青時雨
別荘に入ると、悠介さんはポットにお湯を沸かしてミルを挽いて、美味しいコーヒーを淹れてくれた。
私は薫り高いコーヒーの湯気を顎に当てながら、初めて彼と出会った朝、彼のヨットで飲んだコーヒーの暖かさを思い出していた。
コーヒーを飲み終えると、悠介さんは「少し待っていてくださいね」と言って、螺旋階段を二階に上がっていった。
しばらくして戻ってきた彼は、LP盤のレコードジャケットを、大事そうに両手で持っていた。
「それは……?」
「教会音楽を特集したレコードで、これにカッチーニの『アヴェ・マリア』も入っています」
別荘のリビングには大きなオーディオセットが置いてあって、貴重な真空管アンプや、レコードプレーヤーも繋いである。
悠介さんはレコードプレーヤーの覆いを開けると、黒い光沢のLP盤を慎重にセットした。
スイッチを入れると自動で針が降りて、プツプツというレコード針の音に続いて、スピーカーから美しい調べが流れてきた。
人々の祈りを音符に託した、教会音楽の数々。どれも尊く、美しく響いたけど、悠介さんが奨めてくれたカッチーニの『アヴェ・マリア』は特に強く、私の心を揺さぶった。
『アヴェ・マリア』とは聖母マリアへの祈りの言葉だと、悠介さんは教えてくれた。カッチーニの『アヴェ・マリア』は、複雑な旋律を奏でながら、ただひたすら聖母に祈り、呼び掛け続ける曲だった。
それがなぜか、贖罪を乞う罪人の叫びのように、私には聞こえた。
まるで、罪深い私たちの、贖罪の調べのような──。
瞬きもせず、美しい調べに身を委ねるうち、私の瞳から涙が溢れて、一筋頬を伝って落ちた。
悠介さんはそんな私を何も言わずに、強く抱きしめてくれた。