青時雨
電話で済ませられるのならそうしたかったけど、今回の件はあくまでこちらからのお願いという形を取っているので、私が出向かないわけにはいかなかった。
ところが、
「承りました。お預かりした書類は必要事項を記入いたしましてから、明日そちらへお届けにあがります」
対応した秘書は、私にそう言った。
「片桐社長は、お見えにならないのですか?」
「片桐は所要で外出しております。お忙しい中わざわざお越しいただきましたのに、大変申しわけありません」
私と同年代の秘書は、恭しくお辞儀をした。
避けられている。それがすぐに分かった。
もしかしたらこのままエレベーターでフロアに上がると、悠介さんが何事も無かったかのようにデスクに向かっているのかもしれない。
肩透かしを通り越して、釈然としない思いでオフィスビルを後にすると、急にスマホに着信があった。
悠介さんからだった。
『純さん、悠介です。──済みません、お会いできなくて』
「お気になさらないでください、悠介さんはお忙しいのですから。わざわざお電話してくださって、ありがとうございます」
『実は今、オフィスからあなたのことを見ています』
驚いて振り返り、悠介さんのオフィス階を見上げると、大きなガラス窓の傍に、がっちりと背の高い人影がたたずんでいた。
『僕は、純さんを傷付けてしまいました。謝らなければならないのに、あなたに伝える言葉が見つけられなくて──』
「私は気にしていません、悠介さん」
嘘だ。本当は一晩眠れないくらいショックだった。
でも今、先生に叱られてしょげかえる小学生のような彼の言葉を聞いていると、何か可笑しくなってしまって、そんな言葉が優しい声色で流れ出てきた。
「悠介さんのコラム、読者の皆さんが楽しみにしています。もちろん、私も」
『純さん、僕は──』
「これからもよろしく願いします、悠介さん」
私はそう言って、会話を終わらせた。
業界の風雲児で、皆が注目する青年実業家で、名うてのプレイボーイで、私に頭が上がらない悠介さん。
もやもやした心の曇りも、少しだけ晴れたような気がした。