ツインソウル
 行為の後、弘明は腕の中で眠る緋沙子を眺め、安らいでいながらも子供ができないことに軽く満たされない思いを感じていた。
 緋沙子は元々仲の良かった先輩の妻だった。

先輩の原田孝之は知らない街へ転勤してきた弘明の面倒をよく見てくれた。

――緋沙子と初めて会ったのはそんな原田から自宅へ夕食へ招かれた時だった。

ハレの日でもないのに和装の緋沙子にまず驚いた。
着物を着ることは本人の趣味のようで、着飾っておらず素朴で普段着としての装いが弘明にとって好ましく映り、慎ましく清楚な様子と原田への一途な愛情が目に見えた時に『この人が欲しい』と思ってしまう。

そんな思いは一瞬であったがため行動にはつながらなかった。
しかし原田の世話好きが高じた浮気を知った時、緋沙子を自分のものにしたいと再び思ってしまった。

 何度か原田に自宅への食事に誘われ緋沙子とも会話が弾むようになったとき、ちょうど原田の浮気相手から電話がかかってきた。
浮気相手は同じ銀行の新入社員だった。

仕事の電話だと席を外し、タバコが切れたからついでに買ってくるという見え透いたことを言いながら原田は外へ出て行った。
緋沙子は夫を見送って再び弘明をもてなし始める。

「もっと召し上がってね」

 弘明は自分の気持ちを告げ略奪する機会を待っていた。
「緋沙子さん。俺のことどう思ってくれてます?」
「え?どうって。面白くて楽しいですよ」
「それだけですか?」
「はあ……」
「あなたが好きなんです」
「本気です」

 緋沙子は困惑をしているそぶりを見せたが嫌がってはいないようだった。

卑怯かもしれないと思ったがこんなチャンスはもう二度とないと思い弘明は一気に畳みかける。

「先輩には女がいます。軽い浮気ではないと思います」
「なんとなくそんな気がしていました……」

 たおやかに見えた表情は諦めだったのかもしれない。
ショックを与えることを躊躇っていた弘明だったが、静かな反応にこちらが驚いてしまった。

「孝之さんは困ってる人をみると放っておけないんですよね……」
「先輩にお世話になっていながら俺も言いにくいんですが……。でも俺のほうがきっと緋沙子さんを大事にしますよ。」
 そろそろ原田が帰ってきそうだ。

連絡先を書いたメモを緋沙子に渡す。

「何かあったら連絡ください」

 緋沙子が黙っていると原田が帰ってきた。

 原田はコンビニの袋からタバコと適当なつまみを取り出して弘明に勧めた。

「愛媛県限定ものだぞ。お前、来年静岡帰っちまうだろ。食っとけよ」
「え。石川さん帰られるの?」
「春からまた地元です。半年後になりますが」

 離れると聞いたせいだろうか緋沙子が弘明に対してすがるような表情を一瞬見せる。それを弘明は見逃さなかった。

「こうやって奥さんの手料理を食べられるのも最後ですかねえ。美味かったのに」
「なんだ。じゃもっと来るか?」
「いやー。お邪魔じゃなければ」

 ははっと笑いながら弘明は緋沙子をちらっと見る。緋沙子は何がどうなっているのかわからないような不安そうな眼をしている。

「でも、今日はこの辺で帰ります。また呼んでください」

 それから三ヶ月ほど経ったある日、緋沙子から会って話がしたいと連絡が来た。駅前の新しい喫茶店で待ち合わせる。

「どうしたんですか?」
「夫が離婚したいと。詳しいことは話してくれませんでしたが。女性ですよね、理由は。弘明さん、相手の人ご存じでしょう?」
「そりゃ……。知ってますよ」
「遠くからでいいから見たいんです。その人。夫は今日ゴルフで出かけてるので、もし住んでいるところをご存じならと」
「一緒に行きましょう。歩いていける距離ですよ……。」

 弘明は緋沙子を連れて、原田の浮気相手がすんでいる女のアパートへ向かった。

アパートが見え始め、道を曲がると正面に出る一歩前で、弘明は足を止め緋沙子に言った。
「そこのアパートです。確か二階かな」
「あ……」
 ゴルフに行ったはずの原田が女の手を引いて出てくるのが見えた。
女は少し膨らんだ腹をさすりながら原田の手を取り微笑んでいる。

 弘明は原田が付き合っていた女が妊娠し退職していたのを知っていた。
緋沙子が傷つくのがわかってはいたが奪うことと、緋沙子の心の傷はフォローできると信じていたので躊躇わなかった。

 立ちすくむ緋沙子を原田が見つける。
しかしお互いに何も言わず通り過ぎてその場は静かに、何事もない穏やかな日曜日を演出していた。

「大丈夫ですか。ちょっと僕の部屋で休みましょう」

 明らかに大丈夫ではない緋沙子の青ざめた顔を見ながら、弘明は力の抜けた肩を抱いて歩き出した。

「赤ちゃんがいるんですね……。若くて元気そうで明かるそうな人ね。」
「そう……ですね」

 しばらく歩き弘明は自分の部屋に緋沙子を引き入れる。
そして緋沙子に荒々しい口づけをしベッドになだれ込むように押し倒した。
緋沙子はうなだれていて強く拒むことをしなかった。
口づけや愛撫に応じることはなく人形のような緋沙子に弘明は(ここで感じさせて絶対に自分のものにする)と征服欲を燃やした。

 時間をかけゆっくりと優しく愛撫する。
身体だけが目当てならすぐに抱いて思いを遂げればいいのだが、弘明は心も自分のものにしたかったので忍耐強く、身体を開いた緋沙子が心を開くのを虎視眈々と狙っていた。

さすがに念入りな愛撫に緋沙子の甘い声が漏れてくる。(この声が聴きたかった)

「緋沙子さん、好きです」
「あ……ああ」

 緋沙子の身体は十分に潤ってきているが焦らず、自分を欲しがるまで執拗に身体を撫でまわした。
きっと言葉に出して『欲しい』とは言わないだろう。弘明の目を緋沙子が見つめたとき挿入する。最初は身体を密着させゆっくり動いた。

「もう俺のものだ。先輩のことは見ないでください」

 原田を一途に見つめる瞳が欲しかったのかもしれない。
緋沙子の腕が弘明の首に回されてから激しく動いた。
緋沙子が短い断片的な声を上げ始めたとき、弘明も我を忘れて本能のまま腰を動かした。そして果てた。

 汗をかき、ぬるりとした肌のまま動かずに緋沙子に覆いかぶさる。
少し時間がたってから身体を離し、濡れたタオルで緋沙子の身体を拭いた。
ぼんやりとしてる緋沙子は儚く消え入りそうな美しさで思わず弘明は力を込めて抱きしめた。

 数日後、原田と緋沙子は離婚した。弘明は原田に緋沙子を静岡へ連れていくことを話し、別れの挨拶をした。
原田は複雑な表情をしていたのを覚えている。
しかし何も聞かなかったし言わなかった。一言だけ「頼む」と言った。

(俺も若かったな)
 弘明は眠る緋沙子の髪を撫で、天上の薄ぼんやりした灯りを眺めているといつの間にか眠りに落ちていた。
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