恋がはじまる日

「ご、ごめんなさい!私、」


 謝りたいのと、体勢が恥ずかしすぎるのとで、私は彼の腕から逃れようともがく。男性に抱きしめられることが初めての私は、もうパニック状態だった。

 すると彼はその意思を汲んでくれたのか、ぱっと私を支えていた手を離した。いや、待って、今急に手を離されてしまったら…!


「わっ!」


 そのまま体勢を崩すことになった私は、どしんとその場で尻餅をついた。


「いったー…」


 痛みの残るお尻をさすりながら顔を上げ、助けてくれたかに思われた男性の方を見やる。

 あれ、うちの学校の制服だ…?

 よく見ると男性は、いや男子生徒は、うちの高校のブレザーを着ていた。

 面倒そうにこちらを見下ろし、睨むように目を細め、ただ一言こう言い放った。


「…気を付けろ」


 そう吐き捨てるように言って、彼はさっさと行ってしまった。


「……………」


 私は呆気にとられしばらく尻餅をついたまま、ただただ茫然と彼が歩き去って行った方を眺めていた。


 え?睨まれた?確かにぶつかった私が悪いけれど、バランスの悪い状態で手を離すなんて、女の子に対する扱いひどくないですか?少女漫画ならここで優しく助けてくれて、恋がはじまる展開もあるんじゃないですか?


 憤懣な気持ちがじわりと沸いてくる。


「もう!なんなのよ!」


 期待とときめきに胸をおどらせていた時間は、あっという間に消え去ってしまった。

 前言撤回、今日は全然いいことがない日だ。



 春。

 四月。

 新学期。


 クールなイケメンに曲がり角でぶつかっても、現実は少女漫画みたいにうまくいかない。 

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