くたびれOL、魔王様の抱き枕を拝命いたしました!?
「……リコ」

 魔王の声が妙に優しくて、理子は二度閉じかけていた目蓋を開いて壁を見る。

「お前を、女をそこまで働かせなければ成り立たぬ世界ならば、我の国へ来るがよい。身分と棲みかは我が保証しよう」

 言われた台詞の意味を脳内で復唱して、一気に眠気が吹き飛んでいく。
 どういう意味だと、上半身を起こした。

「此方? 魔王様の所へ行けるの? で、行って戻れるの?」

 十代の頃は、漫画や冒険ゲームのようなファンタジーな世界に行ってみたいと妄想した事はあった。
 学生時代は異世界へ行って、現実から逃避したいと願った事もある。
 戻れる保証があって、魔王に守ってもらえるならば一度くらいは異世界に行ってみたい。

「対象者との間に繋がりが有れば我の元へ喚べるが、戻れるかは知らん」

 試したことはないからな、と魔王は付け加える。

「戻れないならいいです。魔物も怖いし。今の仕事は好きだからもう少し頑張る」
「なんだつまらんな」

 つまらないと言いつつ、魔王は愉しそうに笑う。
 もしかして、と言いかけて理子は口をつぐんだ。
 魔王が気遣ってくれている、と勘違いしてしまっても口に出さなければ罰は当たらないだろう。

(ああ、どうしよう)

 彼は人外なのに、角とか羽を生やした恐い見た目だろうけれど、嬉しい。

「あのね魔王様、心配してくれてありがとう」

 じんわりと胸にあたたかいものが広がる。
 壁越しの会話で良かった。
 何故なら、今の理子の顔は真っ赤に染まっていたのだから。



 残業続きの日々では、深夜の魔王様との会話は理子にとって息抜きの時間となっていた。

 人外の魔王という、自分の常識外の存在と壁を隔てた状態が話しやすいのだ。
 彼と会話を重ねる度に、必要か分からない異世界の知識が増えていく。

「へー、魔王様の世界は魔法がある世界なんですね。ファンタジーだなぁ」
「リコの世界には魔法は無いのか?」
「こっちの世界では、魔法を使える人はいないかな。奇術を使える人はいるけど。魔法が無い代わりに科学や機械工業技術が発達しているの」

 魔王が存在する異世界の生活水準を総合すると、ヨーロッパの産業革命前、十七世紀くらいの技術力。
 理子が存在する世界と異なるのは、魔法や魔物が存在する事。

 一度、魔王に「人と敵対して世界征服はするの?」と問い掛けたら、「くだらん」と鼻で嗤われた。
 魔族や魔王でも世界征服をするのは、その時の時勢と個人の自由みたいだ。
 先程の話に戻すと、異世界の住人は、能力に差はあれど皆魔力を持って生まれてくる。
 魔力をエネルギーに変換して作動する、魔道具なるものを使用して生活しているため、蒸気や電気を必要とする機械技術は必要ないようだ。

「科学だと?」
「科学は、科学は物事の起こる理由を説明するものだっけかな? 電気や燃料の力を動力とした生活を助ける道具があるの。道具を使えば、季節関係なく快適に暮らせるように温度調節が出来たり、遠くに住んでいる人に自分の声や動画を届けたり、馬より速く走る乗り物とか、空を飛ぶ乗り物。すごく便利だけど、自分の力で現象を起こす魔法の方が環境に優しいし凄いと思うよ」

 自分や他者の魔力で機械や交通機関が動けば、環境汚染や温暖化問題にはならない。
 子どもの頃、読んでいた漫画の主人公みたいに指から火を出したり空を飛べたら、最高に楽しい気分になれそう。

「魔法かぁ見てみたいな」
「では、此方へ来るか?」

 最近、事あるごとに魔王は理子を異世界へ勧誘する。
 自分の許へ誘うくせに、あっさり引き下がるものだから彼の真意が分からない。
 誘われる度に、理子が返す台詞は何時も同じ。

「絶対に帰れるって約束出来るならそっちへ行きます」
「くくくっ魔王の我に、約束だと?」

 約束してくれないのかと、少しだけ落胆する。

 壁の向こう側に居るであろう、角と羽根と尻尾を生やしてトカゲみたいな肌をした魔王が肩を震わしている姿を想像して、理子はニンマリと笑うのであった。
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