恋がはじまる日
 お手洗いのついでに少し風に当たろうかな、と思い立ち上がった。

 ルーム外に出ると、室内の喧騒が嘘だったかのような静けさに包まれる。廊下は少し肌寒いような気がした。部屋を出てまっすぐ行くと、非常口のような外階段につながる踊り場がある。そのドアが開けっ放しになっていたようで、そこから冷たい風が入り込んでいた。室内が少し暑かったので、私はそこで少し涼むことにした。


 するとそこに、とある生徒の後ろ姿を見つける。
 欄干に腕を乗せ、頬杖をつきながら空を見上げている。


 心臓が一度、どきんと跳ねたような気がした。

 藤宮くん、いつからここにいたんだろう。

 さっきまで男女共に囲まれて、迷惑そうな顔をして座っていたように思ったけれど。


「何?」

「えっ」


 藤宮くんはそう短く、こちらを振り返りもせずに言った。


「あ、えっと、ごめんね、邪魔しちゃったかな?」


 私がそう返すと、彼はまた素っ気なく言った。


「別に」


 私は足首に気を使いながら、ゆっくりと彼の隣に並んだ。


 陽はとうに暮れて、まん丸の大きな月がどんな建物の明かりよりも眩しく輝いていた。

 しばらく私達は無言で空を見ていた。
 隣にいるだけでなんだか無性に落ち着かない。心臓が騒がしく動いて苦しかった。
 今までだって、昨日だってずっと、この距離で授業を受けていたはずなのに。

 私がこっそり深呼吸をしていると、彼が急にこちらを見た。


「お前、いつまでここにいるつもりだ?」

「えっ」

「なんでここに来たんだ?」

「そ、それは私のセリフだよ!藤宮くんこそ、打ち上げ行かないって言ってたのに、なんで来たの?」


 自分でも変な返答をしているな、と思ったけれど、自分だけが緊張していることが恥ずかしくて、なんとかしてごまかしたかった。


「はぁ…そういう意味じゃない。一から十まで説明しなきゃ分からないのか?」

「また藤宮くんは!すぐそういう言い方する!」
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