はじまりは雨のなか
しばらく黙って彼を見ていると
「そろそろ近くじゃない?」
と声を掛けられた。
「はい、そこを左です。曲がって五つ目のアパートです」
「はい。ここだね」
「ありがとうございました」
いつの間にか雨はあがっていた。
「部屋は何階?三階です」
すると少し困ったような顔をしながら
「階段だよね?上れる?」
「えっと…どうでしょう?」
ズキズキと痛む足を見て不安に思っていた。そこへ…
「一緒に行くよ。シートベルト外して」
「えっ」
驚いているうちに運転席から降りて助手席のドアを開けてくれる。
「さぁ、降りて、立てる?」
「あっ、はっはい!」
車から降りようと足を地面に着けたら、捻った右足に力が入らず崩れ落ちそうになる。
すっと手を差し伸べてくれた逞しい腕のおかげで転ばずにすんだと思ったら、彼に抱きしめられる状態で一気に顔が熱を持つ。次に彼は背中を向けてきた。
「作業着で汚れてるけど、歩くよりはいいでしょ。しっかり掴まって」
と私をおんぶしてくれようとしていた。
「えっ。大丈夫です。歩きます」
と言っても
「さっき立てなかったんだから、説得力ないよ。カッコ良くお姫様抱っこでも出来たらいいんだろうけど、この服だし、背中の方がまだマシかなって思うからさ」
と背中に乗るように促され、恥ずかしくなりながら甘えさせてもらった。
階段を上り自分の部屋の前に着く。
「鍵は?」
「開けます。もう大丈夫です。どうもありがとうございました」
部屋の扉を開け、お礼を言う。
「うん。もし、腫れてくるようなら明日病院で診てもらった方が良いと思うよ。お大事にね」
お互いに名前を名のることもなく、ドアの前で別れた。
怪我をして最悪な気分でいたはずなのに、親切にしてもらい幸せな気分で部屋に入った。
「素敵な人だったな…。また、会えないかな…」