君が好きでたまらない!
 会が始まって暫くしたとき、新さんが「……どうしてこの会社に?」と聴いてきた。流石にずっと話題もなくしんとしているので気を使ってくださったのだろう。

 だが、何と答えるべきか。
本当は『佳織』なので、もちろん父の事務所で働いているわけではない。だが今は仮の姿。バレてはいけない。失礼があってもいけない。慎重に言葉を選ぶ。

「……働かないかとお誘いをいただいて……アシスタントを少し……」

「君が働いているなんて知らなかった」

「さ、最近入ったばかりですので……」

 え、父の会社の従業員をみんな覚えているの? 私が新入りだってすぐにわかっていたってこと? 混乱しながらも会話を続けた。

 酔ってきたのか、新さんの距離が近い気がする。横に座っているとはいえ、近い。飲みの席では、いつもこんな風に若い子に手を出しているのかしら。前のめりになって色々と質問してくる姿に、『佳織』には本当に興味がないんだなぁと痛感してしまう。
 そして意外にも私も『佳織』として接するよりもフランクに話せている気がする!

「靴は大丈夫だったか?」

「はい! 拭いたら綺麗になりましたよ。あの、ハンカチはまたクリーニングに出してお返しします」

「普通に洗濯してくれたらいいよ」

「でも……」

「じゃあ、今日コーヒーをかけてしまったお詫びに、どこか出かけないか?」

「二人で、ですか?」

 これは。決定的な浮気? 動揺して咄嗟に声が出ない。迷っていると、「……嫌か……?」と不安そうな眼差しで見つめてくる。相変わらず距離が近い。こんな手口でそんなイケメンで迫ってきたら、たいていの女の子は落ちちゃうよ……。いつもこうして口説いているの? (つま)のことを家に放っておいて?

「来週の土曜日なら時間が取れると思うから、どこか出かけないか?」

 具体的な日程まで提示されてしまった。しかし、連絡先を聞かれても、『佳織』の携帯電話番号しかいえるものがない。会社の携帯は持っていないし。

「きょ、今日は携帯を忘れてしまったので、えっと、あの、土曜日にここの横のカフェでどうですか」

「分かった。土曜の11時に横のカフェで。……待ち合わせか。久々で楽しみだ」

「!!」

 はにかむように俯く彼が新鮮で驚いた。そんな恥ずかしそうな表情見たことない。胸がズキズキする。彼が見ているのは『佳織』じゃない。名前のない、芸能事務所に勤める女性。お洒落で、気が強そうな、私とは正反対の女性。
 流れるようにデートに誘われた。これは慣れているのではないか。いつもこうして取引先の女性を口説いているのだろうか。むかむかしてきた。
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