私を、甘えさせてください
「じゃあ、声が震えているのはどうして?」

「・・・・お兄さん、拓真をJHコンサルに戻すって」

「えっ」

「そしたら、私の存在は煩わしくなるだけ・・・・。私を気にしてたら、前みたいに好きなように仕事ができなくなるでしょう?」

「そんなこと・・」

「別れようって言われるのは、私だよ・・」


最後の方は、上手く言えずに声が掠れてしまった。

私を包んでいた腕が、離れていく。


「ごめん、俺、ちょっと出てくる」


そう言うと、彼はそのまま玄関に向かい、バタンとドアが閉じる音だけがした。


行ってしまった。


おそらく、彼は空川 拓真のところに行くのだろう。

ふたりで、未来の相談でもするのだろうか・・。

その未来に、私はいない。


午前0時を回っても、彼は帰って来なかった。


もう寝ようとベッドに入った時、私はふと、クローゼットの引き出しにしまい込んでいたものを思い出した。


「あった・・」


海外勤務希望者用のパンフレット。

評価の時期になると、いつも常務に勧められていた。

海外を経験して、もっとキャリアを広げてみないか・・と。


「香港・・シドニー・・」


いつかチャレンジしてみようという気持ちはあったものの、自信がなくて踏ん切りがつかずにいたのだ。

いい機会・・だと思う。


いくつかの国がある中で、どの順番で希望を出すか考えながら、ベッドに入った。

とはいえ眠りが浅く、朝までに何度か目が覚めたものの、彼が隣で眠っていることはないまま、朝を迎えた。


出社したら、常務に話をしよう。

直接、常務に話さなければ・・彼に伝わらないように。

そうすれば、内示が出るまで彼に知られることは無いはずだから。



コンコンコン。

どうぞ、とドアの向こうから常務の声がする。


「おはよう。朝からどうした。何かあった?」

「おはようございます。前から勧めてくださっていた海外勤務の件、ようやく決心がつきまして」


私は、新しい道に舵を切った。

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