くたびれOL、魔王様の抱き枕を拝命いたしました!?

3.最強の加護

 洗面所で一頻り泣いた理子は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を洗って、冷凍庫から取り出した保冷剤で腫れぼったい瞼を冷やした。

 辞職の準備に必要な物を調べようとダイニングの椅子に座る。
 スマートフォンを操作して、画面に表示された時間に気付き焦った。

 二十三時五十八分。
 もうすぐ日付が変わってしまう。
 何時も、日付が変わると同時に魔王が話し掛けてくるのだ。

(どうしよう。どうやって誤魔化そう)

 泣いたせいで声が掠れてしまっているのは、風邪をひいた事にするとして、昨夜不在だったのは何て説明しようか。



「リコ」

 考え込んでいる時に名前を呼ばれた理子は、ビクリッと肩を揺らしてしまった。

「昨夜はどうした?」

 防音シートを貼った壁から、低音の落ち着いた魔王の声は耳に心地よく響き、胸に溜まった重たい物が溶けていくようだ。

(どうしよう、私……)

 いつの間にか、魔王に気を許してしまっていたのか。
 たった一日、この声を聞けなかっただけなのに寂しかったと思うだなんて。

「あ、昨日は……」

 何と言おうか。
 考えているうちに、昨夜、一人で会社に残って黙々と作業をしていた虚しさが甦ってくる。
 ツンッと目の奥が痛くなり、理子は一旦言葉を切る。

「仕事、終わらなくて」

 先程いっぱい泣いたからもう泣きたくはないのに、口を開こうとする度に涙が溢れる。
 弱っている事は誰にも、魔王だけには知られたくないのに。

「……何があった?」

 理子が泣いているのを気付いたらしく、低音の魔王の声が一層低くなる。

「何にも、」

 ない、と続けたいのに、口を開けば声に嗚咽が混じる。
 これ以上はもう無理だった。

「ごめ、なさい、もう……寝ま、」
「駄目だ」

 壁越しの声だけなのに、魔王の言葉には刃物を彷彿させる鋭さがあった。
 防音シートを貼った壁がビリビリと細かく振動する。

 何事かと、理子は座っていた椅子から立ち上がった。

「今までは……干渉されたとしても、お前の魂の輝きが勝っていたため特に害はないと、放置していたが……弱らせ、泣かすのならば、赦せぬ」

 怒りを含んだ魔王の声が部屋いっぱいに響き渡った。

 反響して聞こえた声に驚、思わず周囲を見渡す。

「え?」

 部屋の床がミシミシと軋んだ音をたて、古代ギリシャ文字の様な文字が書かれた円、魔方陣のようなものが理子を中心に浮かび上がった。
 魔方陣の文字が朱金の輝きを放つ。
 逃れようと魔方陣から飛び退いたのに、朱金の光が理子の足から全身に絡みつく。

「きゃあっ」

 何処かへ引きずり込もうとする力を感じて、抵抗を試みた理子の視界は真っ白に染まった。


 パアアアアー!


 全てが真っ白に染まり、視界0のまま理子は果てが見えない長いトンネルを落下していた。

 何が起こったのか、トンネルの出口が何処へ通じているのか、全く分からない。

 分かるのは魔方陣に吸い込まれる直前、一瞬だけ夢で見た黒いローブを纏った女の歓喜の笑い声がした事だった。



 ぼよんっ!


「うぎゃっ」

 長い穴は急に終わり、トランポリンのような場所へ落下して理子は呻き声を上げた。

 強い光により失明したのかと思うほど、何も見えなかった視界もぼんやりと戻ってくる。
 霞んだ視界が捉えたのは、自分が落下した白いシーツで整えられたトランポリン、いやベッド?

 今は夜なのか周囲は薄暗く、青白い光が仄かに周りを照らしていた。
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