策略家がメロメロ甘々にしたのは強引クールなイケメン獣医師
「昨日、私、卯波先生になんにもしてあげてないのに、『ごちそうさま』って、うっ」

 卯波先生が慌てて、私をうしろから抱き締めて、手で口を覆う。いきなり、なにするの?

「なんでもないことだ」
「せんせえ」
 離して。

 卯波先生の腕をタップした。

「なに朝っぱらから、二人でイチャついてんだよ」

 軽く口角を上げて、私たちを見た院長が、投げるような視線を入院室に向けて、行きかけちゃう。
 待ってってば。

「院長、待ってください」

 卯波先生の大きな手で塞がれた、私の声はコーヒーカップで口もとを押さつけたみたいに、こもってしまって聞き取りにくいでしょうから必死。

「院長、聞いてください」
「なんだよ」
 私の必死さに、なかば呆れたような院長の半笑いの声が聞こえた。

「ごちそうさまの意味を教えてくれないんです。院長と坂さんは、教えてくれるから聞くって、卯波先生に言いました」

 口を押さえる大きな手をかき分けて、指のあいだから、切れぎれのこもった声で必死に話す。

「なんでもない、仕事に取りかかろう」
 頭上からは、院長と坂さんに向かって発せられた冷静沈着な声がする。

「待ってください、さっき好きにしていいって。だから教えてもらってから」

「まさか本気で聞くとは。しつこい」

「昨日、卯波と手をつないだんだろ。だから卯波は、『ごちそうさま』って言ったんだ」

「院長、いくらなんでも、それは緒花さんでも」
「たしかに、手をつなぎました」

「嘘でしょ、信じてるわ」
 口も目も開いた坂さんが、ぽかんとした顔で私から目を離さない。

 そんな。

 不思議なものでも見る目で見て。

 おかしいかな。

「これからは、手をつないだら卯波に、ごちそうさまって礼を言えよ」

「おい、宝城もしつこいな。そうしてからかうな、とどめを刺すな」

「昨日、あなたの唇に柔らかくて、温かな幸せな感触がなかった?」

 人差し指で唇に触れたら、顔全体が脈打つように顔が熱くなった。

「それよ」

「耳まで赤くなって、よほど凄いの思い出したのか?」
 院長の言葉を、卯波先生に聞かれたと思うと、恥ずかしくて頬が、ぽっぽっ熱い。

「院長、その口を縫いますよ」
「怖いな、ラゴムの坂鬼軍曹。しかし、緒花は箱入り娘なんだな、今どき珍しい」

「そのまま信じるほど純粋で、うぶだ。だから、からかうな」
 卯波先生が顔を歪ませ、院長をたしなめる。

「仕事とおなじで、相変わらず一度覚悟を決めたら行動が早いな。学生時代から、卯波は変わらない。ところで、緒花のどこがよかったんだ?」

「だから言っただろう、いっしょにいると気が楽なんだ。資質も気に入っている。動物看護師としても、この資質は向いている」

「資質が気に入っているだって、好きって言えよ」
 卯波先生は、鼻で笑う院長を相手にしない。
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