姫の騎士
5、姫の席
3回目の姫騎士選抜試験は、季節の巡りを感じさせる爽やかな朝から始まる。
10名の候補者たちはグランドに入り、身体を動かし温めはじめていた。
グランドにはあらかじめ障害物が設置できるように作られている。
覆いをはがし、代わりにネットが張られているところもあれば、覆いの下には溝があり、水が入れられているところもある。背丈ほどある壁も荷台に乗せて運ばれきては設置されていく。
間もまくグランドにはぐるりと大きなコースが作られた。適度な間隔をあけて砂、水、山、ハードルといった障害物が出現している。
スタートとなるべき地点には地面にシートが置かれ、その上には砂を入れた頭陀袋が1キロ、5キロ、10キロと、重さを分けて重ねられていた。
それを持ち運ぶためのリュックや、斜めに掛けられる袋もある。
「……ただの障害物競走とはいかないみたいね」
ミシェルが言う。
今回の勝負は、重い荷物を運びながら障害物を越え、運んだ重さとタイムを競うものだった。
荷物を持たないで早いタイムでゴールをしたよりも、遅くても重い荷物を運んでゴールをした方が、点数が高くなる。
だが重すぎれば障害物をクリアするのに困難が増し、タイムが遅くなる。
運ぶ重さを事前に自分で判断し調整しなければならないという、少し捻りがきいた競技である。
そして、スタート横には昨日までなかったものが準備されていた。
日差しを遮れるように大きな日傘と、椅子がニ脚。
ひとつは、ジルコン王子が見学するための椅子。
もうひとつは。
「セルジオ、とうとう我らのお姫さまを拝顔できるときが来たんじゃないか」
互いの肩に手を置き、屈伸のストレッチをするルイが言う。
そうなのだ。
もう一つの椅子は、ジルコンの婚約者であるロゼリア・フィオラ・アデールのためのもの。
姫の騎士になるために、彼らはここに集まった。
300分の10の精鋭たちである。
だが、一向に二つの椅子は埋まらない。
全ての関節を動かし全身のこまかな筋肉をストレッチし終えても、選抜試験ははじまらなかった。
※
時間があると緊張の糸がたるみだす。
日が高くなるグランドにはもくもくと一人ストレッチをするアンもいる。
足首を縛ったパジャンの下穿きをはき、動きやすい格好である。
「普段の訓練には来ないで、こういうときだけ来るっていうのも大目にみてもらえるなんて、そんなので騎士になってもやっていけると思っているのかしら」
ミシェルは聞こえるように言っている。
昨夜、ジルコン王子と共に食堂を出たのを見てから、とげとげしさに毒を含みだしている。
いつもならアンと気軽に会話をしているカルバンも、なんとなく話しかけづらいようである。
ルイなら、目に余る雑音の発生源に、人のことより自分に集中しろよ、ぐらいいうだろう。
だがそのルイも押し黙っている。
セルジオは自分がどうすべきかわからない。
アンが気になるのならあなたが守ったらいいんじゃない、といった黒騎士アヤの言葉が頭の中でぐるぐる渦巻いていた。
それはセルジオの頭の中から外へと出口をもとめる。
腕を伸ばしアンを庇え。
アンを傷つけようとするやつらを威嚇せよ。
内なる声がセルジオをせきたてる。
だが、セルジオが金髪のこの美人と知り合ってたったの1週間程度。
ほんの知り合い程度の間柄だ。
ミシェルたちが憤る理由もよく理解できる。
だから、自分がヘタにアンを庇って、あえて、余計な波風を立てることもない。
そう思うのだが。
アンはセルジオの気持ちをかき乱す。
スアレスがアンを木陰のある脇に呼んでいた。
何やらもめている。
アンが仕切りに首をふっている。
どんな顔をしているのかは後ろ姿だけではわからない。
「ご参加したいというお気持ちはわかりますが、申し訳ありませんが……」
わずかに大きくなったスアレスの声がセルジオの耳に届いた。
アンは参加したいが、スアレスが許可しないようである。
それを見て、ミシェルたちは顔を見合わせ目配せをしあう。
事務局側から土がついた。
これで目障りなものがなくなってせいせいする、という意地悪な笑いが浮かんでいる。
「何度も申し上げたとおり、障害物競走は危険です。お体に怪我でもなさいましたら、わたしの首が文字通り飛んでしまいますから、どうかご見学にとどめてください」
とうとう、スアレスの声が大きく響いた。
その言葉のもつ違和感を理解する前に、ジルコン王子がグランドに姿を現した。
王子の視線はグランドの状態を確認する。
そして、セルジオを通りすぎて、木陰のアンを見つけそこでとどまる。
王子の視線が釘づけになるさまは、まるで昨夜の情景が繰り返されているようだった。
「アン、まさか参加するっていわないだろうな。お前のいるところはそこではないだろ」
王子は顎で椅子を指した。
「僕は……」
「約束を守れ」
ふたりが交わした約束がどんなものなのか。
騎士候補者たちにわかるものなどいない。
アンは王子にも口をひらこうとするが、スアレスが途方に暮れた顔で首を振るのをみて、あきらめた。
そして、全員が見守る中、アンは王子のところへ音もなく滑るように歩く。
パジャンのパンツが、空気をはらんでふんわりと膨らんだ。
まるでドレスでもあるかのような、足さばき。
ジルコンはアンが近づくのを待ち、椅子に座る。
続いて、その隣にアンも座った。
さも当然のように。
息を飲んだのはミシェルだけではない。
ミシェルの額に怒りの青筋が沸く。
その席は、王子の婚約者の席のはずだった。
騎士として仕える予定の姫の顔を間近に見れて、もしかして声も聞けるかもしれなかった。
それなのに、座っているのは、金髪と出身国だけが同じの男。
王子の顔もアンの顔も影となり、その表情はわからない。
「ジルコン王子はただれているな。愛人を、婚約者の席に座らせるなんて」
ルイが嫌悪感を隠せず柄にもなく漏らしたことばを、セルジオは拾った。
そして、そんなしらじらとした空気のなか、三回目の選抜試験が始まったのである。
10名の候補者たちはグランドに入り、身体を動かし温めはじめていた。
グランドにはあらかじめ障害物が設置できるように作られている。
覆いをはがし、代わりにネットが張られているところもあれば、覆いの下には溝があり、水が入れられているところもある。背丈ほどある壁も荷台に乗せて運ばれきては設置されていく。
間もまくグランドにはぐるりと大きなコースが作られた。適度な間隔をあけて砂、水、山、ハードルといった障害物が出現している。
スタートとなるべき地点には地面にシートが置かれ、その上には砂を入れた頭陀袋が1キロ、5キロ、10キロと、重さを分けて重ねられていた。
それを持ち運ぶためのリュックや、斜めに掛けられる袋もある。
「……ただの障害物競走とはいかないみたいね」
ミシェルが言う。
今回の勝負は、重い荷物を運びながら障害物を越え、運んだ重さとタイムを競うものだった。
荷物を持たないで早いタイムでゴールをしたよりも、遅くても重い荷物を運んでゴールをした方が、点数が高くなる。
だが重すぎれば障害物をクリアするのに困難が増し、タイムが遅くなる。
運ぶ重さを事前に自分で判断し調整しなければならないという、少し捻りがきいた競技である。
そして、スタート横には昨日までなかったものが準備されていた。
日差しを遮れるように大きな日傘と、椅子がニ脚。
ひとつは、ジルコン王子が見学するための椅子。
もうひとつは。
「セルジオ、とうとう我らのお姫さまを拝顔できるときが来たんじゃないか」
互いの肩に手を置き、屈伸のストレッチをするルイが言う。
そうなのだ。
もう一つの椅子は、ジルコンの婚約者であるロゼリア・フィオラ・アデールのためのもの。
姫の騎士になるために、彼らはここに集まった。
300分の10の精鋭たちである。
だが、一向に二つの椅子は埋まらない。
全ての関節を動かし全身のこまかな筋肉をストレッチし終えても、選抜試験ははじまらなかった。
※
時間があると緊張の糸がたるみだす。
日が高くなるグランドにはもくもくと一人ストレッチをするアンもいる。
足首を縛ったパジャンの下穿きをはき、動きやすい格好である。
「普段の訓練には来ないで、こういうときだけ来るっていうのも大目にみてもらえるなんて、そんなので騎士になってもやっていけると思っているのかしら」
ミシェルは聞こえるように言っている。
昨夜、ジルコン王子と共に食堂を出たのを見てから、とげとげしさに毒を含みだしている。
いつもならアンと気軽に会話をしているカルバンも、なんとなく話しかけづらいようである。
ルイなら、目に余る雑音の発生源に、人のことより自分に集中しろよ、ぐらいいうだろう。
だがそのルイも押し黙っている。
セルジオは自分がどうすべきかわからない。
アンが気になるのならあなたが守ったらいいんじゃない、といった黒騎士アヤの言葉が頭の中でぐるぐる渦巻いていた。
それはセルジオの頭の中から外へと出口をもとめる。
腕を伸ばしアンを庇え。
アンを傷つけようとするやつらを威嚇せよ。
内なる声がセルジオをせきたてる。
だが、セルジオが金髪のこの美人と知り合ってたったの1週間程度。
ほんの知り合い程度の間柄だ。
ミシェルたちが憤る理由もよく理解できる。
だから、自分がヘタにアンを庇って、あえて、余計な波風を立てることもない。
そう思うのだが。
アンはセルジオの気持ちをかき乱す。
スアレスがアンを木陰のある脇に呼んでいた。
何やらもめている。
アンが仕切りに首をふっている。
どんな顔をしているのかは後ろ姿だけではわからない。
「ご参加したいというお気持ちはわかりますが、申し訳ありませんが……」
わずかに大きくなったスアレスの声がセルジオの耳に届いた。
アンは参加したいが、スアレスが許可しないようである。
それを見て、ミシェルたちは顔を見合わせ目配せをしあう。
事務局側から土がついた。
これで目障りなものがなくなってせいせいする、という意地悪な笑いが浮かんでいる。
「何度も申し上げたとおり、障害物競走は危険です。お体に怪我でもなさいましたら、わたしの首が文字通り飛んでしまいますから、どうかご見学にとどめてください」
とうとう、スアレスの声が大きく響いた。
その言葉のもつ違和感を理解する前に、ジルコン王子がグランドに姿を現した。
王子の視線はグランドの状態を確認する。
そして、セルジオを通りすぎて、木陰のアンを見つけそこでとどまる。
王子の視線が釘づけになるさまは、まるで昨夜の情景が繰り返されているようだった。
「アン、まさか参加するっていわないだろうな。お前のいるところはそこではないだろ」
王子は顎で椅子を指した。
「僕は……」
「約束を守れ」
ふたりが交わした約束がどんなものなのか。
騎士候補者たちにわかるものなどいない。
アンは王子にも口をひらこうとするが、スアレスが途方に暮れた顔で首を振るのをみて、あきらめた。
そして、全員が見守る中、アンは王子のところへ音もなく滑るように歩く。
パジャンのパンツが、空気をはらんでふんわりと膨らんだ。
まるでドレスでもあるかのような、足さばき。
ジルコンはアンが近づくのを待ち、椅子に座る。
続いて、その隣にアンも座った。
さも当然のように。
息を飲んだのはミシェルだけではない。
ミシェルの額に怒りの青筋が沸く。
その席は、王子の婚約者の席のはずだった。
騎士として仕える予定の姫の顔を間近に見れて、もしかして声も聞けるかもしれなかった。
それなのに、座っているのは、金髪と出身国だけが同じの男。
王子の顔もアンの顔も影となり、その表情はわからない。
「ジルコン王子はただれているな。愛人を、婚約者の席に座らせるなんて」
ルイが嫌悪感を隠せず柄にもなく漏らしたことばを、セルジオは拾った。
そして、そんなしらじらとした空気のなか、三回目の選抜試験が始まったのである。