青時雨
ヨットに乗るのは初めてだった。
男性はヨットの後方のシートスペースに腰掛けていて、コの字型に巡るシートスペースの後ろには大きな舵輪が二つ、左右に並んで付いている。
シートスペースの真ん中には、折りたたみ式のウッドテーブルがあって、その先にキャビンに降りる入り口があった。
「ようこそ、いらっしゃい」
男性は私にもシートを勧め、ウッドテーブルに置いたポットを傾けてマグカップに暖かいコーヒーを注ぎ、私に手渡した。
礼を言って受け取り、マグカップに口をつけると、身体全体にコーヒーの香りと暖かさが染み渡るような気がした。
風は少し弱まったようで、波が船体をぱたぱた叩く音が、眠くなるようなリズムを刻んでいた。
「ご旅行ですか?」彼が訊いてきた。
私はええ、と頷いて、目の前にそびえ立つ大きなマストを見上げた。
「素敵なヨットですね」
彼は自分のヨットを褒められて、嬉しそうに白い歯をみせた。
「僕の道楽です。週末や休日は、よくこうやってヨットで過ごしているんです」
「お一人なんですか?」
「休みの日ぐらい、一人でいたいですよ。仕事中は嫌でも人に会わなければなりませんからね」
休日を豪華なヨットで、一人で過ごす男性。歳はまだ30代に見えるけど──。
「朝日を見に来たんです」
私は言った。
「水平線から昇る朝日が見たかったんですが、ここからでは無理でしたね。ぼんやり朝日を眺めていたら、もっと近くで見たくなって」
私は少し照れ臭くなって、視線を落としてマグカップに口を付けた。
彼はそんな私の様子をじっと眺めていたけど、徐ろにこう切り出した。
「あなたさえ良ければ、ヨットを沖に出しましょうか? 海から眺める朝日はいっそう綺麗ですよ」