策略家がメロメロ甘々にしたのは強引クールなイケメン獣医師
 さあ、いつでもどこからでも、どうぞ驚かしてちょうだい。
 びっくりしたお芝居で、派手に飛び跳ねてあげるから。

 本棚の整理や商品の整理をして、掃き掃除を始めて数分経った。

 いくらなんでも遅い。
 もう驚かせてもいい距離まで来てるはずなのに。
 もしかして、息がかかりそうな距離に近づいてくるつもり?

「お、おはようございます」
 いつも冷静沈着で声は柔らかな坂さんが、ワントーン低い声で震えている。

 まだ、なにか言いたそうなのに、坂さんったら足に根が生えたように、その場に立ちつくして動かなくなっちゃった。

 すぐうしろに人の気配がする。なんか、ぬくもりみたいな温かさを感じる。

 やっぱり至近距離から驚かそうって作戦なんだ。
 院長、甘いよ、わかりやすいな、もっと(ひね)らなきゃ。

 腰を低くして床をほうきで掃いたまま、受付を見たら、金魚みたいに口をぱくぱくしている坂さんと目と目が合った。

 笑っちゃいけないけれど、どうしたの坂さん。
 院長、いったいなにしているの?

 なにも坂さんまで驚かせなくてもいいのに。そんなに凄い仕かけなの? 

 院長、どれだけ張りきって坂さんを驚かせたのよ。
 驚かさないなら振り返っちゃうから。

「院長、おはようございます。驚かそうって魂胆わかってますよ」

 顔を上げたはいいけれど。
 い、息が止まりそう。ダメダメ、ちゃんと息しなきゃ。

 どうしよう、呼吸の仕方を忘れちゃった。
 止まる、止まる、息ができない。

 深い驚きを吐き出すようにため息をついたら、喉から子犬の鳴き声みたいな声が漏れた。

 心に突然急ブレーキをかけられたように驚いて、足は立ちすくんで動けない。

 あああ、これが坂さんの心境かあ。なんて、どこかで他人事で見ている私もいる。

「ばは」
 言葉にならない声を発して、思わず坂さんを見たら、まだ固まっていて、口はぱくぱく金魚みたい。

 私は私で坂さんに救いを求めて、穴が空くほど坂さんの顔を凝視したまま動かない。

 嫌だ、動かない。まさかだから動かない。
 無理、もう無理。真っ正面に顔を向けられない。

「おはよう」
「ひゃっ」
 飛び上がらんばかりに、失礼なほど驚いてごめんなさい。

 驚かそうと思っていない人に向かって、派手に驚いたら本当に失礼極まりない。

「おひゃ」
 喉まで固くなって、声が裏返ってしまった。

 思わず唾を飲み込んで咳払いをひとつ、さあ落ち着け私、声出していこう。

「おはようございます」
< 152 / 221 >

この作品をシェア

pagetop