砂糖漬け

第五話 偶然を装って

夜、帰宅してシャワーを浴び、布団に入り、
彼女があの店に来た理由を色々考えたが、
JAZZ専門店の看板をたまたま見かけたからに違いない、
と自分に言い聞かせ、運命だとかは思いこまないようにしていた。
あまり眠れなかった。

翌朝、寝不足気味なのを抑えて、いつもと同じ時間に家を出た。
ホームに行けば彼女に会える。そこで話しかける。
これからはただ見ているだけの朝じゃない。

8時10分。新大久保。いつもより少し早い。
まだ彼女の姿は見えない。
8時12分発の山手線を見送り、改札からホームへと上る階段に目をやると、
彼女が上ってくるのが見えた。と同時に、ボクはチャンスを失った。
彼女がヘッドホンをしていたのだ。
きっと昨日買ったチャーリー・パーカーを聞いてるんだろう。
声を掛けられなくなってしまった。
彼女がいつもの場所へ立つ。ボクはいつもの斜め後ろに立つ。
ボクは少し大きなため息を吐いた。
すると彼女が少しだけ振り返った。
しまった、ため息が聞こえたのだろうか。目があった。
すると彼女は驚いた表情を浮かべ、ヘッドホンを外した。
「あぁ!あれ?昨日の店員さん?」
ボクも調子を合わせ、
「あれ?昨日チャーリー・パーカーを買ったお客さんですよね?
同じ駅だったんですね!」
白々しいウソを吐いた自分と、やはり今まで彼女の視界に留まっていなかった現実に情けなくなった。
「昨日オススメしてくれたCD、さっそく聞いてますよ」
と、ヘッドホンを指しながら彼女が微笑んだ。
「気に入ってくれたんですか!ありがとうございます!」
つい声が大きくなってしまった。周りの人がボク達に視線を向ける。
ボクと彼女は目が合い、笑い合った。
「すいません、声がデカかったですね」
「いえいえ」
8時14分。そろそろ電車が来る。すると駅員のアナウンスが響いた。

『お客様にお知らせ致します。ただいま新宿駅で人身事故が発生致しました。
その為、山手線全線にて運転を一時見合わせております。
お急ぎのところ〜』

なんてタイミングの悪さなんだろう。
彼女も困った表情を浮かべていた。
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