策略家がメロメロ甘々にしたのは強引クールなイケメン獣医師
「新人動物看護師の緒花 桃さん。マスクを取って、ラゴムのイケメン貴公子を披露しろよ」

「初めまして、緒花 桃です。一生懸命がんばりますので、よろしくお願いします」

「二度目だ」
 お辞儀の見本のように深々と頭を下げる耳に、意外な言葉が入ってきて、慌てて頭を上げる。

「二度目ですって?」
「だから、マスクを取れって」
 院長が楽しそうに笑い声を上げる。

 マスクの上から覗かせる、瞬かない強い目から視線が外せない。

「見覚えがないか?」
 意味ありげな、もったいぶった切れ長の二重の瞳が、ようやく瞬いて長い睫毛を揺らす。

 これだけの情報じゃわからないよ。

「からかうなよ。緒花は俺の顔も、じっと息を凝らして見てたんだ。早くマスクを取らないと窒息するぞ」

 呼吸を忘れていたら、院長の笑い声でわれに返り、大きく息を吸う。

 じっと見ていたら、ようやくマスクに指をかけて顎まで下げた。

「よろしく、迷子の子猫さん」
 あっ、さっきの『ここです』の人だ。

「今朝は、ありがとうございます」
 慌てて、また頭を下げた。

 あのときは必死で、顔なんかぼんやりしか見てなかったからわからないよ。

「なんだ、もう会ってたのか?」
「俺がいなかったら、遅刻をしていた」
「その通りです、恩に着ます」
 
「泣きそうな顔で迷子になっていた」
「迷子になったのか?」

 そんな馬鹿なことがあってたまるかって表情の院長だけれど、そんなに驚くほど迷子がおかしい?

「本当かよ、ここは角地だぞ」
 院長が、右手の人差し指で激しく床を指す。

「わかりやすいように、すみ切りを正面入り口にした。しかも、大きな看板は目立つように、すみ切りの真上に配置した」

 建物を目立たせるための工夫に自信があったのに。なのに、なぜだと言いたげに熱弁を振るう。

「そもそも、大通りばかりの道順で、どうやったら迷子になれるんだ」

 院長が長い両手を八の字に広げたまま、尊敬のような眼差しで、まじまじと見つめてくる。

「迷子にも才能があるんだな」
「そんなあ、才能だなんて、よしてくださいよ」
「まんざらでもない顔すんな、決して褒めてない」

卯波 晴明(うなみ せいめい)だ、よろしく」
 抑揚のない淡白な声で、卯波先生が院長と私の会話にスムーズに入ってきた。

「こちらこそ、お世話になります。よろしくお願いします。かっこいい、お名前」

 かっこいいの言葉に、卯波先生はにこりともせず、事務的な挨拶に優雅な所作で立ち去り、また入院室の奥に入って行った。

 笑わない。きびきびしていて、角は直角に曲がりそうな雰囲気。
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