保健室登校
落ち着いた私は、五十嵐くんから体を離す。
冷静に考えたら、後輩になんてことをしているんだろう。
彼の学生服は、私の涙で濡れていた。

「も、もう大丈夫。ごめんなさい」

「謝らないで。泣いた原因がさっきのやつらなら、俺がどうにかするよ」

途端に、五十嵐くんの目が鋭くなった気がした。
こんなにも優しくしてくれる彼に、私はちゃんと説明をしなきゃならない。

私が、保健室登校をしている理由を。


――あれは、三年生になってクラス替えがあったばかりの頃。
今まで仲良くしていた友達とは別々のクラスになった。
ほとんどの生徒が、新しいクラスで誰と仲良くなるか、どうグループを作るのか探り合っているような感じだったと思う。
私は自分から他の子に話しかけるタイプじゃなかったから、なかなか輪に溶け込めずにいたの。

……そんななか、話しかけてくれたのが、竹中アユミこと、アユちゃんだった。

私と違って、明るくて、誰にでも話しかけていけるような女の子。
そんなアユちゃんだから、クラスの中心的な存在になるのも当然のことで……。

私のこともグループに入れてくれて、すごく嬉しかったの。

その頃はクラス全体もまとまっていて、みんな仲が良かった。
こんなに全員が仲良しになることなんて、もう二度とないんじゃないかってずっと思ってた。それが、夏休みに入る前に急に変わった。

アユちゃんが「夏にみんなでライブに行こうよ」と誘ってくれたの。
私は名前も知らないアーティストだったし、アユちゃんが言った場所も新幹線に乗らなきゃいけないような距離だったから、断ったの。

「興味がないから、ごめんね」って。

……それがダメだった。
アユちゃんはそのアーティストのすごいファンだったらしくて、好きなアーティストをバカにされたって騒ぎ始めた。

それが……いじめの始まりだった――


私は当時のことを思い出すと、指先がどんどん冷たくなってきた。
凍える指を自分で握る。ゆっくりと深呼吸をしてみるけど、吐く息は震えていた。

五十嵐くんの方に目をやると、とても哀しそうな表情をしている。

「それ……星野さんなにも悪くないじゃん」

「私も最初はそう思ってた。だけど……アユちゃんを傷つけてしまったのがいけなかった」

上を向いて、涙がこぼれないようにしたけど、また涙が頬を伝った。

「それからは、地獄みたいな日々だった。クラスメイト全員に、アユちゃんを傷つけた、人の好きなものをバカにするなんて最低、とか、毎日言われるの。だんだんそれはエスカレートして、ゴミを投げられたり、廊下で押されたり、怪我をすることも増えてきた。いつの間にか、怪我の手当てを自分でできるくらいに……」

五十嵐くんは勢いよく立ち上がる。

「なんだそれ……そいつら、許せねぇ。 星野さん、安心して。俺が全員、どうにかしてやる」

彼の目は血走っていて、額には青筋が浮かんでいた。
いつものやさしい陽だまりのような瞳はそこにはない。
激しい怒りに震えているのがわかる。

「ごめん、こんな話聞かせちゃって。でも暴力で解決したら……また同じことの繰り返しだから。それに、もうアユちゃんはいないの。だから、大丈夫」

五十嵐くんの肩に触れると、彼は大きく息を吸って吐いて、握りしめた拳を下ろしてくれた。

「いないって、どういうこと?」

「私の怪我があまりにも多いから、先生が気づいたの。いじめがバレちゃって、アユちゃんはご両親にすごく怒られたみたい。それから、もう学校には来てないの」

「……その人、星野さんには謝ったの?」

「ううん。でも、アユちゃんのご両親は謝りに来てくれた」

「やっぱり星野さん、悪くない。クラスの連中は?」

五十嵐くんが私のことを考えてくれているのがわかる。心にそっと寄り添ってくれているようだ。
「学級会でみんなから一応謝罪をもらった。だけど、もうあの場所に行くのが怖くて……先生に相談して、保健室登校にしてもらったの。さっきのふたりを見たらわかると思うけど、きっと私、恨まれてるからさ、あはは……」

こんな話をする情けなさを、笑ってごまかした。

「――星野さんが恨むならわかるけど、ほかのやつらが星野さんをそんな扱いにするの、おかしい。教室に味方はいないの?」

「いないと思う……」

友達がいない、なんて言うのは、我ながら恥ずかしいと思った。別のクラスになった友達も、私がイジメられているとわかったらすぐに距離を置かれたわけだし。
私は、その程度の友達だったってことだもん。

「――なら、今日からは俺が星野さんの味方になる」

五十嵐くんは急になにを言い出すのだろう。私なんかの味方になっても、彼にはなんの得もないのに。だけど、五十嵐くんは私をまっすぐ、強い眼差しで見つめる。

「もし、この学校の全員が星野さんの敵だとしても、俺は星野さんの味方だから。なにかあったら俺を呼んで。絶対に守るから!」

……本気で言ってくれているのが伝わる。嬉しくて、甘えたくなって、胸がドキドキと脈打っている。


――そのとき、授業開始のチャイムが鳴った。

「あ、五十嵐くん! 本当にありがとう。ごめんね心配かけて、授業、始まっちゃうから」

気恥ずかしさと彼への申し訳なさで、いつにもましてしどろもどろに喋ってしまう。

「……今日、放課後迎えにいくから一緒に帰ろう」

五十嵐くんはそれだけ話すと、足早に教室に戻っていった。

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