お見合い仮面夫婦の初夜事情~エリート裁判官は新妻への一途な愛を貫きたい~
第一章 公正中立Jの妻の条件
 私の中の彼のイメージは、いつも穏やかで冷静で真面目そのもの。まさに品行方正を体現したような人で、それは出会った頃から変わらない。

 けれど今、私を見下ろしている彼の瞳はかつてないほどに揺らめいて、熱のこもった視線に息さえ止めそうになる。まるで知らない人みたい。

千紗(ちさ)

 低い声で名前を呼ばれ、心臓が跳ね上がる。彼の長い指が私の頬を撫で、顔の輪郭に沿わされながらゆるやかに首筋に這わされる。

 瞬間的に背中がぞくりと震え、鳥肌が立った。初めての感覚になんだか泣きそうだ。

 でもここで涙を見せたら、大知(だいち)さんはきっと止める気がする。優しくて、いつも私を思いやってくれるから。

 ぎゅっと目をつむって堪えていると、瞼にそっと口づけられた。驚きで目を開けるとすぐそばに彼の顔があり、至近距離で視線が交わる。

「ちゃんと俺を見て」

 そう告げる大知さんの表情はどこか切なげで、まずいことをしたのかと不安になる。

 どうしよう。どうしたらいいんだろう。

 経験のない自分が恨めしい。つい目が泳ぐ。

 そのとき唇が重ねられ、私の意識はすべて彼にもっていかれた。

「実感してほしいんだ。誰に抱かれるのか……誰のものなのか。俺が結婚したのは千紗だよ」

 知っている、わかっている。本当はあなたが私と結婚する予定じゃなかったのも。

 訴えかけてくるような真剣な声色に、我慢している涙が視界を滲ませていく。彼の願いを聞き入れられず、これではますます失望されてしまう。

 大知さんからうかがうように顔を近づけられ、私は目を閉じて彼の口づけを受け入れた。どこまでも深く、蕩けそうなキスだ。

 その間に、大きい手のひらが私の肌を撫で、甘い痺れを引き起こす。

「んっ……んん」

「千紗」

 熱い吐息まじりに囁かれた名前は、他のだれでもない私のものだ。

『千っていう字は人が前に進む様子を表したとも言われるんだ。数を表すだけじゃない』

 そんなふうに言ってくれたのは彼が初めてだった。言った本人はたぶん覚えていないだろうけれど。

 大好きな人に初めて抱かれるのに、嬉しさよりもやるせなさで胸が詰まりそうだった。
< 1 / 128 >

この作品をシェア

pagetop