愛され聖女は片恋を厭う(宝玉九姫の生存遊戯1)
02 片恋の呪縛
宝物庫を出た王女は、やや重い足取りで回廊を進んでいた。
その頭の中では先ほど聞いた女官達の言葉が、何度も何度も繰り返されている。
『あなた『片恋姫』になりたいの?』
(……なりたいわけないじゃない、そんなもの)
どんなに声をひそめて語られたところで、その類の噂は、いつしか必ず本人の耳に届いてしまうものだ。
彼女がそのジンクスを知ったのは一体何歳の時だったか……。
一番に想う相手とは、決して結ばれない。それは人並みの少女らしく、恋を夢見る彼女にとって、あまりに残酷な現実だった。
そのジンクスを否定しようと、必死に歴史を辿ってみても、語られる史実はことごとくそれを裏付ける。
ある姫は政略のための婚姻を強いられ、ある姫は愛する者を彼女を愛する別の男の手により殺められ、ある姫は愛する者を守るため自らの命を散らした。
いずれにせよ、愛する者と幸せな結末を迎えられた姫は一人も存在しない。
(私も、いつかそうなるの……?)
彼女は未だ恋愛と呼べるようなものを経験したことはない。むしろ、無意識に恋愛を避けている。
彼女は恐れているのだ。身を焦がすような恋に堕ちることを。そしてそれが片恋に終わるのを。
その時、物思いに沈みかけた彼女の目に、回廊を曲がってやって来る人影が映った。途端、彼女の顔が明るく輝く。
「お兄様!」
「シャーリィ。お前は、また供も付けずにこんな所に……」
シャーリィ――それは、ごく親しい者だけが呼ぶ、彼女の愛称だった。
彼女のファーストネーム『マリア』は、初代光の宝玉姫マリアをはじめとして、代々の光の宝玉姫が受け継いできた伝統の名。
リヒトシュライフェ王国に生まれた、わずかでも光の宝玉姫を受け継ぐ資格を持つ女子なら必ず付けられる、“光の宝玉姫候補の証”とでも言うべき名だった。
だから、それを知る国内の者ならば、皆、王女のことを『シャルリーネ』もしくは『シャーリィ』と呼ぶ。
苦虫を噛み潰したような声で彼女の名を呼んできたのは、宮殿建築から女官のお仕着せに至るまで高度に洗練されたリヒトシュライフェ王宮において、一人異質な雰囲気をまとわせた青年。
純白のドレスやシャツの上に華やかな色合いの上着や飾り布を組み合わせて着飾る者の多い、宮中の時好に反し、青年が身にまとうのは黒みがかった地味な色合いの、デザイン性にも乏しい、ごくごく機能的な衣装。
唯一、彼の身分を示す証である、胸につけた家紋入りのブローチが無ければ、誰もが彼を、流行に疎い地方出身の新人官吏と見ただろう。
おまけにその顔は、ぱさついた灰茶の髪で半分以上隠れている。時折髪の間から覗く金色の瞳は刃のように鋭く、一種近寄り難いような空気を醸し出していた。
彼の名はウィレスターク・エーデルシュテルン。親しい者はウィレスと呼ぶ。
今年十八になるリヒトシュライフェ王国王太子。そしてシャーリィのただ一人の兄である。