喉の奥が痛くなり、次第に視界が涙でぼやけて来る。

力強く、夏奈の手を握った。

『…幸せに…なりたかったよ…っ…』

『…っ…夏奈』

涙が頬を伝った夏奈を見て、俺の目からも大粒の涙がこぼれ落ちた。









『女性っ気のない車ね。夏樹もいい年なんだから、彼女作ればいいのに』

2回目の手術から2年後。

俺の車の助手席に座っているすっかり元気になった夏奈が、車内を見渡して言った。

『あんまり詮索するなよ』

『えー、残念』

夏奈は、口を尖らせて前を向き直し、手元のスマホをいじり始めた。

俺は、夏奈の病気が判ってから、彼女を作っていない。最初の頃は、仕事の忙しさで、そんな暇が無かったという理由が大半を占めていた。

けれど、2回目の夏奈の手術以降、俺の気持ちががはっきりと決まった。

家族として、兄妹として、夏奈のこの先の人生が、かけがえのないものになるように同じ時間を過ごしていく。

俺が、家庭を築いて子どもができたら、夏奈は喜んでくれるとは思うけれど、複雑な気持ちになり、苦しい気持ちになるのだと思う。

夏奈にこれ以上苦しい思いをさせるなら、新しい家族を作って幸せになるよりも、今、目の前にいる大切な家族と幸せな時間を共有する方がいいのだと考えるようになった。

きっと夏奈にこの気持ちを知られたら、呆れられると思う。

それでもいい。

母親のお腹の中からずっと一緒に過ごしてきた妹が、笑ってくれるなら。

孤独にならないのであれば。

俺は幸せなんだ。




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