くたびれOL、魔王様の抱き枕を拝命いたしました!?
「以前から言っているだろう。俺の許へ来いと。暮らしと身分は保障すると」
「ずっと、ずっと前から貴方は……」

 ずっと前、壁越しに会話していた時から魔王は自分の世界へ来いと誘っていた。
 あの時、彼の誘いに頷いていたら自分は人でいられたのかもしれない。

「でも、いきなり失踪は出来ないし、家族にもお嫁に行くことを伝えなきゃならない。仕事は区切りのいいところまでは辞めにくいし、引き継ぎをしなきゃならない。部屋も引き払わなきゃならないし……今直ぐには、シルヴァリス様の許へは行けないよ?」
「……時間はどれだけあればよいの?」

 うーん、と理子は腕組みして考える。

「仕事と引っ越し手続きで、最低でも二ヶ月くらいかな?」
「二ヶ月、だな。それ以上は待たぬぞ」

 つい先程までしおらし態度だったのに、何時も通りの不敵な笑みを浮かべてシルヴァリスは理子を抱き寄せた。

 弱々しい態度も計算のうちだったのかと、嵌められた気がして悔しくなるが彼に寂しそうに揺れていた赤い瞳に魅入られてしまい、許している自分がもっと悔しい。

 せめてもの抵抗として、理子はプイッと横を向いた。



 衝撃的な事実を知った翌日。
 魔力の影響が薄まるようにシルヴァリスに魔法をかけてもらい、理子は職場の同僚達とは最低限の会話をするだけにして出来るだけ人と関わらないように過ごした。

 昼休憩時間中の混み合う社員食堂の端の席に座って、醤油ラーメンの麺を啜っていた香織の箸が止まる。

「はぁ?」

 固まる香織の向かい側に座る理子は、オムライスをもぐもぐ咀嚼しながら頷く。

「昨日、話し合って決めたの」

 再び、「はぁ?」と声を出して、香織はお盆に箸を置いた。

「退職だなんて急過ぎじゃない? もしかして、子どもが出来たの?」

 ジロリッと睨まれて、今度は理子が慌てる。
 毎晩シルヴァリスに抱かれてはいるが、妃となる前に理子が身籠らないようにと、配慮はしてくれているらしいから大丈夫だと思いたい。

「ち、違うよ。えーっと、彼の家は古くから続く貴族の家系なのよ。しきたりで、結婚前に花嫁修業をしなきゃならないんだって。彼の家に引っ越すことになるから、仕事を辞めて勉強するの」

 勉強は正直嫌だが、シルヴァリスの妻、魔王の妃となるためには、マクリーン侍女長によるお妃教育を受けなければならない。

 入社三年目、やっと仕事が楽しくなってきた頃に退職するとは、思ってもいなかった。
 出来れば、仕事をしながら異世界を行き来するお盆休み前の生活をもう少しだく続けていたかった。
 けれど、自分の変化に気付いてしまったからもう戻れない。

「はぁー寂しいけど、理子が決めたことなら手続きは協力するね」

 人事部所属の香織は、仕事中の顔をして微笑む。

「退職の手続きに必要な事は後で連絡するから。今度、彼氏を紹介してよね」
「うん」
「時々、飲みに行こうね」
「うん」

 昨夜、異世界の魔王へ嫁ぐ事を決意した筈なのに、香織と話していると寂しくなってきてぐらぐら気持ちが揺らいでしまう。

(色々あったけど、本当は私、仕事を辞めたくないのかな)

 目頭が熱くなってきた理子は、スンッと鼻を啜った。
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